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すっきり!さっぱり!

学生の頃から使っていたインスタグラムのアカウントを消した。

消す直前までなんとなく消していいのかな~とか縁切ったと思われるだろうな~とかもったいないかな~とかいろいろと思考を巡らせてしまったが消すとすっかり気が楽になった。誰かに悪い念でも送られてたんじゃないかと思うくらい気持ちが急に軽くなった。多分ずっと前から消したいと思っていた、ずっと。


そもそも自分のSNSなので消そうがつくろうが自由なのだが、消すことには罪悪感があった。もともと私は自分から積極的にSNSを更新するタイプではなく、もっと更新してほしいだとかストーリーの閲覧者にいるのを見て生存確認が出来て嬉しいだとか言われることが多々あった。そういうこともあってアカウント自体を消してしまうことは関わりを断ち切るようで他の人たちに失礼なのではないかと思うようになっていた。

フォロワーは学生時代の同級生に先輩や後輩、アルバイトが一緒だった人、前職の同期に友達の友達のたいして仲良くない人。SNSを見ているとライフスタイルが変わることで交友関係が変わることは仕方がないことなのだとしみじみと思う。独身の友達は旅行やカフェ巡り、推し活に夢中。一方で出産した友達は子供の内容がほとんど。共通点が減ると共通の話題もなくなってくる。経験した人にしかわからないこともあるだろうし、話を聴くことはできても逆にそれくらいしかできることがない。


プレゼントをもらったり何かをしてもらった時だけとりあえずその人をメンションしてストーリーを更新する。自慢ではなく、メンションしたこの人はこんなことをしてくれる良い人ですよ~という意味で。別にそんなこと気にしていない人もいると思うが気にする人もいる。実際私も気にしていなかったが、友達が別の友達に対して「何かをもらったらセンス良く撮ってメンションして株を上げるくらいのことはしてくれ」と言っていてこんな世界もあるのかと知った。

そんな同調圧力にもインスタグラムでは素敵な夫や父親、彼氏アピールをしているのに二人で会いたい、飲みに行こうと連絡してくる人を見るのも疲れた。当たり前のようにされている結婚や出産の報告もなんとなく義務のように感じる。


毎年誕生日プレゼントをくれる友達には何を持っているかわからないから誰かにもらったものや自分で買ったものをもっと載せてほしいと言われていた。単純にめんどくさいなと思う気持ちもあるが、それよりもなんだか載せることで金額などのプレゼントの差を気にしてしまう人もでてくるんじゃないかなど別の心配も浮上する。多分載せてほしいという人は自分のセンスに自信があって負ける気がしないから強気なのだろうと思うが、そういうタイプではなく単純に善意の気持ちでくれた人が傷ついたら嫌だ。

そんなことまで考え出すとすべてがめんどくさい。
もう無いほうがいいな、これ。そう思って誕生日を機に消した。

状況を知りたい人には自分から連絡すればいい。
無駄に悩まず軽く生きていきたい。


もし私と同じようになんとなく重荷になっているものがある人は思い切って捨ててしまうのもいいと思う。やたらと多方面への影響を考えてしまう人ほど無意識に重荷ができやすい。もちろん他人も大切だが自分の心は疲れていないか、そこも忘れてはいけない。捨ててみればなんだこれだけのことかと思うかもしれない。

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