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GUCCIの時計

「師匠」と呼んでお慕いしている女性がいる。
師匠は師匠でも紅茶の師匠。
母娘ほど歳が離れているがとてもチャーミングかつ可憐な女性で、いつ見てもその魅力は衰えず、わたしの憧れだ。

彼女のことを考えると紅茶が無性に飲みたくなる。閑話休題。

その師匠は香水をブルガリ、時計をカルティエとグッチを使っていて、お家に伺うとふんわりと上品な香りがする。私の中では師匠といえばカルティエとグッチ、それくらいの大きな存在で、憧れの女性の持ち物だからこそ、私は時計を買うとしたらその2つのどちらかにしよう、そう決めていた。

先日、チャンスが巡ってきた。
人生の節目を迎え、自分で自分に抱負として時計を買おうと一念発起したのだ。
まっさきにグッチを見に行った。気取らないけど都会的でスマートなデザインは理知的でどれも美しかった。自然かつ幾何学的な調和は何年経っても衰えない力のようなものを感じて背筋が自然と伸びるようだった。

けれども、結局私はグッチを買わなかった。
私はクリスチャンディオールの小さな金色の時計を手にとって、そのまま家に連れて帰ったのだ。

グッチは確かに美しかった。それはもう、完璧すぎるほどに。
だからこそ逆に気後れしてしまった。隅々から主張するグッチの香り、 プライド、その全てに。
ディオールが不完全だ、そんなことは思っていない。ただ、私の中でグッチやカルティエやそういう類のものは、いつの間にか師匠という大きなものをも内包するようになっていたのだ。

わたしがグッチを買うのは先になりそうだ。はたまた、別のブランドを生涯の伴侶にするのかも知れない。
まぁ、まだまだ人生は長い。私は私の時計たちと、共に生きていく。

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