大雪とユニバース25の実験と地震

2月某日、東京に大雪警報が発令。
某スーパーレジ打ちのパート業務という私は仕事を休めるはずもなく(早上がりはさせてもらった)出勤。

が、散々気象庁が脅しをかけていたので、前日にまとめ買いする人がほとんどで当日と翌日はほとんど客が来なかった。
よく観察してみるとしっかり歩ける年配の方と若い人が主な客だった。

当然と言われれば当然なのだが、夕方は雪でもそこそこの客の入りはあったかなという感じだった。

どこもそうなのだろうけれど、いかにお年寄りの客が多いんだろうとあらためて思った。
従業員が少ないというよりは、(特に午前中は)お年寄りの
客が多くて、お金出すだのポイントカード出すだのにカバンやカートの中をかき回して探すから始まり、人によってはいくつも財布を出したり、財布開けてもポイントカードやクレジットカードがたくさん、それを一枚一確認する、レシートがたくさんあって出しづらい、などなど時間がかかり、結果人が並んでしまう、ということなのだ。
以前にも書いたが、運転免許返還したほうがいいのでは?と思う人が駐車券を出す。本当に多い。でもさすがにそういう人も雪の日と翌日は皆無だった。

話はかわるけれど、ユニバース25という実験ご存じだろうか。ネズミを病気や天敵や食料不足のない、広さも十分にある、いわばユートピアに放したらどこまで繁殖するのだろうかという実験。
詳細は検索かけていただくとして、結果は、というと全滅した。しかも25回やって全て同じ結果。そして25回目でこの実験は終了している。
繁殖したがらない引きこもりネズミが現れるだとか、広さが十分にあるのに一か所に固まってそこの場所を巡って争いがおこるだとか、今の日本に起きている現象が現れていてどうなのなんてことを以前に記事にしたけれど。

さて、この実験、色々懐疑的なことを書いた記事も散見されるけど、実験者はこういう過程を辿るということで段階を5段階にわけていた。
こんな興味ある実験例えば第一段階で、食料不足になったら、だとか、第三段階で天敵現るだとか、環境を変えたらどうなるか、みたいなさらに進めた実験をしなかったのかなと思ったりする。

それから今回のスーパーの現象で思ったことなのだが、来店客数に対して店はちょっと狭いと思うが、よっぽど激込みしない限り、動く隙間もないほど激込みということはない。欲しい商品の売り切れが頻繁にあるということもあまりない。ちょっと違うかもしれないけれど、環境はユニバース25の実験場に似てなくもない。
が、今の少子高齢化、このお年寄り、言い方を変えれば上のものがいないということでスーパーが広々としていて、圧迫感がない。ゆっくりと買い物ができる。人数のせいだけではない。他人がたくさんいる、しかも自分より上の人間が、何か粗相をして何言われるかわからない、年を召しているから動作が遅いのは仕方がない。仕方がないけれど見ていてイライラする、それも二、三人ではなくて半分以上の来店客が、それだけで無意識に気を使ってしまい妙に疲れる。そんな感じがしたのだ。

ユニバース25の実験。確かに十分な広さがあったかもしれない。でもネズミが増えるというのは実質自分のテリトリーあるいは行動範囲が段々狭まるということだ。以前は数メートル先でも他のネズミと出会わなかったのが、個体数が増えると例え同じ行動範囲しか移動しなくても、他のネズミと遭遇するようになるということだ。
十分すぎる広さを与えられても、ねずみや人が増えればそれだけ行動範囲が狭まるということだ。以前はいくら自動車で爆音鳴らして飛ばしても誰も咎めなかったのが、咎める人が出てくるということだ。以前の解放感を味わっていただけに、それはストレスとなる。
ネズミだからその生態はよくわからないが、自分の行動範囲と相手の行動範囲が重ならないようにどちらの行動範囲でもないフリーの場所を設けようとしたかもしれない。人間の目からすると変わりのない広い実験場だったかもしれないが、ネズミからすると人間にはわからない、居心地の良い場所と悪い場所があり、居心地のいい場所に固まっていたのはそういうことかもしれない。そうするとストレスがかかり、それが積み重なってあげく全滅という結果を招いたのかもしれないとふと思ったのだ。

昨今地震が起きた。場所が場所だけに支援や復旧が十分に行き届いていない場所がある。
今の日本の住居を見ると、明らかにそんなところに住んでいるのかい、というような、おおよそ居住には向いていない所に住んでいる人がいる。
当人は気に入って住んでいるのかもわからないが、平地のような人が住むのに適している土地は既になかったのかもしれない。

居心地のいい場所すなわち都心に人口が密集してしまうのは、そう考えればユニバ—スの実験のネズミと一緒である。

他の、しかも生命を脅かすようなストレス、食料危機だったり天敵だったり、あるいは恐怖にしかならない天変地異だったりを受けると、ちょっと解放感が狭まるくらいのストレスは生命を脅かすようなものではないため、取るに足らないものと化するのではないか。

そんなこと考えた雪の日だった。

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