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テーバスランド

2022年6月17日から7月3日まで。KATT 大スタジオ 複数回観劇。
HP→ https://tebasland.com/
You Tube→ https://youtube.com/channel/UCuPWt8l4tasS3vIO_Bu3kXQ

原作を読んだあと

音 光 匂い 色が文章の中に縦横無尽にちりばめられているのが、私の好きな本の特徴。読んでいるとき、すでに頭の中でそのシーンが思い浮かぶというか、本を読んでいるはずなのにそのシーンを見ているような文章や作品が好き。
外国文学だし、何も知らない状態で観てストーリーがわからなくなるのはなと思って、事前に読んだ原作。戯曲として綴られていることもあり、音や光、匂い、色、そしてそれを纏う空気を感じることは比較的容易だったように思います。

テーバスランド 読了。
父親殺しという共通のテーマで描かれる3人の戯曲。繊細で脆く、押しつぶされそうな気持ちになりながら現実と虚構の狭間を彷徨いながら読み進め、曖昧になるその狭間に混乱した。けれど読み終わったとき、限りなく透明に近い光がさし、その光を掴んだ気持ちになった。
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これが原作を読んだときの感想ツイート。
「父親殺し」という重たいワードが物語の中心にあるのに、読了した時に感じた光。心が沈む感じではなく、むしろ希望を抱いて本を閉じた、あの不思議な感情。うまく言葉にできないけれど、これが舞台として目の前で演じられるのがとても楽しみになった瞬間でした。


(ここから先は舞台の内容に触れます。)

セット・照明について

舞台のセットは檻に囲まれたバスケットコートとモニター。そしてモニターにつながっている監視カメラ。パンフレットで舞台美術の方の話によると、バスケットコートは台形で、その比率は子宮と同じであること、子宮をイメージして作られたことが書いてありました。きっと他の人より子宮が身近なものとして存在している私としては、子宮に台形のイメージがなく円形じゃない?と戸惑いましたが、直線的に考えれば台形になるなぁと新たな発見をさせてもらったセットでした。
そして時を刻むように回転するセットでもありました。盆があるわけでもなく、どうやって回転させているのだろうと今でも疑問に思っています。1幕の終盤に半回転して幕間のあいだに戻るのですが、2回目の観劇のとき、幕間終わりで席に戻ると開場時に見えた光景とちがうことに気がついたのです。気がついたというか、違和感でした。それは父親殺しの再現シーンの時に確信にかわり、その理由もわかりました。あくまでも自然に、より衝撃的になるように考えられたその仕掛けは、芸術のすごさを感じると同時にこの作品の持っている力をありありと感じました。
モニターは主にマルティンとのシーンで映し出されました。モノクロでまるで看守として監視モニターを見ている気分。そう強く感じたのはマルティンの自傷行為のシーンでした。
照明も色はなく、明暗でテーバスランドの世界をつくっていました。父親殺しのシーンは刺す回数が増える毎に床に黒が増え、21回刺したときに床の全てを黒が占めていました。このとき照らされている俳優二人の表情もモニター下に映し出される二人の影も美しく、でもその美しさが残酷に見えました。照明に、というかモニターに色がついたのはSが檻から出て、それぞれの道を歩き始めたときだけだったと思います。それも一瞬で、物語の最後の光はマルティンを照らすタブレットの光だけで、その光が終身刑を言い渡されたマルティンと世界をつなぐ希望の光にも見えてきれいでした。

感じたこと①

この物語の中には真実として存在する虚構が散りばめられていました。まぁ、どこにも実際の事件や著者が体験したことを基にしたとは書いていないので、物語自体がフィクション(虚構)です。でも観劇するときはマルティンが起こした父親殺しは実際に起こったこと(真実)として捉えていたし、Sとマルティンのシーンは真実だと思って観ていました。そしてフェデリコとSのシーンは真実だけど、フェデリコがマルティンを演じるシーンは虚構になる。つまり登場人物がSとマルティンだけであれば真実のように感じますが、そこにフェデリコの見方が入ることで虚構に動いていき、逆にSとフェデリコだけであれば虚構だけれど、マルティンの見方が加われば、真実に近づく。虚構の中の虚構と虚構の中の真実の間を行ったり来たりする。そこにKAAT(実際観ている劇場)だったり、Sの「他の国でも上演したい人がいる」「上演許可を出してあげたら他の人も上演できる」というだったりで、今現在の現実ともつながる。きっと普段さまざまな作品を観劇しているときも体験しているはずなのに、改めてそれを意識して体験している。不思議な感覚でした。そして物語が進んでいけばいくほど、公演を観る回数を重ねれば重ねるほど、虚構と真実の境目が分かりにくくなっていきました。今観ているシーンのバスケをしている青年はマルティンなのか、マルティンを演じているフェデリコなのか、どんどんまぜこぜになっていきました。特に第1クオーターのSとマルティンの初対面。初めて観たときは間違いなくマルティンでした。でも2回目を観たときに“もしかしたらマルティンを演じているフェデリコなのかもしれない。そもそもマルティンは存在していたのだろうか?今私はSとフェデリコが議論しながら創った作品を観ているのかもしれない”と思うようになっていました。

