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【掌編小説】臓物屋「ますだ屋」

臓物屋「ますだ屋」の朝は早い。
まだ夜も開けないうちから、俺は臓モツの仕入れのため、バンを飛ばして臓物卸売り市場へと向かう。
「ますだ屋」は俺が30歳になったとき、晴れて父親から店を受け継いだものだ。店主になって5年経つ。

市場に到着すると、台の上にいくつもの金属桶があり、モツの種類別に並べられている。
俺は目を皿のようにしてみずみずしい臓物かどうか見極める。
ナマモノを扱う上で一番大切なのが目利きだ。
目利きが疎かになったらうちの商売は終わりと言っても良いだろう。
ただでさえギョロギョロして怖いと言われるこの大きな目玉で鮮度の良い臓物を選別する。

悪いようにはしないから、こっちおいで。

そんなことを思いながら、臓物を選ぶ。

新鮮な臓物を業者から受け取り、店に戻ったら大急ぎで下処理を行う。
モツ煮の準備と共に、11時の開店に間に合うよう、店員総動員で臓物を無言で串に刺していく。それが終わったら漬物を薄切りにする作業が待っている。

手前味噌だが「ますだ屋」はその道の有名店といっても差し支えないだろう。
マスコミの取材は一切断っているのでせいぜいSNSでうちの情報がタイムラインに流れるくらいかもしれないが。

「ますだ屋」は火曜日から土曜日までの営業だ。朝11時に開店するが、おかげさまで概ね14時には品切れのため閉店となる。

ちなみに従業員は俺以外には親父、俺の妹の同級生のさゆみ、30代前半の宗馬と律の5人で店を回している。宗馬と律だけが社員で、さゆみはアルバイトだ。

たまに随分若いカシラだな、焼きが足りねぇんじゃねぇのと酔っ払いに舐められることも多々あるが、ぎろりと睨みを効かせると黙るのでよしとする。

俺は高校を卒業して調理師の資格を取得しこの世界に入った。
親父がモツを焼いている姿を物心つく頃から見ていて、俺もいずれは同じ職につくのだと決めていたのだ。
たかが臓物を扱う狭い世界だが、深い世界でもある。

