【掌編小説】赤鬼、吼え
武雄を乗せた軽自動車に雷が落ちたのは、6月のある豪雨の晩のことだった。
恐怖のあまりに失神した武雄が次に目を覚ましたときには恐らくは翌朝だろう、見知らぬ民家の布団に寝かされていた。
もしかして誰か俺を助けてくれたのか。
枕元には武雄の服が畳んで置かれていた。服を嗅ぐと柔軟剤の良い香りがする。どうやら洗濯してくれたらしい。
昨晩着ていた服の代わりに武雄にはバスローブが着せられている。
武雄は身長は180センチを超えるが、バスローブは大柄な武雄でもすっぽり包むほど大きいものだった。
そういえば、なんで俺はここにいるんだっけ。
昨晩の記憶を辿る。武雄は実家の母親に無職であることをなじられ口論になり家を飛び出したのだった。
「あんた今年いくつよ!30でしょ?30で無職って情けないと思わないの!しっかりしてよもう」
母親の金切声が蘇る。ああ。武雄が頭を抱えると頭頂部に小さなたんこぶが出来ていた。いつたんこぶを作ったんだ?昨日、失神した時に車内に頭をぶつけた?シートベルトをしていたのに?不思議に思いながら武雄はたんこぶをそっと撫でた。
そのときキッチンからお味噌汁のいい香りが漂ってきた。武雄が起き上がり服に着替えるとふすまがざっと開き、
「おはようございます。起きましたか?今日は昨日とうって変わって晴天ですよ」
と後ろからのぶとい声がした。武雄は声の方に振り返った瞬間、全身の身の毛がよだつのを感じた。
「うお、お、お、お、お、おおお…」
「そうです、鬼です。」
そこには身長2メートルはあろうか。絵本から抜け出したような赤鬼が立っていた。
屁っ放り腰になって奥歯をがたがた言わせている武雄に比べ、赤鬼の方はいたって落ち着いた様子である。
絵本の鬼との違いはなんとも愛らしい花柄のエプロンを首からさげているところだろうか。
「もうすぐ朝ごはんができますからね。あ、おトイレ行きたいですか?」
「と、と、と」
武雄は震えてまだ上手く話せない。
「そうですトイレです。」
顔を縦にブンブン振った武雄を見、赤鬼はうんうん縦に頷いた後に武雄をお姫様抱っこで持ち上げて、トイレのドアの前で降ろした。一体なんなんだこの家は。鬼の家か。鬼の住処だったのか。俺は赤鬼に食われるのだろうか。それだけはご免被りたい。だが起床後の尿意はある。まずは出すものを出してから次を考えよう。用を足してドアを開けると今度は青鬼が立っていた。
「ヒッ、増えた!」
青鬼は武雄を無視して後ろを振り返り、赤鬼に話しかけた。
「はい、赤鬼君、これがこの前言ってたDVD。こっちがゾンビもの、こっちがジャパニーズホラー」
「ありがとう青鬼くん。朝早くに悪いね。よかったら朝ごはん食べていきなよ」
「お、ありがとう。おー、卵焼きがある。俺、赤鬼君の甘い卵焼き大好きなんだ」
全身に鳥肌が立って動けない武雄をまた赤鬼が武雄を抱き上げてダイニングテーブルの椅子に座らせた。テーブルにはごはん、じゃがいもとワカメの味噌汁、塩じゃけ、卵焼き、納豆、キュウリの漬け物が並んでいる。なんら普通の日本人の、というか人間用の朝食。鬼って朝から肉の塊を食うんじゃないのか?