この作品には3人の登場人物がいます。二人芝居。うち一人が父親殺しの孤独な囚人マルティンと俳優フェデリコの二役を演じています。演出家Sはストーリーテラーとしての役割もありますが、時にはマルティンの父親の役も担っているように見え、二役以上を演じているような気持ちになりました。実際、父親殺しの再現シーンでSは目をずっと見開いていて殺された父親と同じように振る舞っていました。それから目薬をさすシーン。フェデリコにSは「彼らにとって唯一の肉体的なふれあいになるみたいに」と提案します。肉体的な触れ合い。Sが隠していた(言いたくない)ことはその後に明らかになりますが、この肉体的な触れ合いは“恋人・心を開いた人”というふうに解釈できました。誰かの前に立つ時、何かをしようとする時、関係を構築するとき、交流するとき、人はなんらかを役を演じます。それは日常生活でもそうで、人はたくさんの役を演じて生きています。そんなことをSから感じました。そして私たちもこの作品、フェデリコとSが創った作品の観客として存在しています。そして私たちもマルティンのいるシーンでは監視カメラを見ている看守、バスケットコートを見ている看守としての役も担っていました。観客が劇場にいて初めて成立する作品。ゲネプロのコメントで甲本さんが「最終通し稽古」と言っていた意味も観劇した今ならよくわかります。

感じたこと② Sのこと

複数回観たにも関わらず、私はまだSの人物像がよく読み取れていません。というか、どこか胡散臭さを感じています。マルティンがSに「実際ここにいるのはエゴからでしょ?」と尋ねるシーンがあります。あのシーンのマルティンはSが隠し持っていた欲や願望を見抜いていると思うんですよね。そしてSに質問ばかりされていたマルティンがここからSに質問し始めるシーンでもあり、Sの話し方が好きだと言ったり、先生になってくれてもと希望を伝えたり、少しずつSに心を開き始めるシーンでもありました。私はこのシーンがとても好きです。その一方でSがマルティンの希望を断つ(先生とは別の関係を築きたい)ことに腹が立つし、せつなく哀しくなります。マルティンはSと交流を持つことで劇場や戯曲、演劇、知らない言葉、自分の名前の由来、いろんなことを知っていきます。Sによってマルティンの知識の種が蒔かれ、芽吹いた瞬間です。せっかくマルティンがSに歩みよった一歩を踏みにじるとはどういうこと?と思うのです。そして図星をマルティンに言い当てられ、突き放したような言い方をするSの心理的な誘導がとても巧みで意図的のようにも見えました。Sへの心象はマルティンが受けた虐待の話を聴いたタイミングで情愛に変化し、父親殺しの再現で恐怖が加わり、自傷行為とてんかん発作で自責に変わっていきました。延長のシーンを思うとマルティンとSの間に共通項があり、それが共有でき、“半分友達”という関係ができたと思うし、「みんなそれぞれの道を持っている」とマルティンに語るSに嘘はないと思うのだけれど、バスケットコートの檻から出て遠くからマルティンを見つめるSの表情を見ると、やっぱりどこか胡散臭いと思ってしまうのです。

感じたこと③ U2

この作品にはさまざまな引用や話題が言及されています。
『オイディプス王』『聖マルチヌス』『モーツァルト』『ドフトエフスキー』『カラマーゾフの兄弟』『フロイト』そして『U2』。1回目の公演を観た後、U2、特にボノのことについて調べてみました。ボノも父親との関係が不安定な人でした。(https://vimclip.jp/u2-kite/)そして若くして母親を亡くしていてマルティンと重なる部分がありました(ボノは世界的にブレイクした後父親と和解しましたが)。そしてピアノ協奏曲二十一番ハ長調から切り替わっていく『With or Without You』について。調べてみるとボノは敬虔なクリスチャンで、この曲は宗教的な文脈による解釈も多くなされており、ここでのYouはキリストと捉えている人も多いそうです。また"And you give yourself away"という歌詞の解釈については後に本人が

