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『少年生活』Vol.3 みずから的を置き、射抜く。

研究室にて

眠くないのに頭が働かない。今日の研究プロジェクトは始終そんな感じだった。考えても考えても何も見つからない。どう考えて良いかわからない。自分が何を考えてるかもわからない。ずっとパソコンに目を向けて、時には手元のノートにメモしながら、ずっと「宇宙ネコ」のような顔をしていた。

頭が働かない原因はたったひとつ。今目の前で行われている研究や、先輩たちの会話が一体なんの話なのかさっぱりで、付いていくことができていないからだ。目の前にあるテキスト(インタビューを文字起こししたもの)は何を意味しているのか、それをどうやって分析(明らかにしたい謎を見つける作業)するべきなのか、何もわからない時間が続いていた。そうやっているうちに貢献することもないまま、1日が終わってしまった。

しかし、みんな「手探り」だった。

だが、研究プロジェクトの終了後、驚くべき事実が発覚した。先輩たちも自分たちが何をしているかよくわかっていなかったというのだ。文字通り、手探りで考え続け、テキストの分析を行っていたのだという。そのくせ、「〜はこういう意味だと思う。」や「こういうふうに書いていけば良いんじゃない?」など、何もかも知っているような振る舞いで、的確なコメントも多く見られた。何よりも手を止めることなく、議論を続け、プロジェクトを前に進めていたのである。一方自分は何もわからないと思考が遅まり停止してしまう。(こうなると二度と帰ってこれない)はたして、この自分とのギャップはどこから生じてしまったのだろうか。自分と先輩の間には、どのような差があったのだろうか。

自ら的を置き、射抜くことが大切である

この小見出しは、ぼくが先輩に「こういう全員が手探りで進めているとき、どうやって考えたり、手を動かせばいいんでしょうね。」と質問した時に返ってきた答えである。抽象的で意味がわからない。が、ここでまた思考を停止してしまってはもっと意味がない。おそらくであるが、このような意味であると推測した。

漠然としていたり、何を考えるべきか明確でない場合、まず考えるアテ(的)を見つけてみる。そして、その仮説に対してひとまずの答え(射抜く)を出してみる。それが未知に向き合いつづけるときのコツである。

たしかに先輩を観察してみるとその節がある。テキストを読みながら、そのテキストを見て思ったことを口に出してみる。そしてここが自分が拾おうと思っている内容だと割り切り、ひとまず文章にしてみる。そして、その書かれたものを見直して、文字を削ったり、付け加えたりしていたのだ。まずは、漠然として未知なものを何かしらの意味で囲ってみる。もしくは、ゼロなものはいったんイチにしてみる。そのような姿勢が研究を間に進めるのだと思った。

「意味のある混沌」に立ち向かうには

このような誰も明確な答えを持っておらず、しかし、なにか大切なものが眠っていそうだと、悩んでいる状態をぼくたちのゼミでは「意味のある混沌」と呼んでいる。この混沌を抜けた先に、とてもよい質の答えが待っているのだと、その議論を降りることは基本的に良くないことだとされている。しかし、何もわからない状態で悩み続けることは、何か大切なことが眠っているとわかっていても、とても耐え難いものである。しかし、この混沌状態に向かう方法こそ、先の「自ら的を置き、射抜く」というものであると私は思っている。思考力、センス、悩み抜く体力をつけることと同等に、この《ひとまずの狙いと答え》をクセづけていきたいと思った。


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