「蓮さん、串うち終わりました」
宗馬が大声で言う。

「こっちもお新香終わりました」
さゆみの声。

「よし、開けるぞ、宗馬、表に暖簾かけてくれるか」

「はい」

すでに店の外には今か今かと待ちわびた人で賑わっている。
みんな「ますだ屋」の臓物を欲しているのだ。

狭い店内はあっという間に中高年でごった返した。若者はちらほらとしか見かけない。若い女性客の少なさは言うまでもない。

うちでは律と親父がモツを焼く。
宗馬が皿運び、さゆみが皿洗いと漬物を切る役回りだ。オーダーは基本的に俺一人で受け持つ。

おや、と俺は思った。30代前半くらいだろうか。珍しく女性客が一人で座っているのだ。

「ハツ塩よく焼きちょうだい」

「シロタレ若焼きおねがい」

「ぶどうこっちー」

方々から声が飛び、俺は客からのオーダーを聞き逃さないように耳を傾ける。

「ハツ塩よく焼きあいよっ!」

「シロタレ若焼きあいよっ!」

「葡萄ちょっと待ってね!」

いつもならリズムを掴みながら客とのやりとりができるのだが、何故か今日は調子が狂う。
目の前で注文もせず無言で座る女のせいだろう。

彼女はくるりとした目でボブカットがよく似合う。白い半袖シャツに薄みどりのスカートをはいていた。
タレが服につかないか心配だ。

もう一つ面倒なのが、うちの店では大まかなメニュー表記しかない。

例えば
もつ 230円
煮込み230円
お新香230円
ビール400円
焼酎400円
以上

このような塩梅だ。もしや注文できないんじゃないかとソワソワしていたら、その女性がぱっと手を挙げた。

「お兄さん、注文いいですかあ!
シロタレよく焼きと、煮込み、あと葡萄割甘いほうで!」

あっぱれだよ。完璧な注文。

うちでは独特の注文方法があって

1.モツの種類
2.味付け
3.焼き加減

基本的にはこの項目を連続して言って注文をする。
だから、「シロタレよく焼き」なら

「シロ(大腸)」を「タレをつけて」で「よく焼いて」、の意味になる。

一見さんさんだとよくぽかんとしているからすぐにわかる。

ちなみに葡萄というのは焼酎の葡萄シロップ割りのことを言う。

あれ?実は常連さんだったか?俺の記憶力も落ちたもんだな。

何も心配することなんてない。
杞憂に終わった祝いを兼ねて、グラスに焼酎をを少し多めに注いでやった。ぶどうシロップも少し多めに。

「お兄さん、やっさしー!」

ふん、と言って俺は別の客のオーダーを取る。

「焼酎4杯までだからね」

「はーい」

わかってますと言うようにグラスに口をつける。
なんとなく、この客ザルな気がしてならない。

店の片付けが終わり、シャッターを閉めると、
さっきの女性が店の裏に立っていた。頬がほんのり赤い。

「何、忘れ物?」

俺は女性を前にするとつい無愛想になってしまう。怒っているわけではないのだ。

「蓮、会いに来たよ」

中学、高校と男子校育ちの俺に蓮と話しかける女はいない。誰だこいつ。

「芽依だよ。小学校、一緒だったの覚えてない?」

芽依。瞬間的に記憶が鮮明にフラッシュバックした。なんたって俺の初恋の人だ。
なんですぐに気づかなかったのだろう。

「それでね、単刀直入に言うとね、不快に思わないでね。蓮、あなたあと1ヶ月で原因不明の疾患にかかって失明するわ」

いきなり話が胡散臭くなってきた。この後に金の話が出たら要注意だな。

「今まで顔も見せなかったやつに言われてもね」

俺はケツポケットからタバコを出して火をつけた。仕事の後の至福の時間。

「大学入ってから友達とちょくちょく来てたの気づかなかった?」

確かに複数名来ていれば目立たないから、余計に芽依だとはわからないかもしれない。

「それで芽依はドナーになるの?それとも治療するの?」

「臓物の目利きを教えて欲しい」

「聞いて、店開業でもするわけ?」

「蓮の目の代わりになって「ますだ屋」で働きたい」

「おめえはスイミーかよ」

「ボクが目になろう!ってね」

「ところでなんで失明するってわかるんだよ」

そこで急激に俺は思い出した。芽依の占いの的中率を。
小学校の休み時間、タロット占いをする芽依。
向かいに座った子の親が死ぬと予言して泣く同級生。
その1週間後に同級生のご両親がなくなり、クラスでタロット含むカードゲームが一切禁止になったことがある。

両手が少し震えた。いやいや、どうせからかわれているだけだ。

「芽依。もう帰んな。この辺酔っ払いばっかりなんだから気をつけろよ」

右手のひらでぱっぱと払いのけた。

「また来るから」

そう言って芽依は駅の方へ歩いて行った。

翌週、また芽依が店の裏に立っていた。

今日は薄いブルーのシャツワンピースにパンプス。

「今日は」

「おう、俺んちそこまで儲かってねえからな。薄利多売の精神でやってんで」

「知ってる。お金目当てじゃないから安心して。今日は、どうしたら信用してもらえるかって思って来たよ」

「信用?俺の目になるために?」

「そう」

俺は少し考えてゲスな提案をすればさっさと逃げ帰ると思ったので、思いついたことをそのまま口にする。

「じゃあ俺に抱かれてよ」

「いいよ。どこでする?」

冗談とはいえ、今の会話がご近所さんに聞かれてはまずいとキョロキョロしたが、ありがたいことに周りには誰もいなかった。 自分で言っておきながら変な汗が噴き出して来た。

