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梅干しババアの 梅干し

平屋建ての家が好きである。

平屋建ての家に住むことに、もうずっと憧れている。

その平屋には、日当たりのよい縁側は必須。

ぽかぽかした陽の光に当たりながら、縁側で本を読む。
できれば、寝っ転がって本を読みたい。
大きめのクッションがいるな。
そして、珈琲やお菓子をのせるお盆もいるな。
お菓子は、手が汚れずに食べられるものがいいな。
でも、個包装のものやと、いちいち袋を開けないとあかんから、本の手が止まるし。
あまり、べたつかないお菓子と、おてふきも用意するか。
読書の合間に、時々、空を眺めるのもよし。
もう、最高やな。


そんなことができそうな、平屋建てのおうちが、散歩コースの途中にある。
もう、かなりの築年数であることが、木造のその壁の様子からうかがえる。
縁側らしきものは、外からは木々があって見えないが、なんとなく、ありそうである。
う~ん。いいじゃないか。
木々も、どれも大きなものばかりである。
しかも、そんなに手入れをされていないようで、すくすくと伸びている。
縦にも横にも。
でも、うっそうという感じではない。
木々と家とが、同じくらいの存在感を見せている。
ええ塩梅である。

その木々のひとつに、イチョウの木がある。
秋になると、その家の周辺は、イチョウの香りに包まれる。
道には、オレンジの粒々が、たくさんころがっている。
つぶれているものがほとんどなので、イチョウの香りを、さらに高める。
そう。
かなりの、銀杏臭なのである。

でも、銀杏臭の時期を過ぎると、その家の前に、ワゴンが置かれる。
その上には、ビニール袋いっぱいに詰め込まれた銀杏が並ぶ。
「一袋 100円」
と手書きの文字が書かれてあり、その横には、お金を入れるための箱がある。
あのころがっていた オレンジの粒々から取り出したやつやな。
しっかりと、お商売してはるなあ。
でも、あのにおいと闘いながら、これだけの量を100円でふるまってくれるなんて、かなりのコスパよしさんである。
スーパーで売られている値段と比べると、何倍もお得である。
買ってみる?
買いたい。

でも、
やめとく。

なぜなら、
私は銀杏が大好きやから。
きっと、一気に全部食べてしまうのが、目に見える。
そして、あとから、お腹が痛くなるのも、想像がつく。
フライパンで炒っている時の、あの香ばしい香りの誘惑には、100%勝てないから。

せめて、もう少し量が少なかったらなあ。
などと、コスパよしさんに対して、失礼なことを思う。


ある時は、花梨がゴロゴロと並べられていた。
お庭には、花梨の木もあるらしい。
それには、
「どうぞご自由にお持ち帰りください」
とある。
これは、無料なんや。
甘~いいいにおいである。
でも、花梨をどう調理していいのかわからず、その時もお持ち帰りはしなかった。


そして、少し前のこと。
今度は、瓶詰の梅干しが、ワゴンの上にずらずらと並んでいた。
梅干しの色って、赤色のような、茶色のような、そんなイメージだったように思うけど、そこに並んだ梅干しは、黒というか、こげ茶というか、どす黒いというか、どすこげ茶というか、なんとも、形容が難しい色をしている。

わたしが子供時代を送った昭和の頃には、梅干しババアという言葉があった。
今では、人の容姿に関わるような言葉は、使っちゃいけないんだろうけど、
年齢を重ねた証が、顔中や首筋や、その他もろもろに皺となって表れている女性のことを、梅干しババアなんていったりしてた。
あっ、昭和でもあかんか。
それはそれで、反省するとして、ワゴンの上の梅干しを見た時に、その梅干しババアってことばが、さっと頭に浮かんでしまった。
懐かしい。
一気に、何十年も前の昔のことが、思いだされてきた。
懐かしさに にんまりしながら、
ふと、自分の手を見ると、すっかり梅干しババアのそれになってたのには、びっくりしたけど。
心の中は、懐かしい子ども時代の思い出でいっぱいやったのに。
かわいらしい自分の姿が、思い浮かんでいたのに。
梅干しババアなんて言ってたむくいやな。


ワゴンに貼られた紙には、こう書かれていた。

「30年物、ものによっては、40年物の梅干しあります。」

30年物?
40年物?

梅干しって、そんなに日持ちがするものなのか。
そんなに、長い時間漬けこまれていたから、どす色になっていたのか。
いやはや、驚きである。

梅干しも、スーパーで買うと、まあまあのお値段がする。
ついつい、紀州産にこだわったりするので、余計にまあまあお値段はする。
それと比べると、かなりのコスパよしさんのお値段設定な、どす色梅干し。

買うべきか。
試してみるべきか。

ワゴンの前で、かなり悩む。
今まで出会ったことのない、梅干しの味に出会えるかもしれない。
でも、その貴重な味の良さを理解できずに、捨ててしまうことになるかもしれない。
それも心苦しい。
う~ん。

と、ここで、ふと気が付いた。
なぜ、今、この30年物や、40年物の梅干しを売ろうとしているのか。
きっと、ずっと、どこかの部屋の隅に置いていたか、床下にしまわれていた梅干しを、引っ張り出してきて、自分たちだけでは食べきれないなと、売りにだすことにしたんやろう。
でも、今、なんで、ひっぱりだしてきたん?
もしかしたら、引っ越し?
それとも、家を建て替え?
え~~。
そうなると、私の平屋建てへのあこがれを慰めてくれていたこの家が、なくなるってことなん?
それはちょっと困るわ。
いやはや、どうしよう。

もう、梅干しを買うどころではなくなった。
そわそわして、じっとしていられなくなり、そのまま家に帰ってしまった。
結局、30年物も、40年物も、味はわからずじまいとなった。


昨日、久しぶりに、その家の前を通った。
まだ、家はあった。
工事が入る気配もなさそうである。

ワゴンの上には、なんにものっていない。
でも、ワゴンの真上には、蝋梅が枝をひろげ、ワゴンを覆うようにしていた。
力強い枝ぶりである。
冬の空気の中に、黄色い花が、きりっとしている。
近づくと、甘い香りが、ぽわ~っとただよってくる。
よかった。
まだ、家はあったわ。
ほっとしたわ。

ほっとしたついでに言わせてもらうと、
「蝋梅の枝 ご自由にお持ち帰りください」
の文字があったら、なお嬉しかったなあ。

銀杏も梅干しも買わへんかったけど。



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