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【掌編小説】妊娠16週目、妻

俺の妻が今日で妊娠16週目を迎えた。
最近の妻は以前のように猫やら大仏やらに変身することはない。ほんとあれ迷惑だったから、やめてもらってありがたいことだ。

なんたって、彼女自身の腹のなかで突然変異が起こっているのだし。入れ子構造的にミューテーションを起こされても困る。

妻は俺の隣ですうすう寝息を立てて寝ている。
さっきまで身体の触り合いっこしていたらなんだかそういう雰囲気になって、あれよあれよと流れるままそういうことをした。

事の後はピロートークもおざなりに、もう眠いと言って妻はショーツを履き、俺のパーカーだけ着て寝ようとしている。日曜日の午後3時。お昼寝の時間。相変わらずの自由人っぷり。
慌ててスウェットの下を差し出して、冷えるからこれ履いてと言ったら、履かせてと言う。
我儘放題だなこの嫁さんは。

よっこらと腰を浮かせて履かせてやると、妻はクッションを抱えてすぐに眠りについた。
こんなマイペースでママになれるのかね。
まあ、俺もこんなんでパパになれるのか不安だけどさ。パパになってもガンプラいじれるといいな。あとフィギュア集めも継続したい。

妻のつわりが酷かった時には夫婦生活などなかった。当たり前だ。毎日トイレに駆け込んでゲーゲー吐いてる嫁を見てしまったら、性欲どころではない。
妻の気分が少しでも良くなればいいと思い、背中をさすったり、ネットでつわりを起こしにくい食べ物を検索したりと割といい夫していたと思う。

この頃になってやっとつわりが治まって来たので、様子をみいみいそっと妻を触ってみる。たまに手負いの獣みたいな反応をするので用心深く触れるようにしている。妻の体調がもちろん第一だけど、俺を受け入れてくれるとうれしい。

妻はマタニティ雑誌を読んでは妊娠中に浮気する男とかサイテーと毎回こぼしている。食器洗いをする俺の背に向かって聞こえるようによく通る声で言う。妊娠中の夫の浮気はまあまあ耳にすることだ。あるあるというか。
そもそも論として浮気は妊娠中でもそうでなくても男でも女でも関係なく最低な行為でしょうよ。

俺は浮気とかそういう面倒なことには首を突っ込みたくない。まったく女にモテないというのもあるけど。ガンプラオタクだし。性欲だってさほど強くないし。いやいやそういうことじゃなくて妻が泣くことはしたくないから浮気、だめ絶対。

部屋のデスク上には妻が数ヶ月前に書き上げた卒業論文とその題材となったテキストが置かれている。

「川上弘美の異世界論 穂積あかり」

妻は大学在学中、体調不良から止むを得ず中退し、卒業論文を提出できなかったことを悔やんでいた。デスクに置かれているのは数ヶ月前、妻が一念発起して書き上げたものだ。
日本近現代文学ねえ。興味が、ない。
妻からは読んでほしいと言われたが生返事をして言葉を濁しそのままにしてある。
絵ならともかく小難しそうな文章は読む気が起こらない。

なんとなく引っかかっているのは、妻が「じゃあいいよ、山野くんが卒論読んでくれるって言ってるし」と言ってから俺に読むことを一切強制しなくなったことだ。

おいおいおいおい山野くんって誰?そいつなに文学興味ある系?すげーいいやつなだけ?もしかして妻が強引に押し付けてるだけなら山野くんうちの妻が面倒起こして本当にごめんなさい。
それとも俺の妻に興味ある系?だとしたらちょっと人の奥さんに手を出すとかやめてよねー。元柔道部の俺が寝技からの関節技決めちゃうぞー。

胸のあたりがちくちくする。
おやこれ嫉妬?いや、俺は嫉妬などしない。嫉妬は自分に自信のない人間がするものだ。
俺は、そういうのは断じてしない。

でもあかりに山野くんて誰よって深く突っ込んで聞けない。なに、そんなにあんたら仲良いの?
あかり、なんでそんなに楽しそうに山野くんの話するの?って聞けない。聞きたくない。

そうじゃなくて、あれだよな、俺があかりの書いた文章を読んでやればそれで収まる話なんだよな。

隣で眠るあかりは額にうっすら汗をかいているので、手の甲で拭ってやった。あかりはもともと体温が高く暑がりだ。こどもみたいだなと言ったことがある。

わがままですぐに機嫌が悪くなるところも子どもじみてる思うけど、あかりなりに俺のことを思って大切にしてくれていることを知っている。好きなだけ甘えさせてくれることも、俺が家事サボることに片目つぶってくれてることも。
大事。あまりに簡単な言葉だけど俺はあかりが大事。いなくなったら困る。
俺、きっと泣いちゃう。誰かに取られるのも嫌。

「いま、信吾の夢みた」

あかりが眠気まなこのぼんやりした口調で俺に話しかける。半分まだ夢のなかにいるようだ。

「どんな」

「富士山があって、それが赤富士になっててすごいきれいで、信吾とふたりで富士登山するの」

「いつか一緒に富士山登ろうな」

「うん、この子と一緒に登ろう」

「その時はあかり、重機になって途中まで俺らを運んでよ」

「わたしはバーバパパじゃないってば」

ふたりで笑って、俺はあかりのお腹を優しく撫でる。

「俺、ちゃんと赤ん坊とあかりのこと支えるから」

「うん」

「頼りないかもしれないけど、ちゃんと頑張るから。」

「信吾のこと、ちゃんと頼りにしてるよ。」

「…あと山野とか言う奴の話もしないで」

「山野くん?わかったけど、なんでまた」

「俺があかりの書いたの全部読むから」

「いいよ無理して読まなくて」

「いや、全部読みたい。あかりの考えてること全部見たい」

「ちょっと、照れるじゃん。なに急に」

「だってパパになるし。ママのこと一番知ってる存在でいたいじゃん」

「じゃあパパ、いまママは何を飲みたいでしょうか」

「パパをいいように使うんじゃねえ」

「あははごめんごめん、ありがとう。そう正解ですママはいま麦茶が飲みたかった。…パパきょう夕ご飯なに食べたい?」

「そうだなサイコロステーキなんてどう?」

「よし、パジェロに変身してイオンまで行こう!」

「おてて繋いで歩いて行きましょうよ。子供生まれたらゆっくり手も繋げないかもだしね」

「そだね」

あかりがにっこり笑う。俺もつられてにっこり笑った。

ふたりのダイスゲームはまだ序盤。
途中で振り出しに戻ったりしながら、迷ったりぶつかったりしながら、それでもゴールを目指してゆっくりと歩いていく。


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#小説

本作は「変幻自在、妻」の夫婦のお話です。
https://note.mu/1109arisa/n/n493bda352ebf

©️2018ヤスタニアリサ

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