一方、芽依はまったく動じる気配がない。

俺の家には住み込みで全員働いているので、
三つ先の駅に住む芽依の部屋に行くことになった。

靴を脱いで部屋に上がる。
リビングのソファーに誘う芽依。

「や、芽依、その俺そんな、冗談だったんだけど」

「じゃあ止める?」

俺が無言でいると、芽依は俺の首に両腕を回してキスをした。
俺の上唇をペロリと舐める芽依。

「タレの甘い味がする」

と言って芽依は笑った。

「シャワー入る?」

と聞かれたので頷いてから、じゃ遠慮なくと言って借りた。こんな汗臭い男じゃみっともない。
俺が出たあと、芽依も入る。

「なあ。本当にいいのか」

カーテンを閉めた薄暗い部屋で静かに訊ねる。

「それで蓮が信じてくれるなら」

芽依の下腹部に触れた時、いつも触れている臓物のことをふと思い出した。
こっちは生きた臓物なんだよな。
ツル塩若焼き。
ツルは男性器だけどな。

情けないことに
俺はこれまで女を抱いたことがなかった。
けれど、芽依のエスコートによって二人で果てることができた。

芽依は男に抱かれることも、男を抱くことも慣れているのか。考えるとそれが少し悲しい。

行為の後、芽依はビールではなく良く冷えた麦茶を出してくれた。

「蓮、私のこと信じてくれた?」

「約束だからな…信じるよ」

「よかった。じゃあ明日から目利きの特訓よろしくお願い申し上げます。師匠」

「なあ、芽依はどうしてそんなに目利きにこだわるの。うちただの臓物屋だぜ?」

「わたし、本当は小学校の頃、リードが外れた土佐犬に噛み殺される運命だったのね」

はあ…また…運命…

「そこに蓮が長い鉄串持って追い払ってくれたんだけど、覚えてるかな?」

確かに覚えている。芽依に土佐犬がまたがっていたからこっちも必死だった。
スト2のバルログの真似をするためにランドセルの中に鉄串を忍ばせたとは言いにくいが。

「もう、運命とか、信じたくないなら信じなくていいよ。とにかく恩返ししたいから弟子にしてください」

「いいけど、臓物屋の朝は早いぞ」

「朝強い方なんで大丈夫!」

芽依に指摘されたからか、それとも気のせいか右目の調子が悪い。鏡で見てみると眼球がうっすら白くなっている。
店を終えてから慌てて近くの眼科へと急ぐ。

年老いた眼科医はうーんと頷いてから、

「これは白内障とも緑内障とも違いますなあ。今まで見たことがない。なにかウィルス感染でもしたのでしょうかね。早く専門医に見てもらわないと最悪失明するかもしれません」

といって大学病院の紹介状を渡された。
大学病院での診察も同様で新種のウィルスに侵されたのではとの回答だった。残念ながらワクチンも製造されていないとの答えに両足がガタガタと震えた。

とりあえずの抗生物質を出しましょうとのことだった。とりあえずってなんだよ。
俺、意外とビビりだな。怖くなって芽依に会いたくなった。

芽依の家のドアを叩くと

「はあい」

と呑気な声が聞こえる。
芽依の顔を見た瞬間、蓮は芽依に抱きついた。

「俺、失明する」

「そうだよ、だから言ったでしょ」

芽依は蓮の頭をよしよしと撫でる。

「手術とか回避する方法はないのか」

「あったら最初から言ってるよ」

「だって土佐犬の」

「あれは例外中の例外」

「俺こわいよ…」

絞り出すような声しか出てこない。

「だから私がいるんでしょ!サポートするから大丈夫!」

芽依が思いっきり俺の背中を叩いた。

翌日からバンの運転席に芽依を乗せて臓物卸売り市場へ向かった。
俺の父親はもちろん芽依を知っていたし、少ない人数で経営している店だけに、誰も芽依に反対するものはいなかった。

