センスとはなにか #そやマーケ

マーケのことも書いていくか~note第二弾です。

今回はセンスとは何なのかに迫ります。

世の中にはセンスと呼ばれている能力があります。

マーケティングにもセンスはいります。

偉大なる我が師匠はこう言ってました。
マーケはロジックとセンスの融合だと。

曰く、「基本的にはロジックで積み上げるんだけど、最後はセンスとしか言いようのない領域がある。」ということです。

このnoteではこのセンスという能力が何なのかについて、僕が何年かかけてたどり着いた結論を話します。


はっきり言ってセンスは再現性を持って磨くことのできる能力です。
コツコツやれば、だれでもどんな領域でも、それなりに高いところまでは登れるでしょう。

そこから先にようやく本当に才能の世界がまっています。

「生まれつきセンスがあっていいね」とか「才能があって羨ましい」とか云々言うのは、せめてこれを実践してからにしてほしいな~と思います。


また、このnoteははっきり言っておもんないです。
おもんない理屈と、その先におもんない現実が待っています。

センスってそんなもんかとなるかもしれないし、わかるけどやりたくないかもしれない、結局何も解決しない可能性がでかいです。

なぜなら今までこれを伝えた人に「言われたとおりやったおかげでセンス抜群になりました!」と言われたことが一度もない。

現実とは時に退屈ですが、これを知っておくことで、何か本当に打ち込みたいものが見つかったり、負けたくないものが見つかったときに、あなたの役に立つといいな~と思います。


センスとはなにか

センスと呼ばれている能力、これは何なのでしょうか。

たとえばファッションセンス。

ファッションセンスがものすごくいい人というのは、なぜか意味不明に奇抜なアイテムを何故か着こなしていたりしますよね。

え、そのアイテム僕が身に着けたら絶対ちんちんくりんになるけどな。
なのになぜかその人が切ると抜群に整って見える。

一体どういうプロセスでそのファッションコーディネートが生まれたのか全くわかりません。


また例えば、デザインのセンス。

アプリのUIデザインをするとしましょう。
おんなじようにヘッダー、フッター、リスト、と構造物をおいていってそこに表示するテキストを置いて、とシンプルなTODOアプリをデザインするとして、

似たようなデザインなのに、僕の作ったデザインは野暮ったくてダサくて、何故かあの人の作ったUIは垢抜けて感じる。


マーケもそうです。

初心者が頑張って頭を捻って何度も書き直して書いた文章は1CVも生まれないのに、あの天才マーケターが思いつきでササッと書いたワンフレーズは何故か魅力的でたくさんのコンバージョンを生み出します。


一般的にこのような能力を持つ人を『センスがいい』と表現します。

でもセンスって何なんでしょう。

どういう能力のことをセンスとよんでいるのでしょうか。

なぜ、『何故か』なのでしょうか。

なぜセンスから生まれたものを人は説明できないんでしょう?


言葉で説明できるものなんて大したことない

なぜ人はセンスの生み出すものをうまく説明できないのか。

その結論をあえて一言で言うなら、

言葉は情報量が少なく、人間の脳は言葉を介さずにもっと膨大な情報を処理できるから。

になります。

ロジカルな人間、賢い人間ほど「どんなものでも必ず言葉で説明できる、ロジックで説明できるはずだ」と勘違いしがちですが、言葉の持つ情報量は極めて少ないです。


例えば猫というものを言葉で説明してみましょう。一度も見たことのない宇宙人にです。

すると、これが非常に難しいことに気づきます。
この形状ってなんて表現すればいいんだっけ、複雑な色のマダラがあり、毛のふさふさした感じ、目も複雑ですし、顔の形状、これはなんと言えばつたわるのか。

猫を言語で完全に説明するに一体何千文字何万文字必要かわかりません。ていうか不可能かも。

それほど膨大な情報量を持つ猫ですが、人間脳は画像を見れば「はいはい猫だね」と一瞬でわかりますよね。この猫という複雑なもの、言葉を介することなく、あるがままをそのまま理解できます。

