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【短編小説】ルリ子さんの肖像

 あらすじ
 高校の美術教師である石井先生の描く肖像画に一目惚れし、信也は美術部に入部する。
モデルは同校の女生徒と思ったのだが、実は10歳で死んだ先生の愛娘ルリ子さんだつたのだ。
 よほど娘の死が無念だったのか、先生は毎年一枚ずつ娘の成長に合わせた肖像画をものしていたのだ。
 信也が見たのは、まさに高校一年生になった架空のルリ子さんだったのだ。
 ルリ子さんはキャンバスの中、やがて2年生に、そして3年生に進級する。
 そんなある日、信也は石井先生からモデルを依頼される。そう。キャンバのルリ子さんと対をなす肖像画をもって……デートをしてくれとのことであった。
 直後、石井先生はこの世を去る。
 2点の肖像を託された信也は……その日の夜、幻想の世界へ…… 


 

   ルリ子さんの肖像


「高藤君、ルリ子とデートしてくれませんか?

 美術教師の石井先生からかく言われた時、高藤信也も言葉に詰まってしまった。と言うのも、当のルリ子さんというのが、つい目の前の、十号ほどの肖像画だったからだ。

         ※

 T高校に入学すると同時、信也は即刻「美術部」に入部を決めた。勧誘を受けたわけではなく、元来絵は好きだったこともあったが、部室の隅で美術担当の石井先生が描いていた肖像画に一目ぼれしたというのが真相であった。
 たぶん同世代ほどの少女で、三つ編みを垂らしたブレザーの制服姿は、同校の女生徒をモデルにしたのだろうと直覚したのだ。

 初めこそ校内に、モデルになっただろう肖像の生徒を探してもみたが見つからない。
 しかし、美術部に入部してから数ヶ月後のこと、先輩の美術部員から、とんでもない真相を聞くことになったのだ。

 そう。当の肖像画の少女はなんと石井先生の実の娘で、しかも五年前に母親共々、高齢ドライバーによる交通事故の巻き添えで亡くなっているという。
 なんでも石井先生は、当時十歳の……名をルリ子さんと言うらしいが……肖像画を描いていたらしく、よほど娘の死が無念だったのか、もはやこの世に存在しないルリ子さんの成長記録をその後も毎年、油絵に描き続けてきたらしいのだ。

 絵画の中のルリ子さんは、やがて中学に上がり、高校に入学する。父親としては自分の勤務する高校に入ってもらいたかったのだろう、同校の制服を着せることで架空の生徒として生き続けることを願ったようであった。
 信也が見たルリ子さんが、ちょうど石井先生が仕上げにかかっていた高校一年の肖像画のようであった。

 事情を知った信也ではあるが、やはりその肖像画は父親が魂を込めた作だけあって、……その後、部室の一隅に飾られた絵に、知らず微笑みかけるのが習いとなってしまったのだ。
 色白の、憂いを湛えた大きな目、含羞ひかえめな口元……

 石井先生は無口で、何か訊かれなければ積極的に技術を伝授するということもなかったけれど、ちょっとフェルメールを思わせる画風で、ルリ子さんの肖像以外でも静物などの描写を見ているだけでも勉強になったし、当然部員達の質問に答えての油絵の基本などは、かなり念入りに教えてもくれた。

         ※

 やがて季節も進み、信也は美術部の部長という立場を押し付けられたが、部員数は先細りの、廃部寸前の風前の灯ながら、信也と後輩数人の絵画オタクが中心になってグループ展も開き……その間、石井先生は二年生に進級したルリ子さんの肖像をものしていた。

 一年生の時とは違って、少し成長したルリ子さんは、伏し目がちだった瞼が可憐なヒナゲシみたいにオズオズと開かれ、こちらを見詰めるみたいに輝くところ、信也が部室に入り浸る原因ともなったのだ。

 もちろん、肖像画に恋をしているなんて認めたくもなく、……実は信也にして二度ほど女子生徒から告白されたこともあり、その一人とはデートをしたこともあったのだが、その子が帰り際に、こんな事を言ったのだ。

「ねえ、高藤君……誰か好きな人がいるんでしょ?」

 その女子生徒とはそれっきりだったし、……確かに、自分が恋しているのはルリ子さんなんだと確信したものだ。

 そんなある日、……ちょうど三年に進級する少し前のことであった。
 少し大人になったルリ子さんといつものように部室で対面していると、たまたま一緒にいた後輩が、その手をルリ子さんの胸に伸ばしたのだ。

 膨らみそめし、禁断の蕾……

 うちつけ分別は砕け散り、信也はその後輩の胸ぐらを掴み、壁に押し付けると、

「てめぇ、ふざけるな!」

 そう。一瞬ながら,信也はルリ子さんのことを肖像ではなく、生身の少女だと認識していたらしい……
 我に返ってみれば、後輩が肖像画に手を伸ばしたのは、単に綿ぼこりがついていたのを取り払おうとしただけだったのだ。

