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好きでもないし、楽しくもないけど

大学卒業後に語学留学に行ったのも、就職活動から逃れるためだった。しかし1年とはあっという間で、その場しのぎで見送った「就職」の二文字が、背後から徐々にスピードをあげて足音を聴かせてくる。

夢なんてなかった。
小学生の頃から意味も分からず勉強をしてきて、最終目標である大学に入り、これで親孝行をしたつもりでいた。最後の学生生活もなんとなく過ぎていった。

語学留学に行ったのも、英語が使えるようになれば就職にも有利だからと言えば、親は納得すると思ったからだ。遊びで使える英語は話せるようになったが、仕事で通用するのかは分からない。

帰国後、けっきょく僕は無職になった。まいにち昼頃起きてきて、誰もいない台所で食べ物を漁り、テレビをつけながらスマホを覗く。世の中の社会人たちの投稿は、恐ろしいほどつまらない。

代わり映えのしないランチを毎日UPする人、セミナーの集合写真を並べる人、世界を飛び回っていることを伝える外国の写真。どれも本当だろうが、どれも嘘っぽい。


働くって、どういうことなのか。なんのために、働くのか。


そんな生活を1年間続けた時、さすがにこれにも飽きてきた。金もなくなったし、取り敢えずバイトでもすることにした。

肉体労働は嫌だったので、ネットで見つけた家電製品のお客様相談窓口の面接に行った。1日中エアコンの効いた室内で、電話応対をする仕事だ。

当時はよく分からなかったが、それは派遣の仕事だった。派遣会社に登録して、家電メーカーで働く。1週間の研修で家電の知識を詰め込まれた後は、マニュアル本を渡されて、もう独り立ちだ。

クレームで怒鳴り散らす客も時々はいたが、仕事自体はラクだった。マニュアルに書いてないことは、折返し電話すると言って切ればいい。あとは社員が客へ電話をして説明する。

満員電車に乗るのがいやで、朝は早めに家を出た。薄暗いオフィスの電気を点け、派遣社員の机が並ぶ中のひとつに座り、パソコンの電源を入れて、くだらない動画を見ながらパンをかじる。

僕も、同じだ。あのスマホの中で繰り広げられていた、つまらない世界に、僕もいる。

頭にインカムをつけ、鳴り止まない呼び出し音を聴きながら、年寄りからの電話を受けた時は、ここぞとばかりに時間をかけた。それは長い1日をなんとか終わらせるための、時間稼ぎだった。

毎日おなじことの繰り返し。昨日と違う今日を探すくらいなら、わざわざ頭を働かせずに流れに身を任せていた方がラクだ。


そんな生活も半年が過ぎた頃、なんとなくこんな仕事はもう辞めようと思った。好きでもないし、楽しくもない。金も少しできた。

実家を出ようかと考えていた時、向かい側の派遣社員が立ち上がった。

「すみません、英語が話せる方いますか?」

誰も手を挙げない。通話中の声だけが、その場を通過していく。僕は少し頭を上げて、言った。

「簡単なことなら話せますが」

僕は自分の電話を離席中にし、向かい側の席のインカムを手にとった。

内容は、洗濯機の使い方だった。製品についているマニュアルに英語版も載っているが、それだけでは理解できなかったらしい。

「すごい、英語ペラペラなんですね!助かりました、ありがとうございました」

近所の席がみな、こっちを見ながら拍手までしている。

なんなんだよ。こんなレベルの低いやつらと一緒にいたくない。


続ける理由もないが急いで辞める理由もなく、相変わらず毎日おなじことの繰り返しをしていた時、突然社員から呼ばれた。別室で向かい合って座った社員が、こんなことを言い出した。

「正社員にならないか」

まずは僕の考えを聞いてから、派遣会社に話をするという。なんでこんなことを言われなきゃならないのか、意味が分からなかった。勤務態度が評価されていると言う。朝早くに出勤して職場環境を整えているとか、英語対応でも助かっているとかなんとか言っていた。

「お客様からの感謝のコメントが、君宛てに何件も来ているんだよ」

こいつ、なんでこんなに笑ってるんだ。僕がそろそろ辞めようと思っていたことなんて、さっぱり気づいていないんだ。感謝の言葉は、年寄りからのものが多く、焦らされずゆっくりと対応してくれたことが嬉しかったと、それを聞いてなんだか面倒くさくなった。

「そのつもりはないです」

考える時間も必要なかったし、その場で返事した。社員はそれ以上繰り返さなかったが「考えておいてくれ」とだけ言って部屋を出ていった。こんなところに縛り付けようだなんて、胸くそが悪かった。


それからも、おなじ毎日は続いた。薄暗いオフィスの電気を点け、派遣社員の机が並ぶ中のひとつに座り、パソコンの電源を入れて、くだらない動画を見ながらパンをかじる。年寄りからの電話で時間稼ぎをし、机に置かれたメモを見ながら、電話をかけて英語で話す。

昼休み、敷地内の庭で少し離れたところでパンをかじっていると、相談窓口でスーパーバイザーをしている40代の女性が通りかかった。

「となり、いい?」

昼休みくらい一人になりたかったが、はいと言うしかない。

「仕事、どう?課長があなたに正社員になって欲しいと言ってたけど」

「でもずっとここにいる気もないんで」

「何かやりたいことでもあるの?」

「いや、特にないです」

「そう、じゃあ見つかるまではここにいたらいいわね」

「まあ、実際そんな感じです。でも正直、飽きてきました」

「おなじことの繰り返しだものね」

僕は立ち上がり、パンの袋をゴミ箱に捨てた。

「自分がやりたいことを仕事にできたらそれは勿論しあわせなことだけど、人から求められることを仕事にするっていうのも、とても立派なことだと思う」

「人のために働くってことですか」

「んーそうね、自分ができることを、できない人の代わりにするってことかしらね。みなそれぞれ得意なこと、不得意なことがあるでしょう?映画1本つくるのだって、ストーリーを考える人がいて、現場で指揮する監督がいて、スクリーンに出て演じる人がいて、それらを支える裏方がいる。おたがいの持ち味を出し合うことで、一つの作品ができる。電話相談窓口って会社の顔でもあるのよ。お客様の疑問、苦情にちょくせつ会話をしてお応えする。その対応ひとつで、その会社を好きにも嫌いにもなってしまうんだから」

「まあ、そうですね」

「私もはじめ、この仕事を好きでやっていたわけじゃないわ。今でも好き、という感じではないけれど、大切には思ってる。与えられた場所で、自分にできることをしようって思ってやってきただけだけど」

スーパーバイザーは弁当箱をぺしゃんこに折りたたむと、小さいバッグに仕舞った。

「会社の顔とも言うべき大事なセクションに、あなたは求められてるってことね。じゃあお先に」


そう言われても、正社員になる気はない。しかし、

好きでもないし、楽しくもない仕事でも、人の役に立っているのは悪くもないか、と思った。



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