「では皆さまお手を拝借。本日も我々鬼どもが生かされていることに感謝して、頂きます。」
「頂きます!」
赤鬼も青鬼も行儀よく挨拶をしてから食べ始めた。赤鬼の食べ方を観察していると、味噌汁、漬け物、卵焼き、ごはん、塩じゃけ、味噌汁、と見事な三角食べをしている。なにこの鬼たちやたら人間臭いぞ。
「あなたもどうぞ召し上がってください。あ、お茶はあったかいのもありますので欲しかったら言ってくださいね」
赤鬼が言う。鬼たちと同じように手を合わせてから、恐る恐る卵焼きに口をつける武雄を見て青鬼が一言。
「赤鬼君の卵焼きは世界一だよね」
確かにふっくらとして甘味もちょうどよく、うちの母親が作った卵焼きよりもずっとうまい。赤鬼がいやいや、そんなそんなと照れている。鬼たちがわきあいあいと朝食を囲む姿はシュールそのものだ。
もしかして、というかおそらく昨日失神した俺を助けてくれたのはこの鬼なのだろうと武雄ははっとした。この鬼は俺を食うどころか、朝食を食わせようとしている。
「あの、俺のこと助けて貰っちゃってなんかすいません…。朝食まで用意して貰って…」
「ああ、どうか気になさらないで。昨晩の豪雨はひどかったですし。道路も所々土砂崩れしていたので到底運転できる状態ではなかったはずです。偶然通りかかったらあなたが」
「武雄っす」
「武雄さんが車内で失神されていて、エンジンもかかりませんでしたのでひとまずあなただけ救助しました」
「助かりました…」
上目遣いで武雄が言う。
続けて赤鬼は、車は自力で道路の端に寄せたあと放置したままになっているので、後で知人に修理させて持ってこさせます、と言ってニッっと笑った。大きな牙がのぞく。知人って?まさか仲間の鬼?今度は何色の鬼だよ…と武雄は怪訝な顔をした。一方武雄の考えたはすべてお見通しと言ったように赤鬼は笑った。
「知人っていうのはもちろん別の鬼のことですよ。もっとも僕とは違う赤鬼ですけどね。板金塗装もできるんですよ。」
赤鬼の話によれば、現在、日本には赤鬼と青鬼2種のみ存在するらしい。また、個々の名前を持たないので、みんながみんな赤鬼君、青鬼君と呼び合っているとのことだった。同じ種類の鬼同士同じ名前で呼び合うって、すごくわかりづらくないのだろうか?と武雄は首を傾げる。食事を終えると、青鬼は家に帰って行った。食後のコーヒーを飲んだ後、武雄は尋ねた。
「赤鬼さんはさ、なんであの雨の中外出してたんですか?」
「昨日はジャンボパークで働いていて」
「は?」
「その帰りに落雷にあった武雄さんの車を見たんです。いやあ、すごい物を見た。」
ジャンボパークは県内にある大型テーマパークで、恐怖の館という日本最長の歩行型お化け屋敷が有名である。鬼がテーマパークで働くとはどういうことなんだろう。お化け屋敷のお化け役もとい鬼役として雇われているのだろうか。だとしたら、さぞリアルな恐怖体験ができるな。
「やっぱり赤鬼さんは恐怖の館で…」
「トゥインクルスターパレードは、ご存知ですか?」
言い終わらぬ間に武雄の言葉にかぶせてきた。
「トゥインクルスターパレード?」
「そうです、トゥインクル、スター、パレード」
どこか誇らしげに区切り区切り言う。
「あれっすよね、LED使ったねぶたみたいなやつ。」
そこで赤鬼は、はあとため息をついた。
「そうです。あのねぶたの中に我々鬼が1人ずつ入ってぐるぐると台を回しているんですよ。
昨日は途中で雨が降ってきてしまったのは残念でしたが、パレードは最後までまっとうできたので良かったです」
そう言って赤鬼は自慢げに鼻息をフン、と鳴らした。武雄は目をパチクリしたあと、聞いた。
「それって、時給いくらですか?」
「僕は正社員なので月給30万です」
「結構貰ってんすね」
「肉体労働ですからね。あ、経理も兼任です」
赤鬼はにっこり笑った。よく笑う鬼だな、と武雄は思った。 働く方も働く方だけど、雇う方も雇う方だ。赤鬼はきっと仕事ができる鬼に違いない。
武雄がジャンボパークで働くようになってから1ヶ月が経過した。武雄が働きたいと言ったら赤鬼が口利きをしてくれたのだ。
7月の日差しを容赦なく受けながら、武雄はほうきとちりとりを持ってパーク内を循環してくまなく清掃をしている。
