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二度と会えない老夫婦

 大学三年目のある晩、学校の近くで木寺と飲んでいるうちに終電が出てしまった。
 二人とも歩いて帰れる距離ではないが、近くに下宿している友人が幾人かある。誰かの部屋に転がり込んで飲み直そうということで話がまとまった。
 それで心当たりの者を訪ねたのだけれど、折悪しく誰もいない。呼び鈴を鳴らしても反応がない。
 三軒廻ってみんなこの調子で、段々興が冷めてきた。

「どうするね? どうも巡り合わせが悪いようだ」
「何、あとは島崎のところへ行ってみるさ。それで駄目なら、辻のところまで歩こうじゃないか」
 自分は島崎の下宿を知らないから、木寺について歩いていくと、ほどなく古びたワンルーム物件に行き着いた。
 外から見ると、部屋の灯りは点いていない。呼び鈴を鳴らしてもやっぱり反応がない。
 どうも不都合だと思ったが、木寺がドアノブを回すと普通に開いた。

「あ……!」
「あいつ、鍵もかけずに出かけてるのか。無用心だな」
「しようのないやつだな。無用心にもほとがある」
「あぁ」

 コンビニでビールを買って来て、部屋で留守番をしていると、島崎はじきに帰って来た。果たして大いに驚いたようだった。

「俺、電気点けっぱなしだったかなと思ったら……」
「はははは」
「はははは。まぁお前も上がって座れよ。遠慮はいらんぜ」
「お、おぅ」

 三人で飲み明かし、朝になって話の流れで島崎の彼女に電話をした。
「電気点けっぱなしだったかと思ってドア開けたら、木寺さんと百さんがくつろいでたんだよ……」と島崎が言うと、先方も大いに面白がり、始発電車でやって来た。そうして「みんなでエトワールでモーニングしましょうよ」と言い出した。
 大学前の喫茶店は熟知しているけれど、エトワールという店は聞いた覚えがない。導かれるままついて行ったら、店と店の間の小さなスペースに『Etoile』と書かれた看板があった。
 今まで気付かなかったが、随分古くからあるような佇まいである。
 カウンターに数席とテーブルが二つきりの小さな店で、老夫婦が二人でやっていた。他にお客がいないせいかも知れないが、何だかのんびりした様子で微笑ましい。それで気に入っているのだと島崎彼女が云った。

 以来、登下校の際にそれとなく気にするようになったけれど、エトワールはいつも閉まっていた。そうしてとうとう卒業するまで、開いているのを見なかった。
 今では、店がどこにあったかも判然しない。

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