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映画「ウエスト・サイド・ストーリー」(2021)

2月は見たい映画が目白押し。ということで観てきました。

子どもの頃にいとこだったか、なかよしのお姉さんだったかが大好きで、何度も見た記憶がある。ジェット・ソング、マリア、そしてトゥナイト。群舞で脚を高く上げるダンスを覚えている。なんとなくロミオとジュリエットを連想していたけど、ラストはどうだったかはっきり覚えていない。マリアが泣き叫んでいた記憶しかない。
もともとは1957年初演のブロードウェイミュージカル。作曲はレナード・バーンスタイン。私が見ていたのは1961年公開の映画「ウエストサイド物語」

《STORY》
夢や成功を求め、多くの移民たちが暮らすニューヨークのウエスト・サイド。 だが、貧困や差別に不満を募らせた若者たちは同胞の仲間と結束し、各チームの対立は激化していった。 ある日、プエルトリコ系移民で構成された“シャークス”のリーダーを兄に持つマリアは、対立するヨーロッパ系移民“ジェッツ”の元リーダーのトニーと出会い、一瞬で惹かれあう。この禁断の愛が、多くの人々の運命を変えていくことも知らずに…。
公式HPより

今回はスティーブン・スピルバーグ監督・製作。2021年12月に日本公開予定が、アカデミー賞を鑑みてか2022年2月公開。製作開始は2018年。リメイクってもともとの評判以上のものを求められる。良作であればあるほどそう。私の知る限りでは「ジャージー・ボーイズ」がブロードウェイ作品を文字通りそのまま映画(クリントイーストウッド監督 2018)にしていて、びっくりしたのを覚えている。さて、今回のWSSはどうなる?どうする?と思いながらスクリーンの前に座ったんだけど、「ジェット・ソング」に心が弾み、「マンボ」「アメリカ」に心が躍り、「トゥナイト」に心が高揚する。なんなら一緒に歌ってしまいそうな勢い。音楽の持つ力の大きさを感じた作品だった。
そして子どもの頃にはわからなかった社会的背景がはっきりと描かれていた。

リンカーンセンター建築(1955-1969)のために周辺スラムが潰されている場面から始まって、移民迫害だけではなく、弱者・貧困層全体への迫害、その中で生まれた子ども。単なる白人と移民のナワバリ争いで人種差別なのかなと思っていた。でも今回ジェット団も白人だからって優位というわけではなく、移民と同じくらい富裕層から蔑ろにされ疎まれている。なんなら移民からも迫害され、近いうちに最下層になりそう。最下層での足の引っ張り合い。
そして青年ってイメージだったジェット団もどことなく幼い。少年だった。特にリフは力にものを言わせるんじゃなくて繊細さが放つ強さというか。ベルナルドの力強さとはまた違う強さがあったし、2人の強さが対照的で2人とも憎めなかった。

そして女性に対する視点。
まずトニーを庇護するプエルトリコ人のバレンティーナという女性。彼女が歌う「サムウェア」は彼女が生きてきてずっと願ってきたこと、叶わなかったこと。そしてこれから叶えてほしいことだったように思う。周囲の不良たちが慕う歳上は男性の方が当時の世界ではあり得るのかなと思うけど、女性であってもその役割はかわらず、自然だったと思う。
次にベルナルドの恋人のアニタ。
「アメリカ」は夢見るアメリカンドリームではなく、夢見てもどうしようもない現実がある。でもそれでもやっぱり「アメリカ!」と讃えていたアニタが、故郷に帰ろうとベルナルドに言われてもそれでもやっぱり「アメリカ!」と讃えてたアニタが、最後の最後でやさぐれジェット団に襲われかかって「私はアメリカ人なんかじゃない、プエルトリコ人だ」と吐き捨てるのがとてもかなしかった。愛していた人が死に、アメリカに傷つけられ、アニタはこのあとプエルトリコに帰っちゃうのかな。そういえばこのやさぐれジェット団にアニタが襲われるシーン、ジェット団の女性達は最初追い出そうとしたアニタを守ろうとし、バレンティーナがやさぐれジェット団に「子供の頃から知ってる、ずっと見てきた子たちがレイプ犯になるなんて。(亡くなった)リフに恥をかかせるな」とはっきり非難する場面になっていたのが、今リメイクされる意味を感じたシーンだった。


さらにLGBT。
ジェット団に入りたいけれど、疎外されている少年。疎外されるから悪事は一緒にできないけど、勝手に見張り役をして、なんとか仲間になろうとする少年。その少年が警察署でジェット団側ではなく向かい合う女性側の椅子に腰掛け、それを揶揄するジェット団の会話でその少年が少女ということに気がついた。これはリメイクだから?もともとなのかな?結果的にシャーク団の動きを見張り、チノが銃を持っていることも把握し、それをジェット団に伝えることで「ダチ公」と認められる。ジェット団に入りたいのは何も男性だけではない、女性がいても不思議ではないし、そこに男女の別を作る必要はない。これもリメイクされる意味を感じるシーンだった。

トニーとマリアは、ま、いっか。恋ってこんな感じだよね(昨日からこればかり言っている)話が進めば進むほど、2020年に観た舞台「泣くロミオに怒るジュリエット」と重なって、5月に観る予定の「富美男と夕莉子」もこんな感じになっていくのかなと思ったり。今年、ロミジュリベースの作品を観ることが多くなりそう。そしてシラノを含めてバルコニーのシーンをたくさん観ることになりそう(シラノ・ド・ベルジュラックはバルコニーではないけど、クリスチャンが愛を伝えるシーンはバルコニーっぽいよね)でも決闘を止めるためにもうちょっと奔走してほしかったし、確か素手で戦わせることにするんじゃなかったかな。あと、チノももうちょっとマリアへの想いやトニーへの嫉妬を出してほしかったな。あれでは親友のベルナルドの仇討ちみたいな印象しか残っていない。ベルナルドを刺したからというのもあるだろうけど、それ以上にマリアを思っていたからだし、それもひっくるめてトニーが憎かったからだし、マリアがトニーに駆け寄ったから衝動的にのはずなのに、なんだかあっさりだったな。そこは重要ではないってことか。

時を重ねても差別や偏見、争いはあるし、なくなってはいない。ずっと存在している。きっと当時より複雑で影を落としている。でも当時は触れられなかったことが触れられるようになり、メッセージとして表現でき、伝えられるようになったことに今リメイクされて観る意義があったように思うし、救われた感じがした。

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