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正しい目的のためには、愚か者といわれてもいい

(書き下し文)
子(し)曰(いわ)く、甯(ねい)武子(ぶし)は、邦(くに)に道(みち)有(あ)れば則(すなわ)ち知(ち)、邦(くに)に道(みち)無(な)ければ則(すなわ)ち愚(ぐ)なり。其(そ)の知(ち)は及(およ)ぶ可(べ)きなり。其(そ)の愚(ぐ)は及(およ)ぶ可(べ)からざるなり。

(現代語訳)
孔子様がおっしゃるよう、「甯(ねい)武子(ぶし)は、国が治まっているときは表(おもて)に立って腕をふるい、あっぱれ知恵(ちえ)者(しゃ)だといわれるが、国が乱れると蔭(かげ)にまわって損な役(やく)回(まわ)りを買い、利害を知らぬばか者のように見える。その知恵者たるところはまねができるが、そのばか者たるところは及びもつかない。」

(学びと戒め)
時々、不安になる事がある。
自分はこの先大丈夫なのだろうかと。
だけど、考えている道を歩んだ先にかっこいい自分が待っていると思う。
だから、不安だけれどもそれ以上に楽しみでもあるので頑張れる。
皆何かしらの不安は抱えて生きている。
生き方の違いは、その不安に押しつぶされるのか、その不安を抱えながら自分の思う道を歩み続けるか。私は後者でありたい。

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