赤鬼君と同じ仕事を希望したのだか、並々ならぬ体力が必要とのことで却下され、清掃員のアルバイトとして雇われたのだ。
時給1100円。まあいい、無職よりはいい。そう考えて気軽に始めた。あの夜からずっと赤鬼君の家に入り浸って、実家に帰ることはなかった。正直な話、親の顔をもう見たくないとすら思った。しかし赤鬼は1週間に一度は電話あるいは手紙やハガキを出すよう強要するのだった。
「鬼には親も兄弟もいませんからね。武雄さんはご家族がいらっしゃるのだから大事にすべきです」
というのが赤鬼の言い分だった。
「鬼のところにお世話になってる、って手紙に書いたら逆にビビらないか?」
「一般の方は何かの比喩だと思うので問題ないです。」
「マジかよ…」
半信半疑でハガキを送付したら後日母親から
「彼女のことを鬼と呼ぶのはよくない。彼女がいるなら紹介しなさい」
と電話があった。はー、赤鬼君すげぇ。 と武雄は感心した。いつしか武雄は赤鬼のことを赤鬼君と呼び始めていた。
母親からさらに今度地元のよさこいの練習にも顔を出しなさいとくどくどとつつかれた。武雄の実家近辺では数年前から夏によさこいのイベントがあり、地元住民総出でよさこいの練習をしているのだ。
「いい年こいた男がよさこいなんて民謡ダンスやってらんねーよ…」
武雄は母親に悪態をついた。三十路でアルバイト(ついこの間まで無職)の自分がまっとうに生きている地元の友人に会うのが辛いから、というのがよさこい練習不参加の真の理由である。
「ところで赤鬼君、前から思ってたんだけどさ、日中に普通に外出してるけど大丈夫なの?服だってタンクトップとハーフパンツに見えないことはないけど…」
「大丈夫とは?」
「例えば職質にあったりさ、なんかそういう。」
「不審者に思われないかって?」
武雄が頷く。
「人っていうのは案外自分以外に興味がないものなんですよ。」
そう言って芋ケンピを口に入れた。赤鬼は甘党だ。
「きっと人間から見れば僕なんてランニング直後のボディービルダーくらいにしか見えてないんです。」
芋ケンピぽりぽり。
「俺は最初から鬼だと思ったぜ」
赤鬼君が差し出す芋ケンピを断って、柿ピーをぼりぼり食べる。
「それは寝起きだったから。不意打ちでこられたら、ねぇ」
「じゃあ聞くけど、青鬼君は人間には何に見えてるっつうの?」
「青鬼君は具合の悪いボディービルダーに見えてると思う。」
「なんじゃあそりゃあ…」
二日酔いで死にそうなオードリー春日が思い浮かんだ。
「あれ。青鬼君も労働者なの?」
「青鬼君はバンド組んでいて、今度メジャーデビューするって言ってました。」
「青鬼君、パネェな」
「パネェです。彼はドラマーらしいです」
まるっきり雷様じゃねぇかと武雄は思ったが、それは口にしなかった。
「まあ、バンドマンならあの外見でも…そういうあれなのかなって思うかもな…。そういやさ、鬼には親も兄弟もないって言ってたろ?どうやって生まれてくるんだ?」
だいぶ赤鬼に馴染んできたからか、武雄は無遠慮な質問をするようになった。赤鬼は特に気にもせず答えてくれる。
「鬼は落雷があると突発的に出現します。最初から成人した鬼の身体の大きさで現れます」
「なにそれ、きのこみてぇだな」
落雷があった土地にはきのこが大量発生すると武雄はこの間テレビで見たばかりだった。
「きのこ…。確かに言われてみればそうですね。」
「ほんで、カラーはどうやって決まるんだ?」
「はい。酸性の土地に落雷があれば赤鬼。アルカリ性の土地に落雷があれば青鬼が生まれます。」
「紫陽花かよ…。やっぱ鬼パネェ。あ、じゃあ赤鬼君は酸性生まれなんだ」
「そうです。酸性です」
「じゃあ青鬼君は」
「酸性の反対です。その他にも…」
と、赤鬼は何か言いかけて口をつぐんだ。
武雄の耳にはその声は届かなかった。
武雄がジャンボパークでアルバイトを始めて2ヶ月が過ぎようとしていた。
パーク内を1日走り回っているおかげか筋肉がみるみるついて赤黒く日に焼けているので、さながら赤鬼のような身体つきとなった。
その日、珍しく休憩時間がトゥインクルスターパレードの時間と重なった。いつもならパークの地下にある食堂に直行するのだが、気が向いたのでトイレの影からパレードを覗くことにした。
