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猫、と云う

 パスタ屋の従業員時代、新しい店に赴任すると、店長が和田さんについて「あの人は所謂『肝っ玉母ちゃん』でね、みんなを引っ張っていってくれる人だよ」と教えてくれた。
 和田さんは深夜帯のパートタイマーだった。まだオープンから半年ほどの店で、まとめ役がいるのはありがたい。それでこちらもそのつもりでいたけれど、一緒に仕事をしてみると何だか聞いていたのと様子が違う。どうも、人に対する選り好みが随分きつい。
 好きな相手には『肝っ玉母ちゃん』である。相手が凹んでいれば、「そんな細かいこと、気にしたってしょうがないよ。元気出していきな」と前向きに励ます。
 反面、そうでない相手には表向きニコニコしておいて、裏で重箱の角をつつく。
 ディナータイムのスタッフは大概 “そうでない方” で、「こんなに(汚れ物を)残して……」、「こんな出鱈目な片付け方をして……」など、自身がシフトに入るなり文句を言い始める。通しで入っているこちらは甚だ気分が悪い。
 どうもあんまり筋の良い人物ではない。
 一度、あんまりディナースタッフを目の敵にするものだから、シフトの組み方について、ディナータイムを全力で回して溜まった後片付けを深夜帯でやる前提なのだと説明した。
 すると一応納得したけれど、何だか不服そうでもある。そうしてどうかした弾みに、「もう嫌だ、もうやってらんないよ、あたしゃ帰らせてもらうよ。もう来ないからね」と言って、帰ってしまった。
 翌日もシフトに入っていたが、果たして現れない。
 それぎり来ないものだから募集をかけてもらおうと思ったら、翌週になって「あたしがいないと大変だったでしょう?」と現れた。
 店長が追い返すのかと思ったら、平然と迎え入れたから驚いた。

 その後、深夜帯に川崎君を採用した。
 川崎君はずっと中華街の店で働いていたとのことで、作業が手慣れている。おまけに人柄も控えめである。
 これは当たりを引いたと感心した。
 和田さんも、川崎君のことは大いに気に入った様子だった。

 ある時、店を閉めた後で川崎君が「副長、車で送りましょう」と言ってきた。和田さんを送って行くついでに、自分もどうかというのである。
 川崎君の車は随分古かった。マニュアル車で、あちこちに手を入れてある。気に入って乗っているのがよくわかる。なかなか川崎君らしいと思った。
 出発して少し行くと、前の車が行った後で猫の死体が現れた。
 川崎君は驚いて、「猫ぉ!」と悲鳴をあげながら死体を避けた。和田さんも一緒になって「猫ぉ!」と言った。
 自分は、一緒に云わなくたっていいだろうと思って、黙っていた。

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