『歌詞については純粋な苦悩を表現した。それはアーティストとして生きる自分と、愛するものをもつ男として生きる自分の対立なんだ。』

『例えば誰かに会って、それがデートをしたいような相手だとして、でも俺は結婚してるからそんなことは出来ない。それでセックスなんてもっとありえない。だがそんな飼い慣らされた獣みたいな人生を送って、そのまま子供を持って所帯じみた生活をして、それが本当にアーティストだと言えるのか。それとも家庭を裏切るのか?俺にとってはとても難しい問題だった。
その二つの人格は同居していて、責任感ある保守的で忠実な自分と、ブラブラしてて怠け者で責任から逃れたがっている自分がいたんだ。それは俺自身を壊すことになると考えていたんだけど、実際は俺は俺でしかなくて、結局そのどちらも含めてアーティストとしての俺が成り立っていた。
つまり矛盾する二つの中央に居るのが俺だったんだ。』
http://caffe.takat33.com/2015/02/with-or-without-you-u2.html

と語っています。
このnoteの始めの方に1回目と2回目でフェデリコとマルティンの見方が変わった(もしかしたらずっとフェデリコが演じているマルティンかもしれない)という話をしました。それ以外にも途中でもしかしたらマルティンとフェデリコは1人で二重人格なのかもしれない、それともSの頭の中にいる(戯曲を創る上で想像した)2人なのかもしれない(つまり存在するのはSひとりだけ)とも思ったりしました。

名前の由来・意味
マルティン:戦い、戦士。ラテン語からきている。マルティネスに由来して神マルスから派生した名前。✱神マルスは戦いの神
フェデリコ:平和。調停者。語源はゲルマン語。平和のために治める人。

S             :守護者。守護者とか保護者。

戦いと平和は相対する二つ。その中央にいる守護者。プレゼントされるのが嫌い/好き。ブランドへのこだわり(本物と偽物)。マルティンもフェデリコも時間へのこだわりがあり、Sも話が進むにつれて時間へのこだわりが出てきます。そしてSの持つ数字のこだわり。例えばピアノ協奏曲二十一番ハ長調と父親を21回刺した、フェデリコ(とマルティン)の年齢21歳、カラマーゾフの兄弟が4人だと譲らなかったこと。信者。LGBT。3人の共通点がたくさんあります。もしかしたらマルティンもフェデリコもSが創り上げたフィクションの人物なのかもしれません。

感じたこと④ マルティンと父親

マルティンは父親のことを「嫌われている」と言いますが「嫌い」とは言いません。好きだったのだと思います。好きというか、愛されたかったのだと思います。身体的虐待、心理的虐待(暴言、面前DV)が日常的に行われ、またその光景を人前で見せる行動(虐待しているのを人に見せるのはどうなの?と思いますが、同僚が父親と同じようなタイプだったのか、それは強制的である意味見ている人に恐怖心を与えるタイプの父親だったのか)。マルティンの「人に見られるのは嫌いじゃない」はここが影響しているように思います。そして虐待の内容を「やられたことない?」とSに尋ねるのをみると、暴力や暴言を吐かれるのがマルティンにとって当たり前で、それが父親にとって好きなことだったと肯定的に受け止めていたのだと思います。じゃあ、何に我慢できなくなって殺しちゃったのか。

役立たずだから、父さんの言うとおり。結局間違ってなかったんだ。どこ行ってもお払い箱。でついてに、体を売った。そしたらうまくいってさ。恥ずかしいけどこなせたんだ。不幸だけどできたのはそれだけ。

何をしても役に立たず、結局父親の言う通りだったので父親が正しいと思っていたマルティン。その中で唯一できた体を売ることは初めての成功体験だったと思います。父親に認められ、褒められるはずなのに、批判的で詰られたことだったように思います。暴言ではあるけど、成功体験を認められなかった、それが父親殺しの引き金だったと今は思います。

そういえば、観客に見せた1枚目の写真。フランドル派の絵を彷彿とさせた写真。初めて見たとき児童虐待の研修で見た写真と似てるなぁと思いました。父親がマルティンを虐待しているのと同じ原理を辿って殺したのなら、その現場写真も虐待の写真のようになるのかもしれません。
そしてSの前でてんかん発作を起こしたときの自傷行為。Sとの2回目の面会の時に右手に巻いていた包帯もそうで、自傷行為自体は日常的に行われていたのではないかと思います。気持ちが追い詰められたら、特定の人に注目されたいから、心配されたいから。マルティンの場合はどちらもあるような気がしています。そして特定の条件下で起こるてんかん発作。考えられるのは強い光、大きな声、そして流れる血。もしかしたら父親を殺した時も発作が起きていたのかもしれないなと思うし、虐待されていたときのフラッシュバックともPTSDとも受け取れます。