センスを理解するに当たって、覚えておいてほしいことの1つ目はこれです。膨大な情報をそのまま処理できる。

そして、猫っぽいものを見たら、動いていても猫だとわかるし、毛色や大きさがちがってもおそらく猫だろう、猫に似ているなと思いますよね。

これは「パターン認識」という能力で、これも人の脳が得意としていることの人です。これも覚えておいてください。

猫っぽいものをみたら猫だと判断できるのは僕たちにとってはあまりにも当たり前で、間違えるわけありません。ですが、AIは近年まで猫を猫と判断する事ができませんでしたし、ある程度できるようになっても人間には程遠い精度でした。

つまりコンピューターはパターン認識が人間より遥かに劣っていたのです。最近話題になっているChatGPTや画像生成AIなどは、パターン認識をコンピュータにうまくさせることができるようになったという発明であり、それにより一気に人間に近いことができるようになったのだとも説明できます。

「人間の脳はパターン認識が超得意」これもまた覚えておいて下さい。

この2つを元にセンスを説明できます。
つまりこういうことです。

結論: センスとは言語を介さない、高度なパターン認識である

つまりこういうことなのです。

言語を介さないで処理しているから説明できないんです。言語を介さないからこそ膨大な情報をそのまま扱い、複雑なパターンを認識できるからです。

始めに言った通り、おもんないでしょう。現実とはこんなものです。


人間の脳はざっくり右脳と左脳に分かれていて、左脳が言語や理論を扱う『論理的思考』が得意、右脳は言語を介さない『直感的思考』が得意、というかんじになっています。


論理的思考はもちろんできると便利なのですが、こっちの方は処理パワーがかなり弱いという特徴があります。

言語という情報媒介に載せられる情報がそもそも少ないこともあり、複雑な情報処理は対応できません。

そして直感的志向の方は、性能バツグンです。


センスある人間が素晴らしいアウトプットをポンポンと出せるのは、右脳で考えているからなのです。

より正確にいうと、右脳がその状況のパターンを十分学習しており、適切な回答を出せるようになっているということです。

たとえば広告コピーを書いているとしたら「はいはいこういう商品でこういう競合、こういう商品特性でユーザーニーズがこうだとしたら、こういうコピーでしょ!」という処理が右脳で行われているわけです。

なのですが、処理性能が高すぎて、結論が一瞬で出るので、はたから見るとぱっとひらめいているように見えるし、本人も何故かひらめいた、としか思えません。


「人間の脳は先に結論を出し、あとから理由をつける」と言う話を聞いたことがあるかもしれません。

これはまさに右脳が先に動いて結論を出し、あとから左脳がノロノロ動いているということにほかなりません。

我々はほとんどのことを右脳で判断しています。例えば自転車乗ってるときにいちいち考えてからじゃないと動けないとしたら危ないですよね。飛び出しがあったら右脳が素早く思考し、危ないと思ってブレーキをかけるわけです。
ランチを食べにやよい軒に行ったら、大して考えることなく食べたいメニューが決まるのも右脳がポンポンと結論を出すからです。

我々は左脳で思考していることしか意識できないので、全てロジカルに考えているという自意識を持ちがちですが、全然そんなことはなく、本当に仕事をしているのは右脳なのです。


といったかんじでダラダラと脳について説明したところで、センスとはなにかについては大体わかってきたかと思います。

いよいよ本題の、センスとはどのように鍛えればいいかについて入っていきたいと思います。


センスを鍛えるには詰将棋をしろ

センスは鍛えられるのでしょうか?

それに近しいこんな実験があります。

将棋の棋士の対局中の脳波を調べたところ、みな特定の部位(大脳基底核)がとても活発になっていることがわかりました。

そこで考えました。

「大脳基底核がもとから活発な人間が棋士に向いていてプロになったのか?それとも、訓練により大脳基底核を鍛えることができるのか?」

将棋の棋士は、パッと盤面を渡されると、直感的に次にどこに指すのが強いのか、瞬間的にある程度はわかります。(もちろんその上で熟考もするわけですが)