市場につくと、俺は芽依にひとつずつ指南して行く。

「これは出来るだけピンクのものを選ぶ。そう、そんな感じの。ガツは厚みのある、そう、それがいい」

いつものように臓物を受け取ると、芽依も一緒に「ますだ屋」に戻り、律と宗馬に串うちを習った。
「芽依ちゃんなかなか筋がいいな」
親父がほくほく顔で芽依を褒める。

次にさゆみに呼ばれてお新香の切り方を習う。こちらも特に問題ないようだ。古漬けになっていないかだけ注意してね、とさゆみに言われる。
はい、と芽依が答えたのち、一瞬だけさゆみが悲しそうな目をしたのが伺えた。気のせいかもしれないが。

忙殺された仕事が終わり、食事もそこそこに芽依がやりたいことがあると言った。

「ますだ屋」はテーブル配置が大きなL字型になっていて、Lの短い部分がレジと入り口だ。またLの長い部分の先端部分でモツ焼き場、食器洗い場となっている。
芽依は俺の目の部分に手ぬぐいを当ててぎゅっと握り、これから感覚を掴む練習をしたいと言った。何も見えない世界。これからの俺の世界。

「俺は何をすればいいの?」

「それぞれの場所まで歩いて何歩かかるのか、徹底的に叩き込んで欲しいの。特に鉄針がある焼き場は危ないし、そもそもこじんまりしてるお店だから」

芽依が気を使ってこじんまり、と言ってくれたことが嬉しかった。

俺は大抵、レジと焼き場の中央にいる。
焼き場まで5歩、またスタートに戻る、レジまだ3歩。行ったり来たりと繰り返して、頭の中で店の構造を完全に記憶する。

「次はもっとシュミレーションしたいです。
律さんと宗馬さんお客さん役で、それぞれテーブルの端に座ってください」

律と宗馬は言われた通りにする。

「シュミレーションなんで、実際のお客さんが注文するようにしてください」

「俺は構わないからじゃんじゃん頼め」
と俺が言う。

「じゃあ葡萄」

「レバタレよく焼き」

「ガツ塩よく焼き」

「ビール」

「カシラタレ若焼き」

「ちょ、ちょっと待て、全然覚えらんねえぞ」

手ぬぐいが汗びっしょりになる。

「そうだよ、今まで蓮は目と耳両方で記憶してたから」

「お客さんに何番の客ですって言ってもらったらどうかしら」

「それより紙に書いてもらったら?」

「ああうるせえなあ!いままでこうやってきたんだよ。黙ってろ!」

むしゃくしゃして怒鳴り声をあげてしまった。

「ねえ、こういうのどうかな。子ども向けのブロックで、モツの種類と味と焼き方で最初からブロックを分けとくのね。注文があったらそれを組み合わせる。注文の皿が来たらブロックは元に戻す。これなら手で確認出来るんじゃないかな」

芽依の簡易点字ブロック作戦に全員が納得した。

蓮が完全に視力を失ってから1年。
芽依の発案したブロック作戦で今日も「ますだ屋」は益々の商売繁盛の様子である。

臓物屋のあがりは早い。
芽依はソファで赤ん坊を抱っこして乳房を吸わせている。
蓮の視力が完全になくなる直前、芽依と蓮は婚姻届を提出した。芽依のウェディングドレス姿が見たかったという理由で、写真館でドレスとタキシードを着て撮影を行った。挙式はしていない。

いま、ガラスのテーブルの上には芽依の字で「臓物目利き読本」と書かれた大学ノートが置かれている。

芽依の頭にはこのあとに起こる事件のビジョンがありありと浮かんでいる。
部屋に押し入った強盗が芽依だけを殺して金品を盗んで去っていくのだ。

土佐犬の呪いは形を変えても消えることはなく芽依を襲来する。
運命は歪むことはあっても変えることはできないことを芽依は知っている。

それでも、蓮に対する恩返しはできたであろうと芽依は思うのだ。
この子もさゆみと蓮が育ててくれることを芽依にはしっかりとイメージすることが出来る。
芽依は心臓を落ちつけて、その時を待つ。 芽依は思う。

願わくば、私から溢れる臓物が美しくありますように。

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