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30分のテレビ番組、11分しか予約できてなかったって話。

予約容量足りないじゃん、まずいなあ。で終わるはずだった。

動いている時の推しが特に特に特に好きなオタクです。もちろん静止画も好き、画像ひとつでときめきと尊さを兼ね備える推し本当に凄まじい力を持っている。ここがRPGならいわゆる「チートキャラ」とも言えるほどの力を持っている。
そんな推しが出る番組を私はいくつか録画している。月曜日はこれ、水曜日はこれ、木曜日はこれ、といった具合で、固定のものと別で出演情報があれば随時追加していく。我が家のHDDは予約容量が不足すると表示にて知らせてくれる。その支持に従い、また何かを消すなり編集するなりしなければと思い、HDDを起動させた。

タイトルの下には、日付と11Mの文字。

全てを察した。やってしまった、盛大かつ盛大にやってしまった。先週分を見ればきちんと29Mと記されている。加えて今週のものは推しと、推しの推しないし推しの友人が出る何とも豪華過ぎる回。予告編ですら推しが活躍している姿を見て嬉々としていた。この瞬間のこの感情の行き場のなさたるや。楽しみにしていたものが、約3分の1にまでカットされてしまった。HDDが悪いわけでもなければ、共有している人が悪いとも言いきれず、強いて言うなれば私の管理が甘かったことにも原因はある。これを楽しみに頑張れている節もあったのに、という後から湧いてくる感情がとめどない。

それはきっと、もうどうすることも出来ないからではないだろうか。

手立てが今の私には思いつかない、テレビ番組ならば何かしらのアプリで見逃し配信がやっているかもしれない。無論探すしかないが、それでも1つあったはずのものが欠けたことには変わりなく、その欠けた代わりを同じ手段では満たすことが出来ないと知っているからこそここまで落胆するのではないだろうか。
違うものでも似たような経験は挙げられる。例えば、通販サイトで狙っていた服、「まあまだあるから」と思い少し考えて、しばらくして見て無くなったことを知ってから「買っておけばよかった」と思うようなことも類似した状況であると言える。無くなった、つまり手に入れることが出来なくなったことを知ったからこその落胆をする。あの時こうしておけば良かった、この後悔癖ある人とない人は勿論いるだろうが、私は前者にあたるため、欠けた時の後悔は凄まじい。

後悔癖

タラレバ、という言葉が一時期話題になったが正にそれが頭の中を浮かんでいる。テレビ番組の件で言うならば、もっと容量を空けておけばよかった、確認しておけばよかった、リアルタイムで見られるなら見ればよかった、といったところだろうか。○○すれば良かった、○○しなかった自分が悪かった、このような思考は何も少数派では無いとも感じる。すれば良かったという言葉でなくとも、「○○したかったなあ」「なんでしなかったんだ」など憤り等形を変えながら思うことがあるだろう。後悔先に立たず、なのだ。いざ後悔するシーンにならないとどの程度の後悔でどの程度記憶に残るのかは分からないところが難点である。また、この思考癖はコントロールが難しいというところも難点である。ただ後悔をすればするほど逸れていきそうになるが、日常を過ごす中で100:0で自分が悪い機会など早々無いだろうとも思う。交通事故や何かの犯罪などは例外だが、無自覚で自分が100悪くなることはそれ程に溢れているだろうか。今回で言うと、私も悪いが録画するだけして貯め込んでいた共有している人にも問題があるとも言える。

責任転嫁、ではなく責任とは端から1人が背負うように作られていないものなのではないかと思う。自分が持ちたいと思う責任とそうでない責任があり、中には持たされている責任などもあるのだ。100悪くないを100背負うために後悔している、とも言えるかもしれない。

ひとまず私はこうやってnoteにしたことで笑い話に出来そうであるが、危うく「1人」であったならば落ち込んで落ち込んでいたところだろう。文明の利器をフル活用し、何とかして推しが動いている姿、イキイキしている姿を見ようと切実に思う。
noteがあってよかった、報われた、という気持ちに少しなるものであった。

「30分のテレビ番組、11分しか予約できてなかったって話。」

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