つまり右脳で処理できている状態で、ここまで話してきた「センスがいい」脳を持っています。

一般人に将棋のトレーニングをして、同じように右脳を鍛えることができれば、センスのいい脳は作れるということの証明になるでしょう。


実験では、被験者の将棋素人に、3ヶ月間詰将棋をやってもらいました。
そして3か月後、被験者の脳は、プロ棋士と同じように活性化するようになったのです。

つまりセンスの能力は磨けるということになります。

自分の取り組んでいる領域における「詰将棋」にあたるものを山程経験を積んで、右脳のそのパターンを教えこんでいく。これがセンスを磨く最短の方法なのです。


ここまで理解して、改めていろんな領域で初学者がやるべきとされている学習方法を見てみましょう。

驚くべきことがわかります。

たとえばデザイナーであれば、「まずは写経をしろ」と言われます。
いいなと思ったデザインを完全再現してみろというやつです。

たとえばUIデザイナーであれば、Twitter(X)のアプリをトレースしてみたり。

写経は何を目的にしているのか、漠然とやるのではなくなにか意識することはあるかとデザイナーに聞いてみたことがあるのですが、「気づきを得ること」なのだそうです。

たとえば「この2つのパーツの角丸は同じにしているんだ」「この空間に対してアイコンの大きさはこのピクセル数で、縁はこのピクセル数、余白はこのピクセル数なのか」「こちらの画面ではアイコンサイズを変えているな。余白は比率を同じまま小さくしているのか」「メインカラーはこのくらいの彩度、明度なんだな」といったかんじです。

これはまさに、実例のパターンを学んでいるといえます。

さまざまなアプリを写経するうちに、アプリ間でも法則性を見出し、徐々にトップレベルのアプリがどのようなバランス感でデザインされているのか、そのパターンを理解することができるんですね。


そしてさらに重要なことは、
優れたアウトプットがどのようなパターンで構成されているのかを理解することで、自分の作っているものがそのパターンに則っていない駄作であることに気づけることです。


芸術の世界でも「目が肥えるよりまえに手が肥えることはない」という言葉があります。他人の作品のよし悪しを品評できるくらい目が肥えてないのに、いいものが作れるわけがないということです。

これって、良いパターンがわかってないのに自分の作ったものをそのパターンに乗せることなんてできないよね、ということですよね。


このように、様々な業界で「まずこれを地道にやれ」と言われているものって、センスを磨くのに実に理にかなっている場合が多いのです。

料理屋さんもたくさん食べ歩いて舌を肥やせと言われますしね。いいなと思った料理は帰って再現しようと試行錯誤したりするでしょう。ドコモ一緒ですね。


DTM作曲の世界でも、同様にまずは好きな曲を再現してみろとレペゼンのチバニャンが言ってました。


写経のメリットをさらに一つ言うとしたら、
より細かいパターン認識ができるようになります。

なぜなら鑑賞スピードが著しく落ちるからです。再現しようと思うと、見ているだけでは分からなかった気づきが必ずあります。

曲を再現しようと何度も聞いているうちに、声が3重になっていると思っていたところが実はもっと重なっていることに気づくかもしれませんし、コード進行の展開が、自分の知っているパターンであることに気づいたりするかもしれません。

料理を再現しようとすると、どうしても同じ味にならず、隠し味の存在に気づくかもしれませんし、包丁の入れ方や熱の入れ方が違うことに気づくかもしれません。


僕のマーケの師匠は「センスとはなにか?センスとは、細かい違いがわかることだ」といっていました。

つまり、「より細かい粒度で、複雑なパターン認識ができる」ということにほかなりません。

この粒度が粗いうちは、大雑把な捉え方しかできず、凡人の域を出ることができません。

大雑把にはパターンに則っているけど、細かく見ていくと全然だめ。そんなアウトプットを出してしまっているのに「自分はできているはずなのに」と思ってしまう、駄目サイクルに入ってしまいます。

とにかく写経しまくって、粒度細かくパターン認識をできるようになりましょう。

そして、自分の出したアウトプットに自分で駄目だしできるようになりましょう。駄目だとわかるようになって初めて、「良くなるまで直し続ける」ができるようになります。

ここまで来てようやくスタートラインです。

ね、おもんないでしょこのnote。
センスに特効薬はありません。地道にやっていくしかないのです。


センスの向上を早める方法

センスを磨くのは地味な道のりです。
とはいえ効率の良い方法は存在しています。

それは、左脳でパターン認識を意識的にサポートすることです。

その一つは座学です。

たとえばマーケティングであれば、よく使われる心理テクニックの本を読むとします。

その後に、売れているセールスコピーを写経すると、「あっ!これってさっき学んだテクニック使われてるじゃん!こうやって使うんだ!」という気づきがあります。

このように、いわゆる「法則」「テンプレ」「tips」「セオリー」などを学ぶことで、パターン認識を加速させるとができるんですね。

そのあと「他にも同じテクニックが使われているものはないかな」「自分が売っているこの商品だとどういうふうに落とし込めるかな」とやると、ますますパターンが刷り込まれます。


