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境界の住人

何やかんやで、やっぱり社会には溶け込めていないと感じる28歳女です。

でも溶け込むフリして生きてきたなーとも思います。

わたしは「境界に生きる人」だと思う。

社会に溶け込める・溶け込めない

発達障害・発達障害じゃない

現実世界・空想の世界

おとこっぽい・おんなっぽい

牡羊座・牡牛座

あらゆるものの境界を生きている感覚がある。誕生日自体がギリギリ牡羊座で、あとほんの一瞬で牡牛座に入ることもそう、生まれながらに境界ギリギリを生きている。

境界から見る世界は定まらない。居場所がすぐに無くなる気分になる。

いつも波が立っていて、おんなじ場所に立ってるだけなのに、ここが砂浜のときもあれば、波が来て海の中になってしまうこともある。わたしは砂浜に合わせて靴を履いたらいいのか、海に合わせて裸足になったらいいのか、波は終わったものと解釈して着替えたらいいのか、よく分からなくなる。そのままでいいやって開き直って裸足の裸になるまで、ずっと迷い続けてしまう。そして裸足の裸もだんだん恥ずかしくなって、結局靴を履いて服を着て…を繰り返して忙しくなっている。

パーマカルチャーの本を読んでいたら「接縁」という言葉が出てきた。いわゆる境界のことだ。森と草原の境界、砂地と粘土質な土の境界、そういう自然環境の境界のことを指しているようだ。そして境界には独自の生態系があって、歓迎されるべきことだから、もし環境をデザインできるなら境界を意図的に作っていこう。すごくざっくり言うと、そんな感じ。

「境界っていいじゃん〜」と、自然が教えてくれる。境界には独自の生態系があるんだって。たしかにわたしだって、境界に住んでいるからこそ見えるもの、出会える人、理解できること、綺麗な景色、たくさんある。

世界の構造は自然がすでに完成形を示してくれるから、自然から大事なことを読み取って、自分自身に活用すると良い。それだけのことだ。人間が自然に打ち勝つ絵は本当に不自然で好きじゃないから、とにかく自然を観察して、勉強して、理解して、自然中心の世界に対していかに納得していくか、それだけのこと。

境界の住人として誇らしい気持ちで自然と生きていこう。世の中は人間優位になりすぎてて、間違ったもの、人工的なものの方が多くなってるくらいだから、逆に自然を信じて世界を読み解けば、気楽に生きられる世界は簡単に作れる。

人間が作ったものを攻略しようとするのは難しい。辻褄合わせと、利害と、気遣いと、色々ごちゃまぜになってしまい、ツケを払うために生きるようなものだから。

自然は一方向に進化しているから、ややこしさは無くて、 ただ声を聞いてさえいれば大丈夫なところにたどり着ける。自然を信じていればおかしなことにはならない。もし自然を信じても死んでしまったときは、それはもう死期として受け入れるしかない。人間のせいで死なない。自然の中で死にたい。そういう願いがある。

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