人の話をちゃんと聞けているのか

年末年始で帰省中。親族と話していると、誰も人の話をろくに聞いていない気がしてならない。聞いていないのか、聞く気がないのか、癖になっているのか。

叫ぶように声を出したり、人が話してる途中で話をかぶせたり、否定や批判から入ったり、自分の知ってるキーワードが出た瞬間にキーワードだけに反応したり、勝手に結論を出して勝手に納得したり。

とうてい人の話を「聞いている」ようには見えなくて、なんだかわたしは話さなくてもいいや、という気分になり、魂をその場から遠ざける。

話す人もそれに呼応するかのように、声が大きい、滑らかにしゃべれない、つっかえる、言い間違いや噛むことが多い、間が変、話すリズムが一定じゃないという「聞きのにストレスを感じるしゃべり方」になっている。

話を聞かない人の中にいる時、わたしもまた魂をその場から遠ざけて、「話を聞かない人」になっている。お互い様だ。

好きなほっこり系Youtubeチャンネル「見る前に跳べ」の家庭を観ると、子供も大人もみんな、人の話をきちんと聞いているように見える。そしてすごく穏やかで、みんな安心しているように見える。

人間それぞれに「ちゃんと話を聞いてくれる人」がいるといいなと思うし、たとえばわたしの祖父には、そんな人がいないんじゃないかと思った。少なくとも祖母は、ちゃんと話を聞いてない。話を最後まで聞かないし、全部怒りモードで打ち返している。(これは祖父のこれまでの素行に対する正当な反応でもあるから、祖母を一方的に責めることはできない。)

誰が先に話を聞かなくなったのか分からないけど、話を聞かないコミュニケーションやストレスを与えやすいしゃべり方が完成してしまったら、直すのはけっこう大変だと思う。

話を聞かない人たちの間で「話を聞きましょう」なんて提案がなされるなんて思えないからだ。そもそも、もう相手を拒絶して、受け入れ体制がないのかもしれない。

話を聞くことを大事にしなければ。少なくとも、自分にとって大事な人だと思うなら、その人の話を聞かなければ。話を聞けない人や関係性は、思ってるより多そうだ。そしてたぶん深刻だ。話を聞くことについて、意識的になりたいなと思った。痛切に。

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