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舞台 「染、色」

観たものや読んだものの感想を気軽にかけるようにnoteを登録した。月影とかスマ落とか書きたいものがたくさんあるけど、最初に書くのは「染、色」。本来であれば2020年に観る予定だった作品のひとつ。加藤シゲアキさんの初めての脚本作品。
染色が執筆され、小説 野性時代で発表されたとき、私のエンタメのほとんどはシゲを中心に回っていた。もちろん野性時代も読んだし、「傘をもたない蟻たちは」でも読んだ。傘蟻がドラマ化されたときはラストシーンの描写がむずかしいこともあっておそらく映像にならなかったであろう染色。舞台化されると知って「あのラストそのままするの?」と真っ先に思った。でも、いつだったかな?タイトルが「染色」ではなく「染、色」と知ったとき、私が知っている作品のパラレルワールドかもしれないと思った。
本来の予定よりも1年が経過し、パソコンの画面で観ることになった「染、色」は登場人物が増え、主人公の名前が市村から深馬にかわっていた。その深馬にはいろんなバックグラウンドが脚色されていた。なにより要である1人の登場人物の名前が「美優」から「真未」になっていた。

秋に咲いた桜は春にも咲くのか

深馬はシゲみたいだった。シゲ本人もあとで言っていたけど。というか、この作品の男性陣、みんなシゲみたいじゃなかった?特に冒頭の“秋に咲いた桜は春にも咲くのか”って話は確か「星の王子さま」の歌詞にも出てきてた。本来春に咲く桜が秋に花を咲かせることは“狂い咲き”や“返り咲き”と呼ばれている。入学したときにたまたまうまくいって周りに持て囃されただけ。卒業を控えた作品展を前に何も描けなくなった深馬がそのたまたまうまくいった頃のことを“秋に咲いた桜(狂い咲き)”と表現し、正しくまた春に咲くことができるのか北見に何度も聞いていたのはスランプから脱せれると誰かに言ってほしかったってことなんだろうな。
「普通だね」って言われて自意識拗らせてる深馬もまさにシゲ。どのキャラクターもセリフもシゲの余韻を感じて、久しぶりにシゲの世界を一気にのぞいた感じがした。原田の「可能性が開くときは一方で別のなにかの可能性が閉じようとしているとき」と深馬の「真未みたいにちゃんとした自由とちゃんとした不幸がある人には俺の辛さはわからない」はこの作品の中で好きなセリフ。

杏奈のこと

杏奈は原作よりも清楚で健気な深馬に好かれよう(嫌われたくないの方が強いかな)とするタイプ。重い。めちゃめちゃ重い(笑)。深馬のセリフや表情から時々滲ませる「めんどくさい」がよくわかった。原作の方がもうちょっと狡賢くて、天真爛漫な感じ。でもどちらも女子から嫌われるタイプで、なんなら「染、色」の杏奈の方が典型的な女子に嫌われて、男子に好かれるタイプ。だからかな、真未みたいなタイプより杏奈のようなタイプを深馬が彼女として選ぶのは良くも悪くもわかりやすかった。全然関係ないけど、名門の女子大に入り、大手には一通りES出して総合商社に行くってリアルだったな。なんでそこまで書けるんだろう。

北見と原田のこと

北見、原田は「染、色」のみで出てくる人物。2人とも深馬のこと憧れていたし嫉妬もしていた。というかこの作品の登場人物全て深馬に憧れと嫉妬を抱いてる。就活スーツに身を包んだ杏奈と就活の話をしている北見や原田との(作品展)シーンや居酒屋でスーツを着た北見や原田と卒業祝いの(伏線回収が始まる)シーンを観たときに、シゲが何かのインタビューで「(デビュー後)自分はいつも通りの学生生活を送っていたけど、だんだん周りの友人や同級生が就活やESが話題になり、スーツ姿を見ることが多くなった」って話をしていたことを思い出して、就活やスーツ姿ってシゲから見ると憧れの象徴でもあるのかなと思ったりもした。やっぱりこの作品は“憧れと嫉妬”にあふれている。

滝川のこと

滝川も「染、色」のみで出てくる人物。滝川は深馬に「誰だ?誰がお前を変えた?誰かの力で誰かになろうとしている」と問い詰めていたけど、真未は深馬の中にいたから結果的には深馬1人で描いたんだよな。才能が開く、開かないの差はここなのかもしれないし、この差はどんなに努力しても縮まらない。せつないな。滝川も深馬に嫉妬していたし、ある意味嫉妬に狂っていたけど、画家になる夢を諦めきれずにフランスに渡ったのはホッとしたし、未来を願わずにはいられなかった。

