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結局いつでも生きにくい

「不適切にもほどがある!」をみると前職の上司を思い出す。

第4話の既読スルーしちゃダメですか?はまさに上司にもみてほしい内容だった。SNSに翻弄される市郎にSNSに対する考え方を教える回。SNSは本気で向き合うものではない、真面目に向き合いすぎると疲れるよ~という話。


上司はなんというか昭和と令和のハイブリッドな感じだった。令和のことは必要な情報としてよく知っているが行動が伴っていないため一人の人間から昭和と令和の両方を感じることができる。

今はそういう時代じゃないからな~と言いながらも退勤後や休みの日にも構わずメッセージを何度も送ってきたり。異常に返事がはやくいつまでもしつこく返してくることから営業所内ではメール攻撃と呼ばれていた。

多分上司は他人にものすごく興味があってすべてを自分が把握しておきたいタイプなのだと思う。攻撃しているわけではなく他人も同じだけ自分に興味があると思っている。他人との距離感が近いタイプの人。他人に対して必要以上に踏み込むことが良しとされない時代ということは理解しているが、本人との親和性が低くハイブリッド化している。


そんな上司はマッチングアプリについては批判的だった。第9話にもマッチングアプリの話がでてきていた。上司からすれば名前を変えただけの出会い系サイトのことらしい。営業所の若手メンバーの中にもアプリを使っている人が何人かいたので根掘り葉掘り質問していた。

その中で一人なかなか恋愛がうまくいかない人がいた。

彼もまた教えなくてもいいのにぺらぺらと自分のことを話す。彼がなんでもかんでも話してしまうので営業所内の人間はだいたい彼の恋愛事情を知っていた。もちろん私も別に知りたいわけではないが自然と耳に入ってくるため知っていた。

どうやらメッセージで仲良くなった女の子にフライパンやら布団やらを買ってくれと頼まれているらしい。以前別の女の子にも水を買ってくれと頼まれたり何かのライセンスを取ってくれと頼まれていた。結局頼まれるばかりで実際に会うことはほとんどなく、当日や前日に突然約束がキャンセルされたり付き合うまでに至らない。

なんだか悲しい世の中だな~と思いながらも、実際に上司の明らかに悪意ある表情や話し方を目の当たりにしても自分の話を公にしてしまう人が文面や少ない情報だけで相手の善悪を見極めることは極めて難しいのではないかと思う。難易度が高すぎる。便利である一方でこちらにも見極める力が必要なのだとしみじみと感じる。


上司のことでもう一つ印象的だったことがある。
言い訳ばかりの営業担当者に対して「女の腐ったような性格してんなぁ!」と怒っていたことだ。これが私にはなかなか衝撃的だった。

なぜなら私は前社に入社した時に「おじさんもおばさんも一緒やな~」と思ったからだ。その前の会社では女性の多い環境で働いていた。その中でも仕事もせず自分で自分の機嫌を取ることもできない気の強いおばさんが何人かいた。私は周りの人たちがその人の機嫌を取るためにお世辞を言ったり煽てたりしているのを見てはなんて無駄な時間なんだと感じていたが、仕事を変えてからはそれがおばさんではなくおじさんになった。おじさんも愚痴が多くおしゃべりだったので、こういうのはやはり性別ではなく性格の違いかと強く感じていた。

その中でまさに私にそれを教えてくれた上司からこの言葉が出てきたので驚いた。私は人生で一度もきいたことがなかったが、こういう表現もあるらしい。この表現がさっとでてくるところもまたハイブリッドな感じだ。


上司を見ていると情報として知っているからといって実行できるわけではないと強く感じる。風通しの良い会社にするために匿名で行ったアンケートなのに誰が書いたのかを探ろうとする。やらないといけないからアンケートをしただけで本来の目的は達成されていない。結局本当に考え方や環境を変えていこうとしないとやることが増えただけになる。

今は「これをしたら相手が不快に思うかも」という想像力が求められる時代になってしまった。つまり想像力や対象者意識が乏しいと適応が難しい。行動としてNGだと理解していてもそこに自分も含まれているという意識がないと意味がない。セクハラ問題でも他の人が触っているのを見るとセクハラだと認識できるのに何故か自分はセーフだと思っている人がいる。こういう人は何を学んでも自分以外の話だと思っているので意味がない。しっかりと自分も含まれての話だと認識する必要があると感じる。


目に見えない感覚や価値観を合わせることはとても難しい。誰かの優しさからの言動も他の誰かから見たら過干渉だったりする。程よい距離感を求める人の距離感が遠く孤独を感じてしまう人もいる。どちらが正しいというわけではなく違うだけ。

最終回にでてきた「寛容になりましょう」、これは価値観や意見の相違があったときにこういう人もいるんだね~の気持ちでいようということだと思う。営業所内でメール攻撃だと呼ばれていた上司の行動も干渉が苦手な人の意見であって同じように他人にとても興味がある人からすれば嬉しく思うかもしれない。感覚が合わない人が悪い人というわけではなくて押しつけることが良くないのだと思う。ただ、感覚が合わない人に不快だと思うことをされた場合はどうにかして伝えるということをしないと察してはもらえない。嫌だと気軽に伝えられる関係なら苦労しないが、ほとんどはそうでないのが難しい。


結局昭和も令和も生きにくい。どっちにしろ声が大きいほうが勝っているように見える。「寛容になりましょう」もみんながそうできて生きやすくなるなら良いが、寛容な方だけが損する場合もあると思う。いろんな人がいるからこそ一気にみんなが生きやすい世の中にすることは難しい。それは仕方がないことなのかもしれないが、もし自分の周りにいる寛容で優しい人の存在に気が付いたら小さな声でも意見をきいてみようと思う。

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