 ちょうど部室に入ってきた石井先生に現場を押さえられ、信也は後輩に頭を下げて事無きをえたものの、その翌日、同じ部室に呼ばれ、

「高藤君……ありがとう。ルリ子を守ってくれたんだね。ほら、ルリ子も感謝してる。ちょっと照れてるみたいだけど……」

 心なしか、肖像のルリ子さんの瞳が一段と光を帯び、その頬を染めているように見えるのだ。
 もちろん、そんなわけはない。たぶん、石井先生がルリ子さんの瞳にハイライトを加え、頬にも、あかね色のグラッシーを施したのだろう……

         ※

 石井先生が急激に憔悴し始めたのは、その頃からであった。一気に十歳は年取ってしまったように見えるのだ。と同時に、今まで以上の集中を以て、三年生に進級したルリ子さんの肖像を描き始めたのだ。

 信也としては受験勉強のこともあり、同時に作画に没頭する石井先生を邪魔したくないという思いもあって、部長を下り、部室に顔を出すことも少なくなったとはいえ、高校に入ってから三枚目にあたるルリ子さんは俄然美しさに磨きがかかり、微笑みは零れんばかり、……着衣に覆われながらも、おんなの色がほの見えてくるように感じられ……
 
 そんな肖像がやっと完成したのは、信也が高三の夏休み明けのことであった。
 すでに部員は信也一人になってしまった、がらんとした部室にその日の放課後、石井先生に呼び出されると、

「高藤君。ルリ子とデートしてもらえませんか?」
「……」
「はっは、おかしなことを言うと思うでしょう……」
「いえ……でも……」
「ルリ子のことは、お聞きになりましたか?」
「はい。一年の時、先輩から……なんでも小学五年で亡くなられたお嬢さんの……」
「……、私はね、私が命ある限り……ルリ子は死んでいないと思ってるんです」
「……なんとなく……分かります」
「実は、私、分かるんですよ。君がルリ子の初恋の人だってことが……」
「僕も……単なる絵じゃなくて……」
「でも、生身の君は、ルリ子とはデートなんか出来っこ無い。そこで、お願いがあるんです。君の肖像を描かせてもらいたい。肖像画同士なら、きっとデート出来るんじゃないかと……。はっきり言って……もう時間がないんです……」

 やはり不吉の勘は的中していたのだ。石井先生は肝臓の末期癌で、余命いくばくもないという。
 ルリ子さんの最後の肖像を仕上げた勢いで、信也の肖像を描き上げ、並べて飾っておきたいとのことであった。

 喫緊の受験も障碍ではあったが、信也は石井先生の切なる申し出を受け、放課後短時間ながらもモデルを務めることを決意した。
 ついては、なかなか二枚目の、気取った表情に仕上がりつつあった。もしかしたら、ルリ子さんが見ている自分なのだろうか……

         ※

 石井先生が緊急入院したのを知ったのは、冬休みが明けてのことであった。

 もちろん、信也は間近に迫ったの受験のこともあったにして、当然見舞いを考えていたのだが……その機会もないままに、石井先生の訃報を聞かされることになったのだ。
 ちょうど、受験に合格した直後のことであった……

  信也はその数日後、石井先生宅を弔問のために訪れた。
 対応してくれたのは、先生のお姉さんで、……改めて、ルリ子さんを溺愛していたという先生の話を聞かされた後、
「実は、高藤さんが見えたら、これを渡してくれって……言い付かったんです……」
 それは、十号大の二点の油絵、……そう。ルリ子さんの最後の肖像と、描き上がった信也の肖像に違いなかった。

         ※

 弔問の帰りに小雨がぱらついた。なんだか、石井先生の弔問ではなく、ルリ子さんの弔いのように思えるのだ。思い出が濡れるのを恐れ、信也はコンビニで買ったビニール傘を翳して……

 家に戻り、信也はその二点の肖像画を額に納め、壁の一隅に飾ってみた。
 絵の中のルリ子さんは、ほんのり頬を染め、つい隣の信也におずおずと視線を送っているように見えるし、叉、信也自身の肖像も、デート直前の緊張に顔を強ばらせているように感じられるのだ。

「どこに行こうか?」
「そんなこと……私に聞かれたって。信也君の連れていってくれるとこなら……」
「困ったな。ルリ子さんは、どこに行きたい?」
「そうねえ……でも私、世間知らずだし……」
「……そうだ、上野にしょう。美術館もあるし、動物園だって……」
「でも、雨……まだ降ってるみたいね……」
「春雨じゃ、濡れて行こう……」
「うふふ……雨の道行きね……」

 それでも、信也はやっぱり傘を差すことにした。なぜって……

         ※

 ふっと目が覚めた。ルリ子さんとのデートの始まる直前で、夢は切れて……
 いや、切れてなんかいなかった!

 壁に飾っておいた肖像画からは……ルリ子さんの姿も、信也の姿もかき消え、……雨に打たれたかすかな足跡が、地平線の彼方に溶け込んでいるのだ。

 ふと、傘をルリ子さんに翳している様が、夢とも思えず浮かんでくる。そう。昨日買った安物のビニール傘だ。たぶん、二人が身を寄せ合っても濡れてしまいそうなチャチなやつ。

 当たり前のように、玄関脇からその傘は消えていた。

 信也は泣いた。悲しいのか嬉しいのか……それも分からない。それでも信也は泣き続けた。
 相合い傘の二人が……夢の彼方に消えてゆく姿を思い浮かべながら……

                了

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