太宰治「人間失格」

私が最も愛する作品がこの」「人間失格」です。

この作品のテーマはずばり「厭世観」です。

厭世観とは端的に言うと、世の中は不幸や悪に満ちているという考え方の事です。このような思想を持つ人間は少なくありませんし、これをテーマにした創作物は世の中に溢れています。ついでに言っておくと、私の中にも厭世観は深く根付いています。

では、世に蔓延る有象無象の「厭世観作品」と太宰治の「人間失格」とで何が違うのかを掘り下げていきます。

厭世観とは言うまでもなく負の感情です。座標で言えば第三象限にあたる部分。必然これをテーマにした作品から放たれるのは元来暗く重いオーラです。ですが私が「人間失格」から得た印象はむしろ明るいものだったのです。どうですか、この矛盾。私は「あれ?」と思いましたよ。読了後、沈んでいて然るべき私の感情が逆の方向に働いていたのです。新たな希望を得たと言ってもいいくらいです。

何故斯様な気分になったのか。それは太宰が厭世観をポップに書き切ったからだと考えています。物語をただただ暗く進めるのではなく、時には笑いを狙い、時には抜群のワードセンスで人を小馬鹿にする。そうした太宰のユーモアが、本来マイナス方向にしか進み得ない作品のオーラをプラスへと転換させたのです。根っこは厭世観なのに。本当にすごい。

君らも一度この人間失格を、明るくユーモア溢れる物語だと思って読んでみてください。完成されているから。

あとこれはおまけ程度なのですが、作中「罪の対義語は何か」というテーマで、2人の登場人物が語り合う場面があります。私も相当に考えましたが、どうもこれという答えに辿り着けません。このコラムを読んでくれた方の意見をお教えいただければと思います。コメント機能あるのか知らないけど。

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