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【ショートショート】『上のヒトに代わって』



「あのさあ、おたくで注文したアンプ、速攻で壊れたんだけど、どうなってんだよ。これじゃぁ週末のライブ、仕事にならねえだろうが!」

 電話口の男は末尾の「だろうが」を一音ずつ強調して怒声を飛ばした。

 瞬時に花音は男の声が小さくなるように電話機の「小」ボタンを連打する。
 音声機器メーカーのカスタマーセンターで働く花音は、パソコンのモニターに向かって何度も深く頭を下げる。おわびをするときには出せる限りの申し訳なさそうな声でお伺いを立てる。

 クレーム対応を察した同僚たちは瞬時に花音の方へ同情の視線を向けるが、コールセンターは個人プレーのため、どんなに対応を代わってあげたくても同僚が救いの手を差し伸べることはできない。

「お客様、大変ご不便をおかけして申し訳ございません。つきましては該当の商品の交換または返金を提案頂きたいのですが……」
 花音の提案を踏みにじるように男がまた声を荒らげる。

「は? こっちの状況理解して言ってる? ってかさあ、女に言っても無駄だから話のわかる上の人に代わってよ。もちろん男の」

 花音は一瞬眉間にしわを寄せたが、深呼吸をしたのちに、静かな声で言った。
「かしこまりました。私の上席に代わらせて頂きます」
 花音はパソコンモニターの「保留」ボタンにカーソルを合わせてクリックすると、デスクのいちばん下の引き出しを音を立てずに手前に引いた。

 引き出しの隅にあるトランシーバー型の機材を手に取る。複数のダイヤルを回して電源を入れ口元に近づけると、もう一度深呼吸したのち、花音は保留ボタンを解除した。

「お客様、大変長らくお待たせしました。お客様担当係の責任者を務める橋本と申します」

 機材を通じて発生された声は、さきほどまでの柔らかな花音の声とは打って変わり、野太く、どっしりとした男性の声として響いた。

 男は音声変換後のドスの効いた声にひるんだためか、勢いよくたんかを切っていた先ほどとは打って変わり、すんなりと返品交換に応じた。

「やっぱり男同士の話は早いですわ。とにかく土曜日のライブに間に合えば文句はないんで。マジで助かります、これからもよろしくお願いしますね」
 最後にはヘラヘラした態度の顧客の声を聴き、花音はぎゅと音声変換器を握りしめた。

 帰宅した花音は仏間の隅にバッグとスーパーの袋を置くと、仏壇に線香を立て手を合わせた。
 大きく引き伸ばされた写真のなかの父親は、「お疲れさま」と花音にほほえみかける。

 リビングでは母親がソファーに座り、ぼんやりとカレンダーを見つめていた。
「お母さん、遅くなってごめんね。ご飯たべよう」
 弁当が入ったビニール袋を持ち上げて見せると、母親はうっすらと笑みを浮かべて口をひらいた。
「花音、お父さんの今ごろ北海道で美味しいもの食べてるよね。お父さん、仕事人間だから無理してないといいんだけど」
「そうだね」

 花音の父親は3年前にすい臓がんで他界している。その直後からだ。母親の心が少しずつ、そして確実にゆがみを生じ始めたのは。

 ある時は花音が留守にしている間に「父親が出張から帰ってきた」とお祭りの日の子供のような瞳で報告することがあった。
 またある時は、父親が好んだカツオのタタキを、スーパーで並べてあるだけ全て買い占めて帰ってきたこともあった。
 「お父さんの大好物がこんなにあったらきっと喜ぶわよね」。
 両手いっぱいにカツオのパックを抱えてとびっきりの笑顔を浮かべていた母親は、まるで初恋にはしゃぐ少女のようにも見えた。

 はたから見ればゆがんだ言動も、母親自身の精神を守るための最終形態だと思うと、彼女の作り上げた幻想を破り現実をたたきつけることは、花音には到底できることではなかった。

 数カ月前から母親の中で父親は北海道に単身赴任していることになっている。
 話を合わせるため、花音は時折、六花亭やロイズの詰め合わせを母宛てに発送するようにしていた。すべては母親の喜ぶ顔が見たいがためだ。

「今日、金曜日だから、もうそろそろお父さんから電話くるよね」
「そうだね。お母さん、私ちょっとトイレ行ってくる」

 花音は仏間へと移動すると、遺影に背をむけ通勤カバンからトランシーバー型の機材を取り出した。複数のダイヤルを手慣れた様子でカチカチと合わせる。手にしたそれは職場からこっそりバッグに滑り込ませたものだ。

 花音はスマートフォンの通話画面を開き、大きく深呼吸した。そして無理やりに口角を上げると、アドレス帳の中から自宅の電話番号を探し、素早くタップした。

(了)

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