他人事でない、この戦争
2022年2月23日の朝、その日の未明にロシア軍がウクライナに攻撃をした、というニュースに触れた。その二時間後、今度はスイスの友人Tが「妻子を救い出すために、急遽、ポーランドへ飛ぶ。その後はレンタカーして陸路、国境を超え、キエフに滞在している妻と5歳の娘を連れ帰る」というメッセージを残して、すでに出発したことを知った。
Tと、その妻、そして娘も含め、その家族とは、家族ぐるみの付き合いだった。「だった」と過去形で書いたのは、夫のTが、とあるパーソナルな出来事をきっかけに、陰謀主義的なものへの共感に突如、目覚め、ここ三年ほどですっかり人が変わってしまったために、当惑した私は、T、そして彼らと少し距離を置くようになってしまったからだ。Tはスウェーデンとベルギーの国籍を持つが、人が変わってしまったその同じ頃、スイス国籍も取得した。妻はウクライナ出身だ。
これから綴る出来事は、今、ウクライナで起きている戦争と直結するだけでなく、すべての狂信的なものがもたらす悲劇を暗示する側面もあり、ウクライナと地続きの土地に住み、ウクライナの人々との縁もそれなりにある自分がここに書き留めておくことは一つの義務。そんなふうに思っている。
懐かしい味がした、ウクライナの家庭料理
ポーランドのクラコフ行きのチケットを取り、取るものも取り敢えず旅立ったT。一家とは疎遠になりがちなここ数年とはいえ、共有した楽しい時間はたくさんあったし、妻のナターシャ(仮名)から聞くソ連時代からウクライナ独立時代への移行(当時ナターシャは小学生)の話、どんな「西洋文化の断片」が冷戦時代のウクライナには流入していたか、といった話はどれもとても興味深かった。何しろ「冷戦時代だからアメリカものはほぼ皆無、その代わり、タンタン(ベルギーの漫画)とか、ジョー・ダサン(アメリカ出身ながらフランスで活躍したポップス歌手)の歌はウクライナの子供なら誰でも知ってた」なんてことを言うのだ。「トムとジェリー」や「ゆかいなブレディ一家」で育った自分の子供時代と比べ、輸入文化フィルターとしての「鉄のカーテン」が、急に自分と直結するリアルなものとして感じられたことなど、よく覚えている。それに彼女が作るウクライナの伝統料理はどれも不思議と懐かしい美味しさだった。
そんなT一家のことが心配にならないはずはない。戦争が勃発したその日、Tが妻子の救出に向けて出発したその日は一日中、移動の車中でもラジオを聞き、気もそぞろだった。爆音の聞こえない遠い距離のところにいながら、けれど、陸続きでのところで起きているこの戦争を、私は自分に非常に近いこととして実感していた。
なんとか無事でいてほしい。なんとか家族揃って、スイスに戻ってきてほしい………。
普段はチューリッヒに住む一家だが、ナターシャが五歳の娘を連れてキエフに里帰りしたのは、わずか10日前のこと。そもそもなぜ、「もしかしてもうじき戦争が」というタイミングでそんな危険なことをしたのか。
子供の時からナターシャをとても可愛がってくれていたお爺さんが病床にあり、もう先は長くないという知らせを受けたこと。コロナでずっとキエフに行けていなかったこと。そして、「まさかいくら何でも戦争なんて」という正常化バイアスというものもあったかもしれない。
それに加え、ここしばらく、Tのデフォルトとなっていた世界観・・・。つまり、これは全てバイデンが仕組んだ茶番なのだ。人気低下を挽回するための、演出なのだ。ロシアが何の得にもならないそんなバカなことするはずがないじゃないか、などなど。FOXニュースや、それに類似した欧州の情報ソースをちらりとでも覗けば、普段、自分が目にしているのとは正反対の、というかあまりに荒唐無稽と思われる地政学や政治や外交の言説がメインストリームを跋扈していることがわかる。そしてソーシャルメディアの常で、一旦そういうものに触れるようになると、次から次へと、そこで展開される言説を裏付ける学説やら、証言やら、解説やら、ドキュメンタリーやらが、爆弾のように降ってくる。Tもおそらくはそのようにして、信念の牙城を築いていった。だから妻のキエフ里帰りを、Tが止めることはなかった。
