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【R-18】掌編小説 油断のできない季節

「あ、そよ風」
 奈緒の手があたしのスカートをめくり上げる。お尻をさっと撫で上げ、涼しい顔で微笑む。
「ちょっとやだもお。こんなに人がいるところで」
 昼休みの「大銀杏」は、たむろする学生たちでいっぱいだった。何人かの男子学生が好奇の目であたしと奈緒を見る。
「だって、リヨ可愛いんだもん。こんなひらひらしてパニエの入ったスカートはいてたら、いたずらしたくなる」
 恥ずかしくなってうつむくと、白いスニーカーについた赤ワインのシミが視界に入る。数日前に、奈緒につけられたものだ。
 
 春は、油断のできない季節だ。
 まっさらなものを身につけてみたくて、白いキャンバスのバレエシューズみたいなスニーカーを衝動買いした。でも、汚れっぽいので、気候が不安定な春先には不向きだった。
 まっさらで頼りなくて、すぐに誰かにシミをつけられるのは、あたしも同じだった。
 サークルの勧誘で知り合った木下さんという二年生の先輩と、仲良くなったのは、オリエンテーションの最後の日のことだった。仲良くなった、というか、はっきり言ってしまえは、簡単にヤってしまった。
 木下さんは、あたしを彼女にしてくれるんだとばっかり思っていた。
 居酒屋はものすごく混んでいて、あたしと木下さんは隣り合わせに座っていた。少しおどおどした感じの新入生の男子がやってきても、みなすっかりできあがっていて、誰も声をかけようとしなかった。
「おい、ここ座れるから来いよ」
 って、屈託なく笑った木下さんの目尻の笑い皺がものすごくよくて。それまでずっと、木下さんとは脚と脚が触れるくらいの距離に座っていても、まったく気にならなかったのに、急に恥ずかしくなった。
「おっと、リヨちゃんごめんな」
 木下さんは、そう言うと、あたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。髪が柔らかくて、よかった。
「ううん、あたし場所とらないから大丈夫」
 木下さんが、手を後ろにつくと、畳の上にふわりと広がっていたあたしのスカートの生地に触れる。
「あ、またごめん」
「ううん」
「……可愛いな、ほんと。彼氏とかいるの?」
「そんな人、いません。お子さまっぽくて、誰も相手にしてくれないんですってば」
「じゃあ、俺、立候補しとくわ」
 飲み会の間はどきどきしっぱなしだった。木下さんは猫を飼っていて、その猫とあたしが似ているといって、しきりにからかわれた。帰る方向がいっしょだったので、あたしに似てる猫を見せてもらいに、木下さんのアパートに寄った。猫はどこかに遊びに行ってしまっていた。猫のかわりに抱きしめられた。キスはやさしくて、強引で、すぐにおっぱいをつかまれて、ちっとも気持ちよくはなかったけど、求められてるって感じがよくて、すごく濡れた。
 終わった後に、
「なんだリヨちゃんって見た目よりエッチだな」
 と言って、また目じりに皺を寄せて笑うので、もう一回した。
 
 木下さんはヤれそうな新入生を探していただけなのだろう。それきり連絡は途絶えた。あたしは木下さんを待つともなく、毎日「大銀杏」でたむろしている。「大銀杏」とは、文字通り中庭にある大きな銀杏の木のことだ。
 奈緒は、同じクラスの友達で、何をするにもメールで連絡を取り合って集団で行動したがる女子たちからはかなり浮いていてすごくカッコよかった。モデルみたいにスタイルがよいのに、媚びない雰囲気とか、歩くとスキニーなシルエットのデニムに浮かぶび上がるうしなやかな筋肉とかそういうものが。
「大銀杏」の下で、ぼんやりしていたときに、声をかけられた。
「ねえ、同じクラスの子だよね、三限休講だって。お茶とかしない?」
四限以降の予定はなかった。
 オープンエアのカフェのテーブルで、奈緒と隣あわせに座った。奈緒は当たり前のようにワインを注文したので、あたしもつられて同じものを頼んだ。まだ午前中なのに、クラスで一番素敵に大人っぽい女子とこんなところにいる、という事実に酔った。ふたつの小ぶりのグラスには、縁のぎりぎりまでシックな色合いの液体で満たされていて、乾杯でゆれ、波立ったそれは、あたしの白いスニーカーに綺麗な色のシミをつけた。
 奈緒とは今までに、二言三言言葉を交わしたことがあるだけだった。奈緒はメンズのいかつい時計をしていて、それがちょっと筋ばった感じの手にすごく似合っていたので「その時計すてき」とか、そういう他愛もない会話ぐらいしかしたことがなかった。
 グラスからあふれ出たのは、ワインだけではなかった。今まで誰にも話したことがなかった木下さんのこと、好きになれそうな気がしたのに、連絡がないけど、捨てられた猫みたいに惨めなこと。奈緒にすべてを話した。
 
