見出し画像

過去に戻りたいと願う彼女と

人の話を聞くのが好きだ。

じゃぁどんな話でもいつまででも聞いていられるかと問われたら、さすがに「どんな話でもかぁ‥」と空を仰いでしまうが、たいていの話は聞いていられる。
例えば何度も同じ話を聞かされても、そのことがよほど心に残っているということなのだとしたら深堀って聞きたくなる。
そして多くの人は同じ話を何度もするものだと私は思っている。自分も含め。

ただ、同じ話を何度もしている、等というレベルではない友人がいる。
私の知る限り彼女は数年に渡りずっと同じことを悩み、私に話してくれる。
何故数年に渡っているのかというと、悩んでも解決しえないことだからだ。
何故解決しえないのかというと、その悩みは「過去に戻りたい」という気持ちに辿り着くものだからだ。

つい先日、彼女が「いつも同じことを呟いてごめんね」と言った。
驚いた。いつも同じ呟きを聞くのが苦痛だと思ったことは無かった。共感するところとしないところが半々だったからかもしれない。

当然私にも過去に対する反省や後悔は山ほどある。でも戻りたいと思ったことはほとんどない。どんなに悔やんでも願っても絶対に戻れないことは分かっているつもりだ。「充実していた」と思うあの瞬間をもう一度求めるなら、今と明日を見るしかない。
そしてそんな正論が聞きたいわけじゃないということも分かっているつもりだ。

分かっていても戻りたいと思ってしまう。
進みたい道は行き止まり、さらに山の中で霧に包まれてしまい他の道があっても見えないような感覚なのだろうか。想像すると怖くて切なくなる。
手を引いて視界の開けたところまで連れて行ってあげたいのに中々どうしてその手を掴めない。
その話を聞くたびに私は「過去に戻らなくていい。今だって充分いいじゃないか」と思ってもらえるよう願いを込めて最大限の言葉をひねり出してきた。それでも「いつも同じことを呟いてごめんね」と言う彼女に、もう言葉は要らないのかもしれない。

ならばたまにはワインでも飲まない?と誘ってみようか。

分厚くて年季の入った木のカウンターがあって、その奥にシブいバーテンダーが寡黙に控えているイメージのBARで一杯出してもらおう。
イタリア トスカーナのポッジョ・ディ・ソットのブルネッロ・ディ・モンタルチーノがいいなぁ。

このワインはDOCGで、有名な生産者で‥なんて小難しい話をしなくても、押し寄せてくるような凝縮した果実味、重苦しくなく、明るく、気品に満ちた味わいにハッとするはず。隙間という隙間を瞬時に埋め尽くすような密度の濃いエネルギッシュな味わいは、登山で山頂に辿り着いた時の、急に360度視界が開けた爽快感のような高揚した気分を味わわせてくれる。
これを飲めた自分を祝福したくなるような特別なワインだ。

「このワインを飲んで悩みは忘れて」なんて言いたいわけではないけれど、もう理屈ではないのだろうから。
「戻りたい」と思ってやまない美しい過去があって、今の彼女がある。
確かにジェットコースターのような人生だけれど彼女は今も昔も知的で面白くて魅力的だし、その人生は彼女にしか歩めない唯一無二の人生だ。

このただただ底抜けに美味しいワインを飲んで、過去も今も何もかもひっくるめて「やっぱり自分の人生が愛しい」と思ってくれたらという願いを込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?