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メタ倫理学と表現規制(メモ)

表現規制関連の分野で「実在」という言葉が良く使われている(例えば、山田太郎議員などが顕著な例である。https://taroyamada.jp/wp-content/uploads/2020/08/c619fc6afac768e4621f44a0f0be974c.pdf)が、メタ倫理学の観点からしてどうよ?ってのと私の無意識をメモメモ。
🌾(米印の代わりに)私は如何なる表現規制に反対である事は前置きしておきますし、この文章自体は、成る可く中立に書きたいと思います。

「メタ倫理学」とは

メタ倫理学の詳しい説明は他に譲るとして、簡単に言えば道徳の「定義」を問う学問で、

  • 「悪い事」の「悪い」とは何なのか。「道徳的な振る舞い」って何?

  • 「倫理的に正しい答え」って常に自明の物なの?

  • 「倫理的な判断」とそうじゃないものの違いは?

といった、概念を問うていく学問なので、セクシュアリティに関することで言えば、小児性愛の問題を語るのに役に立つかもしれない(https://note.com/0q0/n/nad43de7a15b9 にも書いたけれど、そもそも児童虐待と関係ない、少女型ラブドールを規制せよという話が出てきたりする事からもそれは証明になりうる)。
「メタ」と言う概念は、マトリョーシカを思い出して頂くと分かりやすいかもしれない。
マトリョーシカの中に少し小さなマトリョーシカがあって、また小さなマトリョーシカが……

わーい!メタなマトリョーシカだー!

こんな感じだと思って下さい。小さなマトリョーシカが「メタ」です。

表現の自由と「実在」

創作物の表現の規制に反対する立場でよく見かけるのですが、被写体の存在する児童のヌードや、児童性虐待記録物との差別化を図る目的で、「実在」という言葉を使っているのをよく見かけます。
児童ポルノって言葉は色々ややこしくって、清岡純子レベルのヌード位の物だと、ドイツやアメリカでは、児童ポルノには非該当だったりする(実際の所、70年代、米国でティーンや子供のヌードが出回りまくって、道徳主義的な観点から規制されたんだよね)。ここでもそう書こうとしたが、やめた。児童ポルノ解禁も、定義をハッキリさせるならありだと思う(ヌードやちょっとエッチなグラビアと、アメリカやイギリスなんかでたまにあるような幼児を犯しているような、ポルノグラフィというより虐待だろって物ではレベル感が全く違うし)。
個人的には、「実在」なんていう哲学や倫理学で使うような言葉を振り翳すより、定義をまずはっきりさせておくべきだと思います(この試み自体は、なされていると言えばなされているのですが、不十分感も否めません。「実在」の定義について、哲学/倫理学的な検討もすべきでしょう。はhttps://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/190/touh/t190067.htm)。

軽くメタ倫理学に検討してみる

Twitterなんかを色々見ていると、強固な実在論の観点から、子供という概念を捉える立場(規制に反対する立場からも、規制派でもいる)や、普遍主義の観点から捉える立場(白人至上主義、異性愛再生産規範を内在化したキリスト教系の団体(矯風会とかECPATとかね)、BBCなんかの西洋系のメディアや書き手はこっちが多い)や、道徳的相対主義の観点から子供概念や、フィクションを捉える立場など、規制派も規制反対派も一枚岩では無いし、そこら辺が面白い所ではあります。それぞれの理論の特徴と欠点も、また書いてみたい。
取り敢えず、メタ倫理学はいいぞって事だけは。

参考文献


『メタ倫理学入門 道徳のそもそもを考える』佐藤岳詩著、勁草書房、2017年。


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