真未と美優

真未は美優と全くかわってた。パラレルワールドだから当然と言えば当然なんだけど、出会いも深馬ののめり込みかたも、そして最後というか真未が意味するものも、なんなら原作が持っている色を全てかえてしまった気がした。途中から真未が死神のように見えて、深馬死んじゃうのかなと思ったりもしたし、2人で作品をつくっていくシーンみながら2人で1人なのかもしれないなと思ったりもした。個人的には真未より美優の方が好き。美優は芯のある自立した女性。ちゃんと将来のビジョンを持ち、自分で生きていく力のある女性だと思う。真未も芯のある女性のように思うけど自分の思いだけが原動力のような、破壊的というかどこか危なっかしくて子供っぽい印象を受けた。全てを観てしまえば美馬の中にいる人なのだから、美優とちがうのは当然なのだけど、真未に覚えた違和感は観終わるまであったしずっと引きずった。
「染、色」の大きなちがいは美優と真未の成り立ちと関係の結末だと思う。美優は実在人物で最終的には先を進んで市村から離れていった、真未は実在せずに実は深馬の中にいて自分の中に昇華させた。主人公(市村と深馬)が感じるのはどちらも持たざる才能や考えへの憧れだったり親しみだったり嫉妬だったり焦燥だったりするのだけど、その対象を全く別人格にし、自分の手から離すのと自分の中に入れてしまう、決して交わらない染色の世界。ほんとに…シゲアキさんよ!!
真未の解釈は人それぞれだと思う。「深馬の幻想」「深馬の別人格(つまり二重人格)」さっきは実在しない人物って書いたけど、実際のところ実在しているのかしていないのか正直よく分からない。実在していてもいいような気もする。真未に覚えた違和感が自分の中で滲んでシミみたいになっていくのがこの作品のおもしろさなような気がして、それを今は楽しめたらと思う。

研究室に杏奈が遊びに来て、深馬たちがわいわいしている最初のシーン。バルーンが破裂した衝撃で倒れそうになるキャンバスを受けとめる深馬。受けとめた深馬の腕には絵具がついていて笑い出す深馬のシーンから黒インクが滲んでいくように舞台を包み、「染、色」の題字が映し出される。ここが真未が深馬の中に出てきた、深馬に真未の色をつけた最初だったのかもしれない。事実、次のシーンから真未が登場するし、クライマックスの伏線回収もこの後からだし。熱中症で倒れたあとの深馬は杏奈の家に住み着き、両腕についたインクをタオルで拭う。きれいになった自分の腕を見る深馬の前で真未が時折胸ぐらを掴まれるような動きをしながら踊ってる。インクをタオルで拭うこと、胸ぐらを掴まれるような動き、このとき互いが互いに別れようとした描写だったと思う。たとえ、一度ついた染みは消えなくても。
「染色」が発表されたのが2014年。あの頃のシゲには「染、色」は書けなかっただろうな。書けないというと語弊があるな。才能を具現化して(真未)表現するという発想は思いつかなかったんじゃないかなと思う。逆に今のシゲに「染色」が書けるかというと、書けるとは思うけどあくまでも作品のベースで発表するときは「染、色」になっていると思う。つまり作家として歩みはじめて、作家としてもアイドルとしてもいろんな経験を経た今だからこそ「染、色」は書けた作品なんだなと改めて思う。もしかしたら去年に公演していたら、こういうプロットではなかったかもしれないし、人物設定も違っていたかもしれないな。公演が延期になったことでできることも増えたって特典で話してたけど、才能を具現化する発想はいつどこで出てきたんだろう?シゲ部で話してるのかな?ところで、これ戯曲本として出版しません?(どさくさ)

山羊と蛇、いろいろ思ったこと

そういえば、スプレーアートで出てきた“山羊と蛇”って占星術で『互いに関係性が強く高め合っていく反面、それを維持するのは難しく破滅的な関係』を意味するみたいなこと(あやふや)をどこかで見たような気がするし、ギリシア神話ではライオンの頭とヤギの胴体、毒蛇の尻尾を持つ“キメイラ”という怪物で例えられたりしてる。“キメイラ”は様々な生物の要素を併せ持つ事から女性を表すとされていてライオンの部分を「恋愛における相手への強い衝動」、山羊の部分を「速やかな恋の成就」、蛇の部分を「失望や悔恨」をそれぞれ表すとされたり、その奇妙な姿から「理解できない夢」の象徴とされていて、作品の中に出てきたものを調べれば調べるほど考えれば考えるほど、シゲアキ!!!!(空を見上げる)って言いたくなってしまう。

