きはら

バケツプリンに憧れる、オタクで、腐女子な、ただの人。

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最近の記事

確信と自信

なんだかHUNTER×HUNTERの話タイトルみたいになった。カクシン×ト×ジシン 「何か興味あることはないの?」と聞かれる機会があった。人並みに本は読んでいるだろう私は「いやあ、そんなことは無いんですけどね」と答えた。興味あることや思ったことを言語化することがてんで苦手になってしまった。 自分はこれに興味があるんです、こういうことを考えてるんです、と言うにはある種の自信が伴うのではないだろうか。 「そんなことは無いんですけどね」と言った時、「あ、今の自分にはこれを言える

    • SNS上でこう言われている、ってどこまでの力を持つんだろうって話。

      最近テレビニュースや新聞、雑誌などでも目にする文言の中に「SNSでも話題!」という言葉がある。SNS上にそういったソースや記事が蔓延するだけでなく、他のメディアにまで着実に拡がりを見せている。SNSはあるものを裏付けるための根拠にまでなっている。しかし、手軽に気軽に発信できるようになった情報がどれだけの強さを持つのだろうか。 小学生の頃、欲しかったゲーム機があった。たまご型のぴこぴこ鳴って首からかけることの出来るアレやら、手元でパカッと開けてうごメモ、どう森、などのソフトが

      • この服いつ着るんだろう、

        デパートや駅ビルや、少し大きなスーパーの中にも衣類は置かれている。形や色は様々でありながら多くの人の目に付くところほどトレンドや季節や色合いにパターンが現れる。春なら、ストライプや柔らかいパステルカラー、テロンとした生地感のトップス、麻や綿が入った夏まで着られるパンツなどなど、今年ならカラーパンツも沢山出ていた気がする。 一言にブランドと言ってもその形態もそれぞれである。いわゆるトレンドを意識して今すぐに着ることが出来るようなプチプラブランドからミセスやOLさんをターゲット

        • わざと体にちょっと悪いことする話。

          0:28。 今晩推しは大きな仕事をするのか、と思ってツイートをするような0:28。今日は基本的にずっとパソコンの前にいた、今はペンを一旦置いている。明日は朝が早い。だけど寝ていない。眠れないのではなく寝ていない。数分前にホワイトニング器具を外した。もう寝れるのに、寝ていない。友人は暗い中少し手を休めて散歩に出た。行っていいかなと聞く友人に、行こう、気をつけて、とそう言った私は歩きもせず寝もせず勉強もせず座って画面の前にいる。そういうことをたまにする。 例えば、無理に酒を飲む

        確信と自信

          「もうこれで終わってもいい」って終わりたい、のかなって話。

          『HUNTER × HUNTER』という作品に、ゴンという主人公がいる。ツンツンヘアーで緑の服を着た、天真爛漫かつ仲間思いかつ自分の強い信念を持ち、確かに目の前にある壁に立ち向かっていく、そんな少年である。 「もうこれで終わってもいい」 これはゴンが敵を倒すために覚醒した際、長年を経て辿り着くはずの姿になり口にした言葉である。圧倒的な意志、決意、力、その強さや姿に敬称をつけ、読者からゴンさんと呼ばれるほどである。 現代において「もうこれで終わってもいい」をゴンさんと同じシ

          「もうこれで終わってもいい」って終わりたい、のかなって話。

          ハピエン厨と言いつつ見るのはバドエンばっかりとか、あるくない?って話。

          ハピエン厨、ハッピーエンドしか勝たん、 と高校生の頃自分に対して思っていた。また周りに対しても「自分はハピエン厨だ」と公言していた。しかし本棚に集まる本、なぜだかハッピーエンドでは無い物が増えていく。それどころか、なんだよその終わり方みたいなものが多い。例えば木原音瀬さんの『美しいこと』という物語、居てもたってもいられない情をくれる作品だと感じた。また、趣味程度の脚本を書いていた頃、どれもこれもバッドエンドが並んでいると評された。 私が読むものが同性愛だからこそ終わりを単

          ハピエン厨と言いつつ見るのはバドエンばっかりとか、あるくない?って話。

          漫画とか映画とかドラマとか、距離感あるんでない?って話。

          小学生の頃テレビを見るのが好きだった。夕方早く帰ってきた時にニュース番組の前にやっている再放送のドラマや、サスペンスを楽しみにしていた。金曜日の夜は夜更かし出来るから深夜帯に近いようなドラマを見たりもしていた。鮮烈に残っているのが『リッチマン・プアウーマン』というドラマ。 『失恋ショコラティエ』も懐かしい。サウンドにとても惹かれた。日向さん!となかなかくっつかない2人にヤキモキし、薫子さんの立ち位置を応援していた。ここまで書いて自分はもしかしたら石原さとみが好きなのかもしれな

          漫画とか映画とかドラマとか、距離感あるんでない?って話。

          noteで書いた文章が全消えした時のあの感覚なんて名前?って話。

          そこそこの推敲をしながら、そこそこの文字数を書き、あとは画像1枚を選ぶだけ、という所で文章が消えた。正確に言うとホーム画面のようなところに戻り、何事も無かったかのようになった。これが今までに2回あった。 下書きをしない自分が悪い!とはいえ、直後はこの感情に名前が見つからないくらいにはぽかんとする。疑問符から始まり次第に、なんだって?と怒りに近いものが現れつつ、どうしようもないがな、という諦めの念が覆い重なってくる。今日は「占いを信じるか信じないかって結局人の自由やんね、」みた

          noteで書いた文章が全消えした時のあの感覚なんて名前?って話。

          消えたい!消えてやる!って悪いことなのかって思った話。

          小学四年生の頃から、柔らかい希死念慮がずっとずっとあり続けている。きっかけがなにかあったかと言われると具体的には覚えていない。でも友人との距離感が分からなくなったことや、集団生活に妙に疑問を抱いてしまったことが大きいのではないかと今なら言えるかもしれない。高いところから下を眺めたり、勇気はないが窓を開けてみたり、そんなことをここまで長く長く長く続けてきてしまった。全く考えない時もあればそればっかりを考える時もあった。 趣味や好きなものにワイワイする一方で、おどろおどろしいも

