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【掌編小説】サロン・ド・くまちゃん

「あなたは自分の髪をセットするが好きですか、それとも人の髪をセットするのが好きですかって聞かれたんだ、専門学校を受験するときに面接官に」

鏡越しに見るくまちゃんの顔はいつものふにゃふにゃした表情ではなくて美容師然としていて少し照れる。
美容師を目指すくまちゃんとカメラマンを目指す私はふたつの約束をしている。
毎月第1土曜日はくまちゃんがわたしの髪を自由にしていい日。毎月第2土曜日はわたしがくまちゃんを被写体にして自由に撮影していい日だ。くまちゃんは美容師の専門学校に通っていて、私はカメラの専門学校に通っているんだ。
本日は第1土曜日なのでくまちゃんの部屋にお邪魔している。鏡台の前にあるアンティークの椅子に座って、はちみつ色のケープをかけてもらう。

私たち、ゆくゆくは世界を股にかける美容師とカメラマンになるんだよね、鳴り物入りで登場しちゃうから待ってろ世界、そんなふたりに幸あれ、乾杯! と言い赤ワインを片手にゴーマンかまして笑い合った仲だ。

お互いの恋人ももちろん大切だけど、私たちは双子よりも仲がいい。双方の親よりたくさん喧嘩してる。同性の友達より情けない表情を知っていると自負している。私はくまちゃんのことが大好き。
そういうと飲み会の席で私の彼氏のタカヲは隣でじろりと睨む。俺、本当は嫌なんだぜ熊代が依子の髪の毛触るの。2人で会うのだって結構嫌なんだぜ。でもあんたらのこと信用してるからな、といって鼻の上をポリポリと掻く。私もタカヲもくまちゃんも同じ中学、高校時代を過ごした。

高校生の時からくまちゃんは人の髪をいじるのが好きで、同級生の男の子だけじゃなくて女の子の髪もよくアレンジしていた。そのセンスの良さは学校中に広まり「サロン・ド・くまちゃん」と名付けられ、彼のヘアアレンジは予約制となった。
「サロン・ド・くまちゃん」では昼休み、30分間でその人に似合うヘアスタイルにあっという間に仕上げてしまう。だからくまちゃんのロッカーは漫画やゲーム機でなく、コテ、ヘアスプレー、ピンやカーラー、ヘアアレンジ雑誌がぎっしり詰まっていた。

くまちゃんがヘアスタイルを仕上げると今度は私がその子の手を引いて、フィルムカメラで撮影させてもらう。ふわりと揺れるカーテンの中で、晴天の屋上で、音楽室のピアノにもたれかかってもらって。その人のいちばんその人らしい表情をレンズに収めるというのが私のモットーだった。
不思議とくまちゃんの手にかかった彼や彼女は雑誌のモデルさん顔負けのいい表情をする。くまちゃんに「雰囲気」を吹き込んでもらったみたいだ。その表情、貰った。

「サロン・ド・くまちゃん」でアレンジをしてもらった人はくまちゃんに甘い甘いお菓子をプレゼントしていた。くまちゃんは色白ですらりとしているのに、甘いものが大好きだ。みんなくまちゃんが甘党なことを知っているから、くまちゃんにお菓子を献上する。輸入菓子、高級チョコレート、アカシアのはちみつ、とらやの羊羹、くまちゃんはそれらのお菓子をもらってほくほくした顔で笑う。
どうもありがとう、また髪いじらせてね。依ちゃんも一緒に食べようと言って笑う。
私は甘いもの好きじゃないからいいよと断るとくまちゃんは至極残念な顔をする。がんばって取ったハチの巣にあんまりはちみつが入っていなかったときのくまみたいな顔をする。

話は戻る。

「それで、面接官には自分の髪と人の髪、どっちをいじるのが好きって答えたの」

聞くまでもなさそうだけど、聞き返した。

「うん、僕は人の髪をいじるのが断然楽しいって答えた。髪をアレンジしたあとでその人の顔がぱあって明るくなるのを見るのが好きっていうか。これ結構大事なことらしくて、自分の髪をいじるのが好きな人って美容院で働いてもつまらなくなっちゃうんだってさ」

