しがない通行人の話


どうだい、そこの君。
名もない、そこらじゅう何処でも見掛ける、通行人の話を聞いていかないかい。


怪しむ必要は無いさ、聞いてくれればそれでいい。
後悔と懺悔の話を。





Aは、5人兄妹の4番目らしい。
兄が2人、姉が1人、弟が1人。
中間子、とも言える。

弟が産まれる前は末っ子だったけど、
決して甘やかされて育った訳では無かった。

血縁のある父親は酒に溺れ暴力に走り
母親は従うだけ。

兄2人も幼いながらに暴力をふられたらしい
酷な話だろう、産まれた時からみんな絶望に充ちていた。

Aが3歳か4歳の頃、母親は兄妹を連れて父親逃げた。
女手ひとつで小さい兄妹を育てた。
時に厳しく、時に優しく。
覚えていなくてもきっと幸せな時間だった、そう願いたい。


幼稚園に上がる頃だっただろうか。
ある男の人が現れた。
その人は、A達とよく遊んでくれた。
後に、その人が父親になった。


もうあんな酒乱の父親では無い。
優しい義父と母親と共に暮らせる。
兄妹誰もがそう思っただろう。

ある日、義父がいつものように家に帰ってきた。
A達は喜んで駆け寄った。
そして口々に、「おじさん!おじさん!」と、
「お父さん」では無く「おじさん」と面白からかって呼び始めた。

