夕方、のびのびしている入道雲を見て、夏やん、と思った 最近何を着ればいいのかわからない。 20°って暑いの?涼しいの?普通なの? てか、普通って何?もう温暖化は進んでいる。 かつての普通といまの普通はまったく違うものだ。 今朝いいものを見た。 駅前で父親と、息子とみられる小学生2人がバイバイ👋🏻しながら別れていった。 父親の方は名残惜しそうに振り返ったりなんかして、ねえ、お父さん、こうやって一緒にお家を出れるのも、あと何年でしょうかね?なんでもない日常を大事にしてね、子供
前編はこちらからご覧ください 無事仮免許を取得し、初めて路上に出る。 ……前に、岸さんというインストラクターが車の部位について説明してくれた。トランクを開けて、スペアタイヤや工具があること、エンジンルームを開けて、バッテリーがどれで、これがこういう部分で、と クイズを交えて教えてくれた。 路上は楽しいと色んな人に聞いていた。なぜなら、景色が変わるから。 実際に路上に出てみて、自分で車を運転しているという確かな感覚があることや、免許取得への高まる期待、山が近くて、田んぼ
Lana Del ReyのBorn to Dieを聴いている。何日かぶりに晴れた昨日と私の心は打って変わって雨を降らしている。悲しませないで、泣かせないで、時々愛だけでは足りなくて、人生がつらくなる。まったく歌詞の通りだ
1月20日から2週間(実際には12日)免許合宿に行ってました…………………… この春休みに免許取りたいな〜っていうのは大学2年生になりたての頃から漠然と思っていて、当初は恋人と「一緒に免許合宿行く〜?」みたいになってたんですけど、どこも埋まってるな、高いな、などとチキっていたらもう手遅れな時期になってしまって、一緒に行くことは断念。 私はもう絶対取るぞ!って思ってたので、恋人を置いてちゃっちゃと申し込み、無事合宿先が決まり、手続きをし、あとは向かうのみ!の状態まで仕上げた
Lana Del ReyのSummertime Sadnessを聴いている。リビングでトーストを齧りながら私の頬は涙に濡れている。私はいつも恋人との間にあることで悲しくなる。Wintertime Sadness とは聞いたことがない。夏ばかりが悲しみを背負うのは、何故
本当は年内に3記事更新したかったのだが、この記事で精一杯かもしれない。そのうえ文量にもあまり期待できない。なぜなら、これを書いているのは(2023年12月31日13:52:54)、年内最後のバイトに向かう電車の中だからだ。次の停車駅は船橋。水道橋まではまだ少し時間がある。どこまで行けるだろうか。なんならバイト休憩中にも書き進めようと思っている。頑張るぞ! まずこのノートでしたいのは2023年の振り返り。 いくぞ! 1月 元旦からアルバイト&正月特訓に勤しむ 2月 中学の
39度の熱に浮かされながら記事を書いている もう4日間もこの状態だ おそらく細菌性のもので、喉の激しい痛みと、高熱に悩まされている 病気になることを古語では「なやむ」と言うが、ここから来ているのだろうか? とにかく状態が良くなくて、毎日毎日9度そこらの熱が続いているし、喉の方も唾液の嚥下すら痛いレベルで腫れてしまっている 解熱剤で熱を下げても、効果が切れれば悪寒とともに身体はすぐ火照りだす まるで蠍の火だ 真夜中、身体中が燃えているような熱さで起こされたときの慰めは
まずは人に褒められた写真を見せつけるとするか 大学一年生の冬休み、すべてアルバイトで終わってしまうのは勿体無いなあと思い、急遽久里浜へ しかしこの日も17時からアルバイトの予定があったため、電車ではなく東京湾フェリーで向かうことに🚢 私は定期的に海を見に行かないと死んでしまう病気だし 実は昨年の3月から“のぼれる灯台16基スタンプラリー”(https://www.tokokai.org/about/stamprally/)を始めて、そのうちのひとつである観音埼灯台にも
https://twitter.com/s96405539/status/1521810471602380801?s=21&t=mvldCeFSxQ6cDugvM47YOA このツイートを見て、ふと思い出したことがあって記事を書いている。 と言っても、アレルギーに関することじゃなくて、皮膚繋がりで思い出したことなんだけど。 幼稚園年中さんから小学校2年生まで、スイミングスクールに通っていた。 両親曰く「万が一水難事故に遭った時のために、泳げた方がいいだろう」というこ
お久しぶりの更新です。 わたしは基本的にひとりで行動することが好きで、それはたとえば、ひとりで行動するときの完全な自由さや身軽さが性に合っているからだろう。 孤独ともうまく付き合える。 ひとりでいることを相当満喫できるし、むしろひとりの時間がないと生きられないような人間だ。 けれどもこの頃は、自分のため、自分ひとりの満足のためだけに行動し、生きていくのに、正直なところなんだか飽きてきたというのが本音だ。 確かに他者と共にいるということは気を遣うし厄介だし、自由が制限
「いつから好きだったの?」 そう聞かれてもきっと、わたしは答えられない。 向こうに聞いたこともないけど、わたしと同じで答えられないんじゃないかな。どうかな。 答えられないけど、 と思った瞬間があったことは覚えている。 最初はなんか、“名前が難しい人” というイメージしかなかった。 ファーストコンタクトは高校二年の秋頃だったろうか。 まだわたしは後輩が苦手だったし、 一時的に文化に入るという彼に興味もなかった。 あの頃の彼の顔も思い出せないし、 生徒会選挙で
カフェオレを飲んでいたら急にシナモントーストが食べたくなったので、作った。 幼い頃はシナモンのことが苦手だった。 祖父母の家の台所ではいつもシナモンが香っていた。 あの独特な匂いがどうにも好きになれなくて、ずっと鼻をつまんでいた。 それからも苦手意識が消えることはなかった。 高校に上がって、喫茶店でバイトを始めた。 メニューにはシナモントーストがあった。 人気のある定番メニューで、オーダーが入れば自分が作ることもあった。 仕事なので「ああシナモンの匂いがするな
わたしは目が悪い。 それはそれはもう、本当にひどいくらい。 わたしより目が悪い人に現実世界で会ったことがないレベルで。 確かに存在するはずなんだけどね。 両親揃って目が悪くて、眼科医からは「近視ですね、遺伝性の。」と伝えられた。 わたしは幼い頃から本が好きで、週末祖父母の家へ泊まりに行っては重畳に置いてある童話集なんかを読み漁っていた。 庭でおままごととかスケボーとか、割と外でも活発にひとり遊びをする方ではあったけど、本を読むことが一番好きだったな。 それが拍車