そうなんだ。私は少し目を伏せた。自分の好きなことが適性で羨ましいなと少しだけ妬いた。私はカメラの専門学校に通っているが、最近限界を感じている。専門学校で教えてもらえる内容はいかに画像編集で写真をキレイに見せるかばかりで、デジタルありきなカメラの世界にちょっとだけ嫌気がさしている。
鏡越しにくまちゃんが苦笑いした。

「依ちゃん今、僕のこと妬んだでしょ? 」
「なんでわかったの? 」
「何年の付き合いだと思ってるの。最近、依ちゃんのカメラの撮影時間が短いの気づいてるよ。言っておくけど、僕だって生きていていいことだらけじゃないからね」
「ふぅん、例えば? 」
「柚音はもう僕のことを好きじゃないよ」

柚音というのは私たちの同級生で、くまちゃんの彼女で、英文学部の大学に在学している。彼女はスレンダー美人で切れ長の瞳をしている。アイラインを強く引くから余計にきつく見える。アジアンビューティー。ふんわりしたくまちゃんとは対称的な感じがする。くまときつねと私とタカヲは良くからかっていた。柚音は精神的に自立しているから好きなんだ、甘ったれたりしないから。かっこいいんだよ柚音って、とくまちゃんは言っていた。

「この前柚音の髪の毛を触ったらとっさに振り払われたんだ。そのあとごめんって謝られたけど、たぶん、もう。最近はふたりで会ってるときに柚音がスマホを見ることが多いしね」
「ごめん、そういうこと言わせるつもりじゃなかった」
「僕から言ったことだし気にしないで。ええと、つまり、あれだよなんでもかんでもうまく行っている人なんていないからって励ましたかっただけだから」

さてと、と言って今日はどうしようかとくまちゃんが鏡越しに訊ねる。

「依ちゃんの髪って黒くてしっかりしてていい髪。海藻とかすきなの? 」
「いや海藻はべつに普通だけど」
「そういえば今日の格好、なんかオードリーヘプバーンぽいよね」
「黒のタートルとチェックワンピース着ているからかな」
「よし、今日はヘプバーンに仕上げます。よろしくお願いします。できれば前髪切りたいんだけど」
「いいよ、ヘプバーンみたいなパッツンにしていいよ」

と言って頷くと、ありがとうと言ってからくまちゃんはスプレーをまんべんなく髪に振りまいた。コームを使って前髪をとかした後、はさみを使ってぱちり、ぱちりと前髪を少しずつ切っていく。
くまちゃんの手は薬剤やシャンプーで荒れている。彼はもともと敏感肌で皮膚は全然強くない。がさがさの彼の手を私は嫌いではない。それだけ専門学校で頑張って練習してきた証拠。
よく飲み会の席で、くまちゃん手荒れ酷いねって言われている。そういうとき彼は「グローブつけてシャンプーしてもいいって言われるんだけど、人の頭皮を触るからさ、直接触りたくて。差は微々たるものかもしれないけどね。だからさどうしても荒れちゃうんだよね」と返している。
私はくまちゃんが愚痴を言っているところを聞いたことがない。中学から一度もだ。

「僕、依ちゃんが頑張ってるの知ってるよ。本当は報道写真撮りたいんでしょ? できればフィルムカメラで。だから図書館でジャーナリズムの本を読み漁ってるの知ってる。依ちゃん気づいてないかもだけど、そこの図書館でよく依ちゃん見かけてるんだ」
「え? 図書館で見かけたなら声かけてよ、くまちゃん気持ち悪いなあ」
「あんな真剣な顔を見たら邪魔するの悪くて声かけられないよ。っていうか内緒にするなんて依ちゃん水臭いな」
「だって、女が戦場カメラマン目指しているっていうのなんか恥ずかしくて。あり得ないって思われて終わりだろうし」
「そういうのって恥ずかしがってたら、いつまでも夢のままだよ。そういうの、言っちゃった方が絶対いい。言いきっちゃった方が、次に結びつくことも多いよ」

