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発展途上国の開発と環境

 国際協力といえば、国境越えた地球上のレベルで人々の生活を保障することを目的として経済財的、社会的、文化的、人道的、技術的支援・協力を行うことであると考える。幅広い協力分野をもつ国際協力であるが、その中で例えばある国家の「開発」に関する国際的な取組や支援も国際協力の一つであると言える。一般的な「開発」といえば、「発展途上国」における経済、政治、といった社会構造の改善から道路や建物といいたインフラ設備といった物質的な開発においていわゆる「先進国」や「国際機関」が支援を行うかたちが想像される。しかしながら、実際「開発」は必要であるのだろうか。また「開発」の行く末はどうなるのだろうか。このような疑問が浮かび上がってくる。

 「開発」は特に「発展途上国」と呼ばれる国々で著しく見られるが、まず「発展途上国における開発」が何を意味するのかについて考えてみたい。「発展途上国」または「開発途上国」という言葉は、ある意味「先進国」または「グローバルスタンダード」を基準としたときに「遅れが見られる」「伸びしろがある」ということを示唆しているように感じる。確かに、世界には一日の食事や生活費用、労働、住居、ヘルスケアサービス、教育など人が生きていくうえ最低限必要または「人権」のもとで満たされるべきものが十分に享受できない環境におかれている人々がいることは事実であり、そのような状況は早急に改善されるべき課題であると考える。しかしながら、ここで主張したいことはそのような生存権や人権と関わってくるような人間が生きていく上で基本的なものが満たされたうえで、必要以上に満たされた状態について問いたい。自国の経済成長のために「開発」自体が「目的」となってしまった場合、つまり「発展途上国」が国民の生活を保障し、また外の国との関係を築けるような「先進国」に近づいてきた時または「先進国」に達することができたとき、果たして「開発」は「成功」したと言えるのだろうか。

 豊かな暮らしを実現することを可能にした「先進国」が発展と共に直面してきた問題は「環境問題」であるということは周知のとおりである。「人間社会は太古より自然環境から再生可能な資源(Renewable Resource)だけではなく再生不可能な資源(Nonrenewable Resource)―石油や石炭などの化石燃料、鉱物資源―をも獲得し、これを用いて経済活動(必要な財の生産と消費)を行い、不要になったもの(廃棄物)を自然環境に戻すという一連の営為を繰り返してきた。」(藤崎 7) とあるように、「人間」の営みにおいて「人間」と「環境」は今も昔も密接な関係であり、人間が環境から恵みを享受する代わりに、人間が環境に悪影響を与えてきた積み重ねが「環境問題」として指摘され始めた。「環境問題」が指摘されている理由はその他にもいくつかあると考える。例えば、「環境問題」は「ヒトや動物の健康に害を与える可能性があるから」、「気候変動によって食糧や水不足の深刻化が推測されるから」、「国や地域といった単位だけでなく地球レベルでの問題であるから」、「現在だけではなく未来にも影響・課題を残すものであるから」などである。「自分たち[先進国]だけがアクション[環境問題への取り組み]を起こしたとしてもこれから全地球的課題の克服には十分ではないという観点から、途上国にも対応の対策をとるよう求めるというのが北―先進国の基本的スタンスだった。一方、1991年6月の北京宣言に代表されるように、南―発展途上国が結束して主張したのが『先進国責任論』である。産業革命以来の先進国活動こそ地球環境悪化の主たる原因である。」(藤崎 8) もし「今日の環境問題」が現在「先進国」が自国の発展と引き換えに地球にもたらした「解決すべき問題」であるとすれば、もちろん「先進国」が解決に取り組むべきであることは当然であると同時に、「将来の先進国」になりうる「発展途上国」の「開発」においても「環境への配慮」を意識した慎重な対応が求められるべきではないかと考える。

 しかしながら、「発展途上国」が「環境」よりも自分たちの「開発」ないし「経済発展」を優先するべきであるという理由に「豊かさの追求」「貧しさ脱出」があげられる。「地球環境問題に対する途上国の危機感には2つの側面がある。地球ないしは人類の未来に対する危惧はもちろんあるにせよ、主たる思いはこの問題が開発を制約する新たな要因となろうとしているという点にある。途上国を捉えているのは自分たちが『豊か』になる機会が永遠に失われる、『貧しい』ままにとどめられてしまう、という強い焦燥感である。」(藤崎 9) 「発展途上国」にとって「貧しさからの脱出」「豊かな生活の確保」が「環境問題」よりも優先される傾向にある。「貧しさ」を解消するという目的のために「開発」ないし「経済発展」がある一方で、「開発」ないし「経済発展」があるために「環境問題」が引き起こされるというジレンマに「発展途上国」は陥るのではないだろうか。

 

 それでは、「発展途上国」は「環境保全」のために「開発」をやめるべきであるのだろうか。おそらくこの問いに対して「Yes」と答える人、特に環境問題を経験した先進国がいたとしても圧倒的に「開発」を続けていく「発展途上国」は多いに違いない。なぜなら、「開発」特に「経済発展」が自分たちを「豊かにするもの」「貧困から脱出させてくれるもの」であり、「先進国」となることやグローバルスタンダードに達することが「世界」への一歩であるからである。だからこそ、発展途上国」は「開発」「経済発展」と「環境」に折り合いをつけ、「環境への配慮」を視野に入れ「先進国」と並んで「環境問題」への取り組みを行っていく必要がある。

 
 さらに「発展途上国」は、「環境」の分野だけに限らないが「先進国」の姿をなぞり同じ失敗を繰り返すような国であってはいけない。同時にそのような「先進国」にならずに済むという可能性をもっている。つまり、「発展途上国」は「先進国」が「開発」に取り組み「経済発展」してきたことをなぞらえるにあたり、そこで直面した数々の失敗や成功を学び活かすことができるという「後発性の利益」をもっているのだ。(藤崎 27)もし、「後発性の利益」を活かせるならば環境と開発のバランスの取れた「先進国」を飛び越えた「先先進国」になりえるかもしれない。現在の先進国でさえ「環境問題対策」「環境保護」は永遠のテーマであるからこそ、いわゆる「先進国」と呼ばれるような「国」になる前、「発展途上国」の段階での経済、政治、といった社会構造の改善から道路や建物といいたインフラ設備といった物質的な開発を慎重にかつ賢く進めていくべきなのである。また、「発展途上国」の「開発」を国際協力といとして経済財的、社会的、文化的、人道的、技術的支援・協力を行う場合も同じであり、むしろそのような外からの支援・協力による知識や技術の共有によって「後発性の利点」を活かした「発展途上国」の「新たな先進国」への一歩を後押ししていくべきであるだろう。


«学部時代のレポートより抜粋»

藤崎 成昭『地球環境と途上国〛1993年.3-30.


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