感じたこと⑤ フロイト

オイディプス王のことと共に心理学者のフロイトの話題も出てきます。
『みんな自分の父親をちょっと殺そうと思っている』
フロイトが提示した“エディプスコンプレックス”の考え方です。簡単に言うと小さな男の子がお母さんに恋心を抱き、お父さんのことを恋敵としてライバル視してしまうことです(参考:https://den-gaku.com/エディプスコンプレックス)。母親に対する恋心と父親に対するライバル心は無意識の中にあります。このコンプレックスは父親への同一化によって解消されていきますが、精神的な意味で勝者と敗者があるとも言われています。

もし勝者(自分の方が父親より多くの愛を母親から獲得できたと感じて育った)の場合、母親の愛情を父親からとってしまったと錯覚します。しかし、その一方でその罪悪感のようなものを感じてしまい、この罪悪感の処理に失敗するといつか父親に母親を奪い返されるのではないかという恐れを感じ、その恐怖心が成長しても他の人に置き換わってしまいます。なので他人に対して不信感や警戒心を持つようになり(1幕のマルティン)、ご褒美をもらうことや成功を楽しむことに引け目を感じるようになってしまいます(出会いのシーンでの「プレゼントされるのは嫌い」)。

母さんはいい人だった。僕も母さんが好きだった。なんていうか、愛し合っていたんだ。
本当に愛し合っていた。母さんは僕の方を愛しあっていたと思う。父さんよりも。

マルティンはエディプスコンプレックスの勝者であったこと、(結果的に殺してしまったけれど)マルティンの父親殺しの行為は父親が虐待したようにフォークで刺しただけで父親への同一化だったのだと思いました。

感じたこと⑥ お墓を訪れてみたいマルティンの気持ち

そして父親のお墓を訪ねてみたい、マルティンの気持ち。殺意があるわけではなかった、むしろ父親を好きだからこそで父親がどんなところにいるのか知りたかっただけかもしれません。それ以上に自分の知らない世界を見てみたい、Sと出会い、Sからいろんな言葉や神話を聞き、檻の外を見たくなったのではないかと思います。自分にとって一番近い知らない檻の外。それが父親のお墓の場所だったってことなのかなと思います。
マルティンがSに言う
「知っていても、問題はその勇気がないってこと。こわいから。」
はこの父親のお墓を見たいというお願いに繋がっているような気がしています。終身刑を言い渡されて生涯、檻の外を見ることがなく、父親がいない世界を知ることがこわいマルティンが勇気を出した瞬間だと思いました。

損することはないよね。
行かせてくれないとわかっていても。

感じたこと⑦ 終演後に思うこと

原作を読了した時に感じた光。希望を抱いて本を閉じた、不思議な感情。それは舞台が終演し、会場をあとにしたときも同じ気持ちでした。終身刑を受けたマルティンの未来が明るく感じたし、そう願ったのはマルティンがSとの出会いでただ見ているだけではない、マルティンを見てくれる誰かがいること、そのおかげでそこに存在できていることがわかったからだと思います。存在意義みたいな感じでしょうか。父親殺しというダークな部分だけではなく、一人の青年として見てくれる誰か。そういう人がSが創った作品によって、誰かがマルティンを演じることによって存在してくる。それが希望の光のように見えました。劇場や演劇も演じられてる誰かと出会う、そして作品と出会う。演じている側も見てくれる誰かのおかげで自分がここに存在する、希望あふれるところなんだなと思いました。

感じたこと⑧ 

最後にマルティン/フェデリコを演じた浜中さんについて。
演出や作品によってはセリフを一言一句換えてはいけなかったり、役柄に指定する設定が多くてガッチガチに制限されてしまうものがあって、そういう作品に出演している文一くんが観たいなと思うことがよくあります。今回の作品がアドリブや言い回し変更が一切禁止というわけではなく、セリフにもある程度の幅があるし、きっとここは動きが自由なんだろうなと思うところも甲本さんも含め、あります。あるけれど、今回の作品はそれに近いというか、ハプニングが起こる隙がないというか、余白ではなく、余韻を楽しむ、そういう作品だと思います。実際、そういう作品に出演した浜中さんを観て、お芝居の幅の広さや魅力に改めて気づくことができたし、浜中さんや甲本さんもこの作品のもつ余韻を楽しんでいるように思いました。(二人のアドリブたくさんのお芝居も観てみたいです)逆に慣れていくとむずかしくなる作品でもあると思うので、この作品がもう少し熟された頃に再び観たとき、どう感じるのかとても楽しみです。

気がついたら8000字近く。
ロザリオのことなども書きたいけれど、今回はここまで。
もし読んでいらっしゃる方がいましたら、こんなに長く、私自身もごちゃ混ぜになっている感想を読んでいただき、本当にありがとうございました。

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