義父はそれに怒りを抱き、長男の頬を叩いた。
驚いた。あんなに嬉々としていた空気が、まるで嘘のように冷え返った。

それからだった。
義父からの暴力が始まったのは。

そして、物心着く頃には全てが遅かった。


Aが小学生に上がった頃には、暴力は日常茶飯事と化していた。

長男を始め、次男、長女、A。
「連帯責任」だとか、「説教」だとかを理由に義父は暴力を振り続けた。

長時間正座をさせられ、夜中2時や3時を回るのは当たり前だった。
母親はまたも従うだけだった。

そして、歯向かおうものなら力で抑え込まれた。
「一番偉いのは誰だ」と。

まるで、王様と奴隷のようだった。

そんな日々が当たり前に感じる程、兄妹の精神はまともでは無かった。

食器の下げ忘れで怒鳴られ殴られる。
服の仕舞い忘れで怒鳴られ殴られる。
時には義父の機嫌が悪い時に殴られた。
サンドバッグのような扱いだった。

そして、Aが小学3年生に上がった頃だった。

既に母親と義父は共働きで、2人が合う時間は滅多になかったと思う。

母親が不在していた時、静かなリビングでテレビを見ていたAはやがて呆れを切らし、自室へ向かおうとしていた。

階段を上り、すぐ右手にある自室へ入ろうとした時。

自室の隣。
真ん中にある母親と義父の寝室で、義父と姉がまぐわっている所を目撃した。

Aは、何をしているのか理解が追い付かず、そのまま自室へと戻った。

だが、その日からAの何もかもが変わった。

行為を何度も目撃し、いづれ性教育を習ったAはその行為が何なのかを知った。

Aは知ってもなお、黙っていた。
何故か?と聞かれると分からない。

その行為が当たり前だと思っていたのか。
何が異常なのか分からなかったのか。
言った所で何も変わらないと悟っていたのか。
母親が狂うのを阻止する為か。

未だに理由は分からない。
だけど、誰にも言い出せなかった。

姉には勿論、母親、兄達、従姉、親戚。
誰1人にも。伝えることは出来なかった。

伝える事が出来ないまま、数年の時が経った。
中学生に上がってもなお、状況は変わらなかった。

ある時、義父の妹である義叔母が遊びに来た。
義叔母は兄妹を毛嫌いする訳でも無く、仲良く接してくれた。

その夜の事だった。
いつものように義父に怒鳴られた後に眠りにつこうとしていたAと義叔母だったが、
中々寝付けず少しだけ話をしていた。

そこに、2番目の兄がやってきて3人で話をしていた時である。
義叔母が、「実はね」と話し始めた。

自分が幼い頃、義父である実兄に手を出された事。
皆の様子がおかしいから、何かあったのではと心配していた事。
特に、姉と義父の距離感が妙に近く気になっていた事。

その話を聞いたAは、14歳では抱え切れなかった思いをぽつりぽつりと話し始めた。

初めてその光景を目にしたのは小学生の頃だった事。
それからもよく目撃した事。
誰にも言えなかった事。
誰に言えばいいのか分からなかった事。

義叔母はその話を聞くと、涙を流すAを抱き締めて「ごめんね」と謝り続けた。

2番目の兄も、驚きと怒りを露わにしていた。

少しだけ楽になったような、そんな気持ちになったAはそれから少しずつ義叔母に話していくことにした。


目撃する事が無くなって、高校生に上がったA達に嬉しい朗報が入った。

母親と義父の間に子供が出来た事だった。

初めて出来る下の存在にAは喜んでいた。
だが、暴力は何年経っても10年経っても収まることを知らず、日に日に兄妹達は反抗する事も無くなっていた。

少しは良くなる、と思っていたがそれは加速するばかりだった。

無事に子供が産まれ、弟と言う存在を持った兄妹達は子育てを手伝っていた。

母親が熱を出した時に、夜泣きする弟をAは抱えてあやした。
父親である義父は寝腐っており、何もしなかった。

母親が買い物に行っている時。
Aは義父にミルクを作るように任され作り持っていくと、熱いと怒鳴られ火傷させる気かと言われ何度も作り直した。
直せばぬるい、直せば熱い。
日に日に恐怖は増していった。

そして、それから1年が過ぎた頃だった。
変わらず暴力や暴言が収まることはなかったが
弟の存在で徐々に和らいでいるようにも見えた。

そんな事も束の間。
10月の中旬に、事件は起きた。

夜中の3時を回った頃、
リビングの隣で寝るようになっていた
母親と弟と姉の部屋から、
怒鳴り声と泣き叫ぶ声が響いた。

声の主は母親と姉。

トイレで泣き叫ぶ姉を抱き締めながら誰かに怒鳴る母親。

相手は、義父だった。
Aは全てを悟った。

バレたのだと。
姉への性的虐待が、母親にバレたのだと。

義父は、降りてきたAになんでもないと告げたが、Aは「やっと終わったの?」と義父に問いかけた。

「やっと終わった。」
Aは自分でも何故この言葉を口にしたかは分からないが、抱えてきたものが解放されたような気がした。

それからは早かった。
離婚の話、弟の親権、義父をこの家から追い出す事。
時計は既に5時を回っていた。

暴力に怯える日々が無くなった。
安堵。ただ、それだけだった。

だけど、それからは後悔の日々だった。

詳しくは話せないが、家庭崩壊状態になっていったA達。

Aはその様子を見ながら酷く後悔した。

「私があの時、初めて見た時に声を掛けていたら」
「お父さん何してるの?」
「お母さん実はお父さんが」

何でもいい。
なんでも良かった、
ただ一言、たった一言で、
姉を救えたのに。

目撃者はAしか居なかった。
つまり、姉を助けられるのはAだけだった。
姉を解放してあげられるのは、Aだけだった。

自分があの時ああしていたら。
後悔しても後悔しても戻らない日々を、
ただただAは後悔した。

あれから、もう3年は経った。
だけど、今でも。
まるで昨日のように、Aは思い出し涙し、懺悔を続ける。

許されたいなんて思っていない。
罪を背負ってこれからも生きていくつもりだ。
何度謝っても許されない。
裁いても裁ききれない。
だけど今更誰にも言えない。

皆が蒸し返して欲しくない事を、
今更私が蒸し返せない。

此処で謝る事をお許し下さい。
ごめんなさい、お姉ちゃん。
あの時助けられなくてごめんなさい。


足止めをして、すまなかった。
しがない通行人の話を聞いてくれてどうもありがとう。
誰にも言えない話を、聞いてくれてありがとう。

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