          消えたい!消えてやる!って悪いことなのかって思った話。

          30分のテレビ番組、11分しか予約できてなかったって話。

          予約容量足りないじゃん、まずいなあ。で終わるはずだった。動いている時の推しが特に特に特に好きなオタクです。もちろん静止画も好き、画像ひとつでときめきと尊さを兼ね備える推し本当に凄まじい力を持っている。ここがRPGならいわゆる「チートキャラ」とも言えるほどの力を持っている。 そんな推しが出る番組を私はいくつか録画している。月曜日はこれ、水曜日はこれ、木曜日はこれ、といった具合で、固定のものと別で出演情報があれば随時追加していく。我が家のHDDは予約容量が不足すると表示にて知らせ

          30分のテレビ番組、11分しか予約できてなかったって話。

          note書くのって難しくない?って話。

          noteをはじめて1週間経ったらしい。 ここ数日感じていることは「難しい。」いざ書くとなると何を書けばいいのか分からなくなる、そんな事態に陥っている。最初はこれを書こう、あっこれ書きたい、の気持ちから何を書けば「いいんだ」になっていることを着実に毎日感じている。書きたいものを探すような日々。そんなものはなかなかに見当たるわけも無い。私はただの人なのだから、特別なことは何も無い。平凡に平凡を重ねたような日常。強いて言うならば最近昼寝が習慣化されていることくらいである。 昼寝、

          note書くのって難しくない?って話。

          既読無視が苦手っていう話。

          既読、 既に読みましたよっていうのが目で見て分かるシステムがある。TwitterのDM然り、インスタのDM然り、最もポピュラーで身近なのはLINEだろうし、私にとっても「既読」と聞いて1番初めに浮かぶのはあの緑のアイコンだ。 LINEってすごい。5歳児みたいな感想になってしまったが、実際とんでもなくすごい、知らないうちにとてもとても当たり前になっている。すぐにメッセージを送ることが出来て、電話もできて、ビデオ通話もできる。好きなブランドのアカウントを追加して新作の情報やクー

          既読無視が苦手っていう話。

          眠い時なんも出来んくなるし、実際出来てなかったわって話。

          うわ、今日もうダメだ、眠すぎる みたいな日が週に1日以上は訪れる。つい先日もあったばかりだ。最近日に30分ほど勉強をするようにしているのだが本のページを開き、ノートに書き込み問題を解いていた時だった。眠い眠い、口を開けば眠いという言葉が出てくる。何だかいつもより問題を解くペースが異様に遅い。眠すぎる、目が開かない、目がしょぼしょぼする、あくびが止まらない、などなど実際に身体に表れるものもあった。しかし私の場合どちらかというと思考に大きく影響する。眠いということ以外考えられな

          眠い時なんも出来んくなるし、実際出来てなかったわって話。

          好きなものを好きと言えないってみんななるんじゃないん?って話。

          物心ついた時から少年漫画を読んでいた。作品名をあれやこれやと覚えている訳では無いけれど、capetaとか、ロザリオとバンパイアとか、貧乏神が!とか、懐かしい。インクで指を黒くしながら月刊誌を読んでいた。りぼんやちゃおには触れたことがない。少女漫画というものを知らずにいた。 気づけば小学生、低学年、中学年とそれは続いていた。その頃にはアニメも観るようになっていた。化物語のタイトルも知らなかった頃、星を見るシーンが綺麗で、エンディングの曲が耳に残っていた、言葉が作中に羅列するのが

          好きなものを好きと言えないってみんななるんじゃないん?って話。

          屋上でキャッキャする誰かを妄想したよって話。

          今朝、いつもと何一つ変わらない道だった。強いて言うならいつもより空がきれいで聞いてた音楽がいい感じだった。そんな雰囲気のいい感じで歩き、何の気なしに顔を上げて遠くを見た。 ものすごくものすごく可愛い屋上があった。高すぎないくらいで、段々があって、ときめくにはうってつけのロケーション。ちょうど風が透明であたたかかったから、半袖でもいいかもしれない。 『窮鼠はチーズの夢を見る』という映画の中に屋上でキャッキャとするシーンがある。一言で言う、たまらなく可愛い。あの平和な瞬間が、朗

          屋上でキャッキャする誰かを妄想したよって話。

          noteだけは絶対書きたくなかったんだって話。

          noteだけは絶対に書きたくなかった。冒頭からnoteに喧嘩を売るような文章だ。でも本当に、この文字通り、むしろnote、という言葉を聞くだけでちょっと震え上がるくらいには遠い存在だった。 昔、昔昔、縁があってしまった人がnoteをしているから。 2年前、もう2年も前なのかと震え上がる自分もいる。その2年動いた心のほとんどを占めていたと言い切れる気がする。衝動的で楽観的で盲目的な私だった。 「きはらはその人のこと、好きになりそうだよね。」 出会って数ヶ月の人に言われた。そ

          noteだけは絶対書きたくなかったんだって話。