詠み人知らずの人生
最近、常々思うことがある。めっきり弱くなった。何もかもに対して。
(ひとつひとつの事象に真摯に向き合うことをせず「何もかも」などと曖昧な言葉を使うのも、弱さの表れなのだろう)
自分の仕事に対して叱られが発生した。
ワッと怒られるようなものではなく、裏で「あいつ最近なんなの」とこそこそと後ろ指をさされていた。その場に仲の良い役員がいたので「俺が話聞いてきます」と引き受けてくれて、面談の場がセッティングされた。
水曜の朝、憂鬱な気持ちを胃薬と一緒に流し込んでいたときだった。
「俺と一緒に仕事バリバリやってた頃とは、最近はちがうよな」
そう言われて、正直そりゃそうですよねと笑ってしまった。そうですね。自分でも身が入ってないなとは思っているんです。
そうは言えないので、はあ、と神妙な顔を作った。目を見てしまえば心の中をすべて覗かれる気がして顔を上げることもできなかった。
同僚や後輩たちのお悩み相談を受けている。
勝手に「お悩み相談室長」と自称するくらいには、私のもとに悩める仔羊たちが日々やってくる。業務に関すること、対人関係での悩み、プライベートなこと、恋愛・人生相談まで。
過去の私なら傾聴した後に自分の考える最適解を捻りだしては一生懸命に伝えていた。たとえ相談者の思いと反する回答であっても。
特に仕事に関することであれば、動ける範囲でその人のサポートができるよう、社内でうまく立ち回ることも厭わなかった。
それが、最近は歯切れが悪くなった。「うーん、せやなあ……」と曖昧な相槌を打つ。
その間に脳内で情報たちがぐるぐると駆け回り、何を言えばこの人は満足するのだろう、どう返せば嫌われないだろうかと考えている。結果、決定的な回答を控えて当たり障りのない言葉ばかり並べる。愚の骨頂。
実家に帰る。親が老いていくのを痛感するのはつらい、と言いたいところだが、子どもたちが巣立った後のほうが元気にしているような気がする。
帰る度にどんどん改造されていく実家を眺めて、両親も自分の人生をようやく歩んでいるのだなと、当たり前のことに気づく。
映画の話をする。
音楽の話をする。
文化の、ひいては人生の話をする。
よく父親に「お前は人のことを批判してばかりだ。理想論ばかり語るな」と叱られていた私が、それでも泣きながら意見をぶつけていた私が、ほぼ口論もなく実家を後にする。
私の姿が見えなくなるまで見送る父親の姿を目に焼き付けながら。
大人になったと表現すれば、それはそうなのかもしれない。
世の中には自分の力だけでどうにもならないことがあることを知り、その自分も何か特別な才能のある人間ではなく平々凡々の、どちらかといえば劣等生だということを突き付けられる毎日。
ずば抜けた結果を出せない人生、他者からの好意で醜い承認欲求を埋めていくしかない。
人に嫌われないためにはどう動くべきか、人を傷つけないようにするにはどうするべきか、そのことばかり考えて生きている。
学生時代から社会人3年目くらいまでの自分は、もっと尖っていた。
自分の中で譲れないものもあったし、いつか苦労が報われて才能を開花させる時が来ると信じてやまなかった。
でもそれは、何も知らない無邪気さからくる強さだったのだ。
人間は弱くなる。それが老いというものなのかもしれない。
反射神経は鈍くなり、刺激をなるべく避けるようになる。視力が悪くなり、まぶしい光景を目を細めなければ見れなくなったのと同じ。
こんなことをリアルで口にしようものなら、まだ二十代なのに何言ってんの、と一蹴される。
自分でもわかっている。衰えを感じるのが早すぎる。まだまだ人生はこれからなのだということも。
それでも少し疲れてしまった。
尖っていたころの感覚を「イタい」「厨二病」「黒歴史」という単語で片づけてしまった結果、自分がどう感じているのか、何もかもわからないような腑抜けな人間ができあがってしまった。
そうして私の人生は社会の波にもまれながら、角が取れてつるっつるのどこにでもある小石になっていく。
弱さゆえの、つまらない生き方だと思う。
あと何十年と続く人生を、消化試合だけで生きていくのだろうか。
冒頭、やさしく声をかけてきた役員はこうも言った。
「俺にはなんでも話してくれてると思ってたわ」
「お前は何を言っても 大丈夫です って言うからなぁ」
どこまで本心を見抜かれていたのかはわからないが、私は泣きだしそうになるのをぐっとこらえて「すみません、大丈夫です」といつもの言葉を絞り出した。それ以上彼は何も言わなかった。
本当は大丈夫じゃないこと。
本当は傷付き、ぼろぼろになっていること。
本当はもっと自分のこころを大切にしたいし、楽しく生きていきたいということ。
誰に言うこともできずにずっと胸の奥で燻っている思いが、喉元でつっかえてうまく話せなくなる。
本当は全部ぶちまけたい。自分のプライベートのどうでもいいような相談を持ち掛けて、相手に心を開いているかのように見せておきながら、本当の腹の底はきっと誰にも言えないんだろう。
尖らなくても、丸い小石から砂利になって消えてしまうような人生でもいい。
必要以上に自分を押し殺して笑ったりせず、泣きたいときに思いきり泣けるような、寂しいときは酒に逃げずに素直に寂しいので話を聞いて欲しいですと言えるような、そういう生き方をしてみたい。
特別な才能がなくとも、弱いままの私でも、誰の記憶にも残らない詠み人知らずの人生でいい。
そう割り切って生きていけたのなら。
明後日で、28歳になる。
つべこべ屁理屈を垂れているが、結局は20代の終わりが見えてきたことに焦りを感じているだけなのかもしれない。
あれだけ年齢に囚われたくないと言っているくせに、所詮はその程度のものさししか持ち合わせていなかったみたいだ。
28歳、自分と向き合うことをテーマの年にしたい。
詠み人知らずならばそれなりに、良い歌をどこかに残せるように。
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