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さすがに保護責任の放棄になり得ると判断して通報した

 ちょっと前に初めて救急車に乗った。同居する祖母が体の痛みを強く訴えたので、自宅から119番して病院まで付き合ったのである。祖母は九〇歳を超えていて認知症がかなり進んでおり、その時期はよく深夜に叫び声で助けを求めることがあった。それだけ元気があれば大丈夫だと思うような力強く攻撃的な声に、僕は自分の喉の強さの遺伝元を確信したものである。そんな状況に慣れていたのでその時も大したことではないと分かっていたのだが、ちょっと常軌を逸した痛がり方をしており、これを見過ごすとさすがに保護責任の放棄になり得ると判断して通報した。救急隊員に血圧を測ってもらう際、計測機器の収縮する動きに対して祖母は「痛い」と絶叫した。あの僅かな圧迫に激痛を感じるほど体が弱っているのではなく、あれを痛みだと錯覚してしまうほど認知能力が低下しているのだという印象を受けた。病院についてちゃんとした血液検査や尿検査などを行い、全く異常がないことを確認してすぐに帰宅できると判断された。病院にしては珍しくクレジットカードで支払えた。

 それを切っ掛けに祖母の要介護の階級が一つ上がり、現在はほとんどの平日の日中はデイサービスに行き、週末にはショートステイをしている。それ以外の家にいる間は目が離せない。少し気を抜くと洗濯機や炊飯器は止められるし、洗っていないコップや皿を食器棚に戻される。勝手に二度目の昼食を摂るし、猫にガチギレして暴力を振るう。テレビのボリュームをマックスにして家をクラブ状態にするし、もう何年も使っていないコルセットを探してそこら中をひっくり返す。僕がシャワーを浴びているところに何度も入ってきて「もう寝る」と怒鳴りにくるし、なぜか夜に玄関の外の照明を点けたり消したりする。ちょっと前にグラミーを獲った韓国映画の『パラサイト』でそんな描写があった気がするけれど、もしかしたら誰かにモールス信号を送っているのかもしれない。

 そんな訳で意思疎通には根気がいる。祖母は耳が遠いせいでこちらの言うことを単に聴き取れないし、本人はそれに慣れて理解していないのに相槌だけ打つ癖がついているからである。英語を話せるようになってきた時の僕も大体そんな感じだった。僕は祖母になるべく簡潔に「はい」と「いいえ」を伝え、時にはホワイトボードに文字を書いて情報を伝える。見方によっては適当にあしらっているように捉えられるかもしれないが、こちらとしては単にコミュニケーションをシンプルに保っているだけである。考えてもみれば、それは基本的に誰に対しても同じだ。
 しかしそれでも、短期記憶を維持できない祖母の頭の中でどのような思考が巡っているのか、僕には見当もつかない。ただなんとなく分かるのは、少なくとも百歳までは健康に生き続けるだろうということだけだ。


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