もう一つおすすめなのが、発見したパターンに名前をつけていくことです。

発見したパターンとは言ってますが複数見つけないと駄目なわけではなく、僕の場合は1つ目を見つけた時点で「これはなんか良さを感じるから、有効なパターンかも知れない!」といってとりあえず名前をつけちゃったりしてます。

実例↓

こんなかんじで、意図的にパターンを自分に刷り込んでいくと学習が早くなります。


これを面白いと感じるかが才能

ということで、このようにすればセンスは磨けるぞというのをずっと話してきました。
このやり方は脳の仕組み則っているし、様々な業種で同様の取り組みがされているのをみるに、間違いのない再現性のある方法だと思います。

僕自身もYouTube広告をやっていたときに、これを毎日2~4時間、1ヶ月ほどやりまして、その翌月から利益の出る広告が作れるようになり、年間億を肥える利益を出しています。


自身の成功体験もあり、僕はこの説明を今まで何十回と知人にしてきましたが、しかし真に受けて継続してやったという人は今のところ聞いたことがありません。

それは、多くの人にとって写経がおもんないからだと思います。

僕にとっては爆発的に面白いです。新しいパターンや発見をするたびにアハ体験があり、脳が喜びます。
もちろん、僕も全くめんどくさくないというわけではありません。めんどくさいというよりは、これだけやってていいならこれだけやってたいけど、生産活動ではないので優先度が下がりやすくて手につかないという感じでしょうか。

写経やってよかった!みんなもぜひやるべき!と言っているひとは、写経によって得られる発見で脳が快感を覚えて、ハマることのできた人間なのだと思います。
前に書いた、脳が喜ぶ距離の情報を写経から接種し続けられる人というか。↓

新しい気づきを得たときに脳が興奮して楽しいと感じるのは、脳の普遍的なメカニズムなのである程度普遍性があると思いますが、

どの領域・分野で楽しいと感じるかは、人それぞれな気がしています。

センスを磨く手順自体はこれまで散々語ってきたように確立されていて才能でもなんでもない一方、その道筋を楽しいと感じるかのほうはまさに才能と呼ぶべきものです。

「楽しんでやってるやつに勝てない」という言葉がありますが、それもまさにこの側面ですよね。地道な努力を努力と感じない。えこれ楽しいじゃん!と思える。


今まで説明してきたロジックでいうと、僕はおそらくオシャレな人間になれるはずです。たくさんファッションを見てパターン分析をして目を肥やして、山程試着をしてビルドアンドクラッシュする。確実にセンスは磨かれていくと思います。

でもそれをたいしてやりたいと思えない。何件も回るの疲れるし、ファッションなんてほどほどでいいやんと思っちゃいます。

やったらできるかもしれないけど、やりたくない。

もしかして、センスが伸びない理由って、そっちのほうが大きいんじゃねと思います。


おわりに

ということでした。
だいぶ長々と書いてきました。実はこのセンスについてというテーマは5回くらいnoteを書こうとして、それぞれ5000文字くらいは書いて、なんか違うなとなって公開しないままになっていたテーマでした。

最近人に説明することが多く、説明するの大変になってきたので頑張ってまとめてみました。

まとめると真面目に写経しようねということであり、人によってはこの長いnoteを読んだにも関わらず、全く明日からの日常が変わらないこともあるでしょう。

やることも変わらないし今まで存在てたおもんなくてめんどくさい現実がまだ存在してるだけ。という人のほうが多いでしょ、正直。


しかしここで学んだことはいつか、アナタが本当にここで勝ちきりたい、この能力を伸ばしたい、負けたくないと思ったときにきっと役に立ちます。

もしかしたら今目の前の、おもんないなとおもってるそれも、写経して能力が伸びてきたらおもろくなってくるかもしれませんしね。


そう信じてまとめとします。役に立ちますように~!

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