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【育児】娘、何かを話し始める

娘が生まれて早いもので、もう半年が経った。
生まれて間もないころはものも言わず目もほとんど開いていなかったわけだが、時間が経つにつれ加速度的に赤ちゃんは成長していき、こちらのほうが日々驚かされるようになっていく。

最近になって娘は「マンママンマ」とか「ポァ…ポァ…」とかいうようになった。おそらくママとパパと発声したいのであろうが、うまくいったりうまくいかなかったりしながら、懸命にアウトプットを繰り返している。発話するだけで親としては「おお!」と喜びがあふれる。

お風呂に入れているときに空腹だったりすると母乳を欲しがるのか「マンマ!マンマ!」と大きな声で泣きながら、私のわき毛や胸毛などを力強く引っ張っていることもしばしばである。
また、赤ちゃんの発話の代表例として「バブー」という言葉があるが、時々本当に「バブー」と発話することがあり、育児の過程で「赤ちゃんが『バブー』って言うのは嘘じゃないんだな…」といまさらながら感心することもある。

「マンマ」とか「バブー」のほうは実にほほえましいのだが、「ポア」というのは某宗教団体の非常に物騒な隠語でありきわめて危険なので一瞬ドキッとするのだが、無垢な娘が何も知らずに「ポァ…ポァ…」と発声練習をしている姿を見ていると、これを遮るのも憚られることもありただ「パパ!すごいねえ」などと都合よくこちらが言葉を変換し、適当に相槌を打っている。

赤ちゃんの発話は、親の真似でもある。振り返ってみれば、奥さんがちゃんとした日本語でよくしゃべりかけているのでその影響が大きいのだろう。なお私は「ドゥア」などとウルトラマンよろしくあまり意味のない音を発し続けるばかりである。

赤ちゃんにはかれこれ、生まれた時からあれこれと話をしている。それを半年繰り返してようやく「ポア…」などと言い始めるのが赤ちゃんなのだ。

思えば、外国語の習得においては「赤ちゃんと同じように耳から学びましょう」というような言説がある。確かにそれは一定程度正しいのだろうが、右も左もわからない状態で意味不明な言語を半年間、ただ浴びせられ続けることに耐えるというのは、相当な忍耐力が必要になる。大人であればコミュニケーションが取れないもどかしさにしょんぼりとすることもあろう。

そう考えると、半年間の「意味不明な言葉をただただ浴びせられ続ける」という日々を積み重ね、数少ない言葉をどうにか発話しようと頑張る娘はすごいことをしているのだろう。言葉を発してただ驚くのみならず、その過程で子供が(たぶん、それを努力だと思うこともなく)途方もない努力をしていることにも目を向けられるようになったのは、親としてのちょっとした学びである。

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