 夕方ごろ、奈緒のワンルームに行った。
 奈緒はあたしのスニーカーの遠慮なくシミ抜き洗剤を振り掛け、それから洗面所のシンクに水を溜めて、その中に沈めた。
「リヨ、泊まっていったら? よく考えたら靴が濡れてたら帰れないじゃない」
 家に帰っても、木下さんからのメールを待つ以外にすることはなかったので、そうすることにした。
 話は尽きなかった。さっぱりとした辛口の白ワインを空け、ふたりで、鷹の爪とニンニクだけのパスタをつくって食べた。
 シャワーを浴びた奈緒の濡れた髪と、薄い胸に浮き出した肋骨を見ていたら、抱きしめてほしくて泣きそうになった。ふざけて抱きつくと、柔らかい唇が押し付けられた。フルーティーなワインで冷たくなった奈緒の舌は木下さんのよりずっと薄くて繊細な動きをする。奈緒の背中にそっと手を回して、きれいに尖った肩胛骨に触れた。
「リヨを振る男がいるなんて、信じられない」
 唇を離すと、奈緒は、あたしの耳元でそう言い、それから、あたしの耳たぶを軽く噛んだ。
「やだ、奈緒ったらやめてってば」
 体の奥がびくんと震えて、自分でもわかるくらいに乳首がつんと硬くなって、奈緒に貸してもらったTシャツにこすれて、悲鳴を上げそうになる。奈緒はおかまいなしに、あたしの耳の裏を舌でくすぐりながら、Tシャツの裾に手を入れてくる。
「リヨ、可愛いんだもん」
 細い指で乳首をそっと転がされると、あそこがきゅっとなって、温かいものがこみ上げてくる。奈津の体からバスタオルを剥ぎ取り、そこだけ赤ワインをこぼしたみたいな小さい突起にそっと触れる。それだけでは足りなくて、あたしは奈津の赤ちゃんになったみたいに、甘えて吸い付いてみる。
「あん、リヨってば。やだ……、そんなに吸ったら痛いよ」
 あたしは、吸うのをやめて、舌の先で、そっとつつく。奈緒があたしのショーツの脇から指を進入させる。ぬめりを掬い取って、すごく感じる頂点を優しくこね始める。もどかしくなって、あたしはショーツを下ろすと、奈緒はあたしの脚の間に顔をうずめ、こりっと硬く充血したところを舌先で弄ぶ。奈緒の指が遠慮なくするりと入ってくると、あたしのあそこはすんなりと長い指にぎゅっとまとわりつく。意地の悪い指が徐々に動きを早めると、あたしは耐えられなくなって、うねりに身を任せる。がっくりと力が抜けてしまうと奈緒はあたしの汗ばんだ頬を撫でる。放心から戻ると、あたしは奈緒の細すぎる脚を開いて、同じことをする。
 おかしなことをしているという気はしなかった。あまりに自然すぎて、話をしたりワインを飲んだりするのと、同じような感じで触れ合って、何度も溶けた。
「ごめんね、リヨ。あたしのこと、嫌いになった?」
 朝、すごく気分よく目覚めたら、奈緒が隣にいて、でも、木下さんとしたあとみたいに、胸が苦しくなるような感じがなくて。もし奈緒が、あたしの恋人になりたいんなら、なんか申し訳ないなあという気持ちになった。そういうのとはちょっと違う。
「ううん。そんなことない。なんか自分でもびっくりした。でも、あのね、誤解しないで。奈緒のことは大好きだけど、男の人を好きになるのとは違うっていうか。でも、遊びとか、そういうんじゃなくて……」
「よかった。わたしはね、ただリヨのことが可愛くて、すごい好き。でも、彼氏とか作っても平気だし」
 それから、靴が乾くまで、学校をさぼって、奈緒とふたりで駆け落ちした高校生カップルみたいな暮らしをした。
 
 今朝ふたりで、学校まで歩いて行って、昼休みに、「大銀杏」の前に待ち合わせをした。いきなりスカートをめくるなどという子どもっぽいいたずらに、思わず顔を赤らめる。
 奈緒の腕に自分の腕をそっと絡めながら、ぼんやりと講堂のほうから歩いてくる男子を見た。その一団がすぐに近くに来るまで、その中に木下さんがいたことに気づかなかった。
 油断のできない季節はもうすぐ終わり、梅雨が来てそれから夏が来る。
「奈緒、夏休みにどこかに旅行にいこうよ」
「賛成」
 奈緒はそう言って、あたしの腕を引き寄せた。
 本物のそよ風が吹いてきたので、あたしはふわりと空気を孕んだスカートを押さえた。
                              (了)                                                                                            

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