百裕(ひゃく・ひろし)
日常を切り出して再構築したもの。
カレーに関する記憶のまとめ。
にぎやかだと思ったら近所で祭りをやっていた。この土地に住み始めて10年になるが、こんな近くで祭りをやっているなんて知らなかった。ひょっとしたら今年から祭り会場が変わったのかもしれない。 考えてみれば、地域の祭りなんて中学時代以来行っていない。ちょっと覗いてみようかと思ったけれど、たまたま長く住んでいるだけで自治会にも入っていない “よそ者” がふらりと現れて、「君ぃ、わた菓子を売ってくれたまえ。金ならあるぜ」とやった場合、「おい、あの見慣れない顔は一体どこのどいつだい?
強い酒を飲みたい時はズブロッカを買う。あれは安くて美味い。そうして手っ取り早く酔える。実に最高の酒だと思う。 冷凍庫に入れておいたらとろみがついて、いよいよ美味い。 桜餅のような香りがするので、何かと混ぜるよりもロックかストレートでちびちびやるのがいい。 昔、軍モノの服を好んで着た時期がある。物が良いのに安価で、見た目も一癖ある。自分のような偏屈者にこれほど適した衣服はないように思われた。 特に気に入っていたのが、異国の海軍の紺ブレザーだった。金ボタンがたくさん付
言い忘れてましたが、今日は誕生日です。
働くことにようやく慣れた頃、休日に横浜駅前へ行ったら靴屋がオープンしていた。 冷やかしのつもりで入ってみると、リーガルのローファーが半額になっている。新規オープンセールなんだそうだ。リーガルが半額とは中々のものだと感心した。 自分は最初の配属先で西村さんから、折財布は使うな、時計のバンドとズボンのベルトと革靴は色を合わせろ、ブランドロゴのTシャツは着るな、革靴はローファーも持っておけと教わった。 西村さんは随分お洒落な人だったのである。 この時期にはその教えがまだ強
リーガルの靴の話を書いてるけど、今日中の公開にはちょっと間に合いそうにない。
これの続き。 小四で釣りを始めて、最初は一向面白くなかったけれど、要領を掴んだら大いに楽しくなった。 いつも大体、松岡と楠山と行ったが、小五になって松岡も楠本もクラスが別れた。そうして新しいクラスで懇意になった藤沢と上野は、どちらも釣りをやらなかった。 ある時、「釣りやらん?」と二人に問うたら、興味はあるが道具がないと云う。 それで近くの山へ三人で行って、手頃な葦を取って来た。釣竿にする算段である。 家の前で葦の皮を取って糸を付けていたら、近所のおばさんが「釣竿
初めて釣りをしたのは小四の時だった。松岡と福田に連れられて、近くの川へ行ったのである。釣りには前々から興味があったので、約束をして実際に行くまで随分わくわくしたのを覚えている。 当日、福田の家に集合したら、福田が小麦粉に水と酒を入れて捏ねていた。釣りの前にクッキーでも焼くのかと思ったら、それが餌だというから驚いた。てっきりミミズとかそういうのを針に刺して使うのかと思っていて、それはちょっと触りたくなかったから安心した。 釣り場は、家と家の間の狭い隙間へ入って、その先の
子供の時分から、母方の祖父に似ていると云われてきた。 自分ではあんまりピンと来なかったけれど、三十六歳の時に香港で撮った写真を見たら本当にそっくりだった。なるほど、これでは似ていると云われるのも無理はないと得心した。 祖父は禿頭だった。髪質は猫毛だったそうで、実に自分と同じである。だからいずれ自分も禿げるつもりでいる。 実際そうなった時の備えとして、五十を過ぎた辺りから頭髪を短くした。 朝の身支度も楽だし、自分では随分気に入っていたけれど、なぜか家族には甚だ評判が
文章を書くことで、小遣い銭程度でも稼げないかと随分前から考えているけれど、ここで今日から有料ですよとやったって読まれなくなるだけだろうと、おおよそ察しがつく。 それでKindleから電子書籍を出すつもりで、過去に書いた文章のピックアップと加筆を半年ぐらい前から進めている。 今日は少し時間が取れたので改めて見返したら、これはそもそもどうなのかというようなのが随分混じっていると気が付いた。 加筆以前にテーマが悪い。悪ふざけの域を出ていない。これでお金を取るのは何だか不
土手道を歩いて眼科へ行った。 今日は土手に座って弁当を食っているおじさんがあった。先日何もせずに川を眺めていたのと同じ人のようだった。ことによると、この川の神なのかも知れない。そう思ったら急にそんなふうに見えてきた。 眼科は、今日は随分進みが遅かった。 待ち時間はnoteの執筆に充てるので、自分は一向苦にならないけれど、隣に座った婆さんはどうやらじりじりしている様子である。 じきに、車椅子に乗った別の婆さんが名前を呼ばれた。車椅子の婆さんは何だかもぞもぞしたと思っ
小一の時、乳歯が抜けない内に後ろから永久歯が生えてきて、母に連れられて近所の歯科医へ行った。 歯科医は雑居ビルの四階にあった。変わった構造で、外側の鉄階段をカンカン昇って三階のドアを開けると、部屋の中に螺旋階段がある。受付も診察室もそれを昇った四階にある。 子供心に、その構造が随分非人情だと思った。 何しろ「嫌だなぁ」と思いながら外階段を登って、着いたと思ったら受付はまだ先で、そこから内階段で再び「嫌だなぁ」をやらせるのだから不親切だ。覚悟を決めて処刑台へ上がったら、
フランケンの話を書いてます。
パスタ屋の従業員時代、新しい店に赴任すると、店長が和田さんについて「あの人は所謂『肝っ玉母ちゃん』でね、みんなを引っ張っていってくれる人だよ」と教えてくれた。 和田さんは深夜帯のパートタイマーだった。まだオープンから半年ほどの店で、まとめ役がいるのはありがたい。それでこちらもそのつもりでいたけれど、一緒に仕事をしてみると何だか聞いていたのと様子が違う。どうも、人に対する選り好みが随分きつい。 好きな相手には『肝っ玉母ちゃん』である。相手が凹んでいれば、「そんな細かいこと
中二の時、周りの友達らが急にアルフィーを聴き始めた。 どうしてアルフィーなのかと思って、そのうちの一人からカセットテープを借りてみたが、自分の好みとは違うようだった。 それで自分は、彼らに対抗してサザンオールスターズを聴くことに決めた。ちょうど『ミスブランニューデイ』とか『Bye Bye My Love』が流行っていた頃である。 聴くといっても、中学生の小遣いでレコード(当時)なんてそうそう買えるものではない。まずはFMでサザンの曲が流れるたびに録音していった。
中三の秋、三年生と二年生の間でケンカがあった。放課後に学校裏の神社で決着を着けると聞いたから、古元と一緒に見物に行った。 境内には当事者数人の他、自分らのような野次馬が三四十人ぐらいいたように思う。しかし全員三年生で、肝心の二年生が見当たらない。 緊迫感はまるでなく、縁日でも出そうな雰囲気だったのを覚えている。 「何か、祭りみたいじゃのぉ」 「二年はまだ来とらんのか?」 そうして古元と話していたら、じきに奥の丘の上へ数人が現れた。 それが相手の二年生であった。全員
また間に合わなさそうなので予告まで。 神社での戦いの話を書いてるところです。 ではまた明日。