何かに取り憑かれたようにして彼が口にする自説や思い込みに、私はほとほと嫌気がさしていたけれど、もともと彼と近しいスキー友達、飲み食い友達だった私の夫は、「主義主張が自分と異なるからといって、友達をやめるっていうのは違うかなあ。いいところもあるんだし」といって、Tが転送してくる記事やらメッセージらに呆れながらも、それ以外のところでは以前と同じように交流を続けていた。しかも今、キエフで足止めされている彼らの娘の、彼はゴットファーザーでもあるのだ。
「ナターシャたちをキエフに行かせるのはやめろ」——夫は何度もそう口にしかけながら、結局、Tに向けてその思いを声にすることはなかった。
失意のリターン
その夫は夫で、実はここ数年、仕事で何度もキエフを訪れ、かの地に大変フレンドリーで勤勉で、国を作っていく意欲にあふれる人との交流がたくさんある上、実はこの3月にはキエフで講義をする予定もあったのだ。すでに飛行機の切符も宿も手配済み、スライドも準備していた。そんなわけで、リアルタイムでキエフの仲間とのコンタクトをし続けている中で、彼なりの「直視せねばならぬ現実の予想」というものがあり、それに基づいた心配もあった。けれど、Tはどのみち聞く耳を持たない。狂信的になっている友への助言を断念したことを、今では大いに悔いているけれど、これまた仕方のないことだった。
結局、Tはレンタカーでウクライナとの国境近くまで進んだ。けれど、その間、カーラジオで耳にする非常に厳しい現況を伝えるニュース、友人たちから次々に入る「行くな、今、行ったら、お前も死ぬかもしれないんだ」という警告は、大いに説得力があった。国境で構える警察や軍隊も、おそらくは彼の入国を許すまい。さすがのTも国境間近で断念し、Uターンせざるを得なかった。その足で再び、飛行機のチケットを取り、一人きりで失意とともにチューリッヒに戻った。出発から36時間後のことだった。
「迎えに行ってくる」
傷心の帰国をするTをせめて一人ぼっちで暗い部屋に帰らせたくはない。そんな思いでTを空港まで迎えに行った夫は、結局、その晩、Tと二人でどこかで食事をし、夜遅くに帰宅した。主義主張がどうであろうが、友達は友達。迎えに行ってあげてよかった。私も心からそう思った。
今のところ、ナターシャと娘、そして病床のお爺さんやお母さんは生きている。幸いにして、キエフ市内ではなく、少し離れた郊外のダッチャ(ロシア風の山小屋)に来ていたところで戦争勃発。攻撃対象になりそうな重要な施設などが近くにないことで爆撃を免れ、とりあえずネット環境や電気はまだ無事、ということで、寒さに凍えるような事態にも陥っていないそうだが、「二晩、一睡もしていない」という彼女の疲れた顔写真を、私は夫経由で目にした。隣には、小さなお嬢ちゃんの姿も。彼ら家族と友人数人とで祝った彼女の一歳のお誕生日、二歳のお誕生日、三歳のお誕生日を思い出す。どれほど怖いだろうか、どれほど不安だろうか、と、涙が出てくる。
そんな中、今朝は夫の元へキエフの仕事仲間からメールが届いた。「拡散してほしい」というお願い付きで英語で綴られた便り。最後に、「今のキエフ」を伝える直視に耐えない動画も。
ロシアの攻撃により、この戦争は始まった。そこには何ら正当化の余地はない。ロシア国内でも、このことに怒り、悲しみ、そして抗議の意を表明する人たちがたくさんいることを私たちは知っている。強権政治のもと、この状況下で声を上げることがどれほど身の危険と隣り合わせで、どれほどの勇気を要することかも知っている。この戦争は、多くの痛みを生み、後の世代にまで引き継がれる恥辱や悔恨や敵意を残すことだろう。本当に残念で悲しいことだ。
T一家が、無事に再会できることを心から祈っている。1日も早く(そしてそれがウクライナがロシアの支配下に入るという形でなく)この、無意味で愚かな戦争が終わることを、失われる命が一つでも少ないことをひたすら祈っている。そして夫が、またキエフに出かけ、意欲溢れる学生さんたちや主催者たちとの時間を過ごせる日が戻るように、とも。
キエフからのメッセージ
最後に、夫に宛てて送られたキエフからのメール(筆者抄訳)をここに記しておく。さまざまなニュースが飛び交い、何を信じてよいかわからない時、私は人として信頼できる人間がニュースソースであることを一つの判断基準にしている。夫を通じて、私はこのメールの差出人とその仕事ぶり、人や世界に対する態度を知っている。その上でこれをシェアするのである。
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