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幼い頃の手紙 

<古い記憶より> こんな事ありました


私は小学生の頃から、先生に作文や読書感想文を褒められた事がただの一度も無い。勉強の一環として書く事は好きでは無かった。

ただ、手紙を書く事は子供の頃から多かったと思う。

我が家では、両親が実家に手紙を送る際、子供達にも便箋を一枚づつ与え、絵でも文字でも良いから、お祖父さんお祖母さんに何か書くようにと言われてきた。私が幼稚園児の頃からと記憶している。

最初は丸三角四角が、かろうじてわかる程度のナグリガキだったと思われるが、自分宛に返事の手紙が届くと胸が高鳴る程にうれしかった。

おじいちゃん達は、絵でも文字でも内容でも何でも誉めて喜んでくれた。

私は、褒められる事がなによりの喜びとなり、今度は何を書こうかなと、ネタを考えたり探したりする事も楽しく思う事ができた。
私が自分から手紙を書くと申し出る事もあったと聞く。

この頃の私の手紙は、褒められる為のアイテムの一つ、しかも大きなひとつだったのだと思う。


少し大きくなると、クラスの女の子同士で手紙の交換をした。
勿論、前の日に書いた手紙を朝学校で 渡すだけだ。

最初の頃は広告の裏、書き損じのノートの切れ端、包装紙などを利用していたが、だんだん絵柄の入った便箋や封筒にバージョンアップしていった。
(だって、女の子ですもの)

『お元気ですか。私も元気です。学校は楽しいですか。勉強は何が好きですか。私は算数です。返事をください。それでは元気でね。さようなら』

こんな手紙が行き交っていた。手紙を書く事より、手渡す事に意味があったのだろう。手紙は、自分達が友達である事の象徴のように、女の子の間を行き交った。


高学年になると、流石にクラスの子に手紙を書く事は無くなった。
その代わり、年賀状を出す事になる。

女の子だけで無く、普段あまり喋った事のない、気になる男子にも。

クラスメイトの年賀状なのだから堂々と出せる。
あちらからも来るのか、それが問題だ。あちらからも来れば良し、来なければ、気になる対象を変更する。割り切りは早い。(だって、女の子ですもの)

メールや印刷などと違い、あの人の自筆の年賀状は、暫くの間の宝物でもあった。


今と違い、子供の頃の年賀状は全て手書き。文字の正確さ、丁寧さ。小さなイラスト、配置の美しさ。気を入れ書き進める。一言を添える為に何でもないようでありながら、キラッと光る言葉を探す。
受け取る人、それぞれの顔を思い浮かべながら。特にあの人への年賀状には。

作文や読書感想文も、このくらい力を入れれば、少しはマシな物が書けただろうに。

ただ、年賀状の枚数は、クラスでの自分の人気度を知るためのバロメーターであった事は間違いない。結構シビアな結果は自分のこれからに、なにかしらの影響を与えたのではないかと思う。

今にして思えば、この頃の年賀状は自分の将来の明暗を、少し遠目ながら予測できた部分があったように思う。
そして、その思いは、あながち間違ってはいなかった。子供とて、侮れないと我ながら、今更ながら感じる。

私は、いつもあなた任せで、自分らしさがかなり欠けている。簡単に言えば、その方が楽だから。

それなのに、この頃の私がなぜだか年賀状に、これ程に力を入れたのかは一つの疑問ではあります。


漠然とではあるけれど、手紙や年賀状を書いたりもらったりする事の中で、人との接し方、人との考え方の違い、個々に色々な感性がある事に少しづつ気がつき始めた年齢になっていたのかもしれない。

また、同時に自分と言う存在を、幼いながらも考えていく軸になっていったのだとも思う。


手紙は私を形作る一つのピースになっているのは間違いでは無いと思う。

最近、本当に手紙を書く事も頂く事も、ほとんど無い。

頂いた手紙やハガキを入れておく、我が家の状差しはスカスカだ。

出したい人達も手紙が届かないところに行ってしまった。

一度、残してある古い手紙を読んでみよう。そしてそれらの手紙とも、最後のお別れをしよう。
私の胸だけに納めておくために。 

そんな事をツラツラと考えている今日この頃の私。

この記事を書いている途中、思い出した母の言葉。

「電話で声を聞くのも嬉しいけれど、手紙もいいんよ。あなたの字で書いてある手紙は何度でも読み返せるから」

あぁ、これが手紙なんだ。
そうだったよ、ね、お母さん。

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