この作品の見どころはやっぱり伏線回収の始まり。美大生の深馬が真未と一体になった瞬間の正門くんの表情。表情だけでなく纏う空気も何もかも一変させたあの瞬間。「ここを観たかった」って思ったし「これがこの作品の全てだな」とも思った。これは正門くんの才能とセンスとシゲの脚本と瀬戸山さんの演出が創り上げた賜物だと思う。そしてそれをこの作品が放つ色をど直球で投げられた気持ちになった。

この作品の中でまだ掴めていないこともある。伏線回収のきっかけとなる“真未(と思っていたもの)が自分だった”と深馬が知ったときの北見が言った「まだダメだったんだ。」って言葉。まだダメって何がダメなの?作品を作ることが?作品を自ら壊したことが受け入れられないの?それとも真未という別人格が深馬の中にいることが?もしかしたら真未は実在していて、何かの理由で亡くなったとか?ダメだった何かが深馬が留年したことの理由づけになるのかな。だとしたら深馬は永遠に美大生のままなのかもしれない。
そして現実と妄想の間をパニックになりながら誰かに電話をかけてたんだけど、誰だったんだろう。話の流れからすると真未なんだけど、それまでに真未と電話をしているシーンもなかったし、うまく結びつかない。でもその次のシーンから考えるとやっぱり真未なのかな。そのシーンも小説は1人でするという生々しい描写が衝撃すぎて理解するまで少し時間がかかったけど、舞台は1人で2人分するという表現になっていて、深馬と真未が2人で1人だったということがそれまでに分かっていたからか、そっちの方がすんなり入ってきた。自分で自分を抱きしめる深馬を静かに見つめるの、苦しかったな。

ラストシーン

現実と妄想に自我崩壊しながら杏奈に『今から会えないかな』と電話をかける深馬のラストシーン。小説の時はただフラストレーション(美優への憧れや嫉妬もだし性的なものもひっくるめて)を解消したいだけなんじゃと情けなくて弱い男にしか見えなかった主人公が舞台では現実かも幻かも分からなくなっている自分を抱きしめ、抱きしめられることができる人、才能とか憧れとか抽象的なものではなく深馬という自分を現実に抱きしめられる人に会いたかったのかなと思う。
ハッピーエンドでもなく、かといってバッドエンドでもないエンド。でも上下真っ黒の衣装だった真未が真っ白のワンピースを着ていたこと、桜が舞っていたラストシーンが印象的だった。一度ついた染みが消えないのであれば深馬の中で真未は生き続けるということだし、それはポリダクトリーとして賞賛されたような作品をこれからも創り出せる可能性があるということだと思う。桜も狂い咲きしていた桜がまた咲くことができるということだと思う。逆にあの桜が狂い咲く桜でそれが散っていくならば深馬は孤独だなと思う。目前で起こっていた120分と少しの出来事は誰かに染められた何かであったということを主人公とともに受け止めていくのは苦しいかった。これからも描きたいのか、描き続けたいのか、それとも描きたい気持ちがなくなったのか分からないし、このあと深馬がどう生きていくのか気になるけれど、今はあのラストシーンが未来を感じさせるものでよかったと思う。そう思いたい。


** さいごに **
このご時世アンケートもなかっただろうし、グローブ座で感想も書けなかっただろうから、もしよかったら正門くんのファンの方はぜひシゲに感想を伝えていただけるとうれしいです。会場に置いてあったアンケート用紙でもお手紙でもソラシゲでも出版社にメールでも。シゲのことを分かりきっている(多分)、シゲ作品を読み漁っている人の感想もだけど、今回初めてシゲ作品に触れた、真っ直ぐな率直な感想がシゲに届いたらなと思います。届いていたらいいな。正直、私も知りたい(笑)

未来シアターで見城徹さん(幻冬舎社長)が確かBurn.だったと思うけど、シゲの作品について“どんなに勉強しても音 光 匂い 色っていうのはなかなか書けないんですよ。文章の中にそれが縦横無限に散りばめられてびっくりした”とお話しされたことがあったけど、シゲの作品は読んでいて情景がうかぶというか五感を刺激される、映画を頭の中で見ているような気持ちになる。そうやって読者が想像しながら読んでいたものが、今回実際に舞台作品として目の前にあって、それがとても嬉しかったというか誇らしかったというか、読みながら想像していたものをひとつひとつ確かめるような気持ちで観ていたような気もする。そしてやっぱり色だったり音だったり匂いだったりが刺激されて、楽しかったな。きっと脚本・演出作品も作るだろうし、遠くない未来にドラマや映画といった映像作品も作るんじゃないかな。やっぱり戯曲本を出版しません?

「染、色」おもしろかった。

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