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存在の証、混乱

 ゴールデンウィーク連休で娘を連れて帰省した。
 娘がどこかへ出かけるよりも祖父さん祖母さんと家で過ごしたいと云うので、ちょっと買い物へ出た以外はずっと実家にいた。

 近所に新しくできたカフェで食事をしながら、母が、伯父さんのお墓参りに行ってきたのだと写真を見せてくれた。
 この伯父と云うのは母の妹の旦那さんである。やっぱり元は広島の人なのが、随分以前に仕事の都合で東京へ移住して、先年亡くなった。
 出棺の際に広島カープの歌で送り出したと聞いたけれど、お墓は広島でなく東京に作ったのだそうだ。家族がみんな東京にいるのだから、それはそうだろう。

 写真を見ると、従妹は叔母と同じ顔になり、従妹の息子は伯父にそっくりになっている。
 個としての人はいなくなっても、こうして存在の証が受け継がれていくものなのだと思って、甚だ感心した。
 そうして従妹の隣にも伯父にそっくりなおじさんが写っていたから益々感心したが、よくよく見たらそれは従妹の旦那さんだった。
 旦那さんには自分も一度会ったことがある。確かに伯父に似た感じの人だった。それが愈々似てきたので、これなら子供が伯父に似るのも当然だろうと得心したけれど、よく考えれば旦那が伯父に似ているのは他人の空似である。段々わからなくなった。

 寝る前に歯を磨いていたら、どうも血の匂いがする。どうやら母が用意してくれた使い捨て歯ブラシが硬すぎるらしい。向後は普段使っているのを持参しようと決めた。

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