珍しくくまちゃんが反論した。くまが立ち上がってがおーと言った。あんまり迫力ないけど。ふうとため息を吐いてからそれじゃ、後ろを編みこんでいくねとくまちゃん。

「依ちゃんはどうして報道写真を撮りたいの」
「月並みだけど、世界の酷い有様を訴えたい。報道情報誌を読めば読むほど理不尽なことばっかりだから。ちゃんとその地に向かって、惨事を撮って、第三者面している人たちにその現状を、写真を通して考えて貰いたい。それで何か変わるかも知れないから。女が何言っちゃってんのって思われたらそれまでだけど」
「ほら、依ちゃんまた自分のこと卑下するのよくないよ」
「だって」
「だってなに」
「女は絶対不利でしょ、その世界」
「依ちゃん、無理だと思う前に頭使って考えるんだよ。対策練らずに諦めたらそこで試合終了だよ。ほら頭フルスロットルにして考えてごらん」

いちにいさん、いちにいさんとリズムよく彼は私の髪を編みこんでゆく。集中するから黙るねとくまちゃん。大きなガラス窓からやわらかな冬の光が差し込む。くまちゃんのいちにいさん、いちにいさんだけが部屋に響く。頭を使ってひねり出せ、何か次につながる何かを紡ぎ出せ。

「くまちゃんの親戚の伯父さん、メキシコに在住してるって前に言ってたよね」

うん、と頷くくまちゃん。報道写真のとっかかりとしてメキシコとアメリカの境をフィルムに収めてみたかったのだ。

「来年の春休み、くまちゃんの伯父さんちに泊りに行かせてもらえないかな」
「良いよ、伯父さんに相談してみる。その代わり護衛だとかはちゃんと自費で雇ってよね。やっぱり女性だとさいろいろ危ないことは危ないから。」

ほら、考えればいくらでもアイデアって出てくるもんでしょ? とくまちゃんが言って笑う。続けて

「ヘプバーンもチャンスはいくらも巡ってこない、だからチャンスが巡ってきたらとにかくモノにするんだって言ってるしね。でもチャンスって最終的には力技で引き寄せるものだって僕は思っているよ」

髪の編みこみを終えて、前髪を整髪料で整える。和製ヘップバーンのできあがり、良く似合ってるよとくまちゃん。はちみつ色のケープを外してもらう。

「くまちゃん、ありがとう。これ、プレゼント」

私は紙袋から横長の箱を取り出して、くまちゃんに手渡した。今開けてもいい? とくまちゃん。頷く私。金色のリボンを開けて、箱をスライドする。中には太陽系惑星の形をした9粒のチョコレート。水、金、地火木、土、天、冥、海の順で並んでいる。甘党のくまちゃんのためにネットから取り寄せたのだ。ちょっといいチョコレート。
わあすごい綺麗と感嘆するくまちゃん。

「僕、地球食べちゃおう。依ちゃんどれがいい? 」

ちょっと悩んで水星のチョコレートを貰った。うわぁ甘い。やっぱり甘いの苦手。

「僕たち、世界を股にかけるどころか宇宙をまたにかけるようになれるといいよね」

ほくほくしながら土星に手を伸ばすくまちゃん。くまちゃんは甘いお菓子が本当に好きだ。

「ねえくまちゃん、久しぶりに一緒に写真を撮ろうよ」

私はバッグからフィルムカメラを取り出して、テーブルの上に設置する。1番最後にくまちゃんと写真撮ったのいつだっけ? 花見のとき以来かな。

「ピント合わせるからくまちゃん壁に立って」

はいよと言ってくまちゃんが壁に立つ。くまちゃんの顔にピントを合わせてタイマー撮影のセットをする。10秒後にシャッターが切られる。

「サロン・ド・くまちゃん」が人気だったのは彼の腕がいいからだけじゃなかった。
みんなくまちゃんと話して、自分の泥を吐き出したかったんだと思う。
みんな、くまちゃんに励ましてもらいたかったんだ。背中を押してもらいたかったんだ。髪を触られているとき、くまちゃんにダイレクトに心に触られているみたいだったもの。

くまちゃんがそうしてくれたみたいに、わたしも誰かの背中を押せる、小さな勇気になれる写真をこれから撮りたい。
シャッター幕が開くまであと、1秒。
私はオードリーヘプバーンにも負けない笑顔でレンズを眺めた。


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