爆音でかかる音響にパーク内のキャラクターを模したねぶたのようなあれがくるくるまわっている。まわりながらぴかぴかと光っている。あの中に赤鬼君たちがいるんだな。
きらきら光るキャラクターを見て、武雄はなぜか虚しい気持ちになった。鬼なのに。もっと猛々しく荒ぶって人間をドン引きさせるぐらいの存在でいて欲しいのに。休憩時間が終わるまで、武雄はじっとパレードを目で追いかけていた。
「もっと威張り散らしたくないかって?武雄君、何言っているの」
その晩、いつものように赤鬼宅で青鬼君と武雄は夕ご飯を囲む。
部屋のテレビではNHKのクラシックコンサートが静かに流れている。
今日はメニューは手巻き寿司だ。赤鬼も青鬼も酒を嗜まないので、武雄だけがビールをあおっている。
「そう、だってあんたら鬼だろ?鬼は鬼らしく人を蹴散らして堂々と威張り散らすべきだ」
ビールをグビグビと飲む。ビールはのど越しが命。
赤鬼君と青鬼君は互いに目を合わせて肩をすくめた。
「俺たちが威張り散らしたら、君たちはりきって成敗しにくるじゃないか」
にやにやしながら青鬼が言う。そうだそうだと赤鬼も冷やかして笑う。
「うむ…それは否めん。でもさ、なんか俺悔しいっていうか。強靭な体を持ってるのに、せこせこ人間の言いなりになるのが納得できないっ」
武雄が机をドンっと叩く。
暴力反対!と青鬼。
「僕たちは言いなりにはなってないよ。労働してその対価を貰っているだけだ。寧ろ、人間以外の僕らを雇ってもらえるなんてありがたい話で…」
「がー!!赤鬼君は正論すぎてぐうの音もでねぇよ!でもなんか見てみたいんだよ、あんたらが何百といて荒々しく、見境なく立ち振る舞うところを!」
「なにそれ。例えば?どんな?人間との戦争でもやれって?それこそ俺たち退治されちゃうぜ。おー人間こわー」
青鬼が両手をクロスさせてムキムキの両腕をさすった。
何かないか。人間を見返すことができる、鬼の存在によって畏怖の念を抱かせるさせる方法は。圧巻させる、身震いさせる何か。そのとき、武雄はあっとひらめいた。
「例えば…例えば…よさこいはどうだ?!」
「はあ?よさこい?あれ民謡ダンスだよね…。鬼がやってもなー、どうかなー。がたいのいい赤いのと青いのが踊るだけの感じにならないかなあ」
青鬼は呆れ顔で海苔にごはんとサーモンを巻いてかぶりついた。どんな案が出るかと思ったらダンスかよとも言った。考え浅っ、とも言った。青鬼は割と口が悪い。
「よさこい、いいね。」
赤鬼はいくらを海苔に巻きながら武雄の意見に賛成した。
「だろ?!何百って言う鬼が、一糸乱れず歌と太鼓で踊るんだぜ?圧巻だろ?」
だが、この時の赤鬼君の「いいね。」は恐らく優しさから同調してくれただけだろうな、と武雄はなんとなく思っていた。赤鬼は特に表情も変えずにいたから。
テレビからフニクリフニクラが流れ始めた。
「あ、この曲ってさ、鬼ーのパンツはいいパンツー、の曲だよね。やっぱり鬼界では有名なの?」
赤身をつまんだ武雄が言う。
「もちろん。鬼はみんな歌えるよ。1番有名な鬼の歌だもん。青鬼君も歌えるよね?」
「ライブのアンコールではテッパン。サイコーに盛り上がる。」
そういって青鬼は鼻歌でサビを歌った。
「…校歌みたいなもん?」
「いや、国歌かな。」
「あ、そう。」
武雄はビールをぐびっと飲み干した。
クラシックコンサートの曲はアイネクライネナハトムジークに変わった。
数か月後、介護福祉士の資格を取得した武雄は、ジャンボパークの清掃員アルバイトを退職した。赤鬼のまっとうに生きる姿を見ていたら、自分もきちんと就職してまっとうな人間になりたくなったからだ。鬼を見て、まっとうな人間になりたいと思うのも妙な話ではある。
ジャンボパークをやめた後、あれだけ赤鬼君の家に入り浸っていた武雄だが、突然一人暮らしを始め、介護老人保健施設の職員として就職した。赤鬼に一人暮らしをすることを告げるとひどく悲しそうな顔をした。
「そうか、淋しいけどでも自立するって素晴らしいことだよね。武雄君、おめでとう。またいつでも遊びにおいでよ。きっとだよ」
そういって握手を求められた。赤鬼の右手はごつごつして、すごく温かかった。ランニング直後のボディビルダーみたいだった。
武雄が職に就いて1番最初に感じたことは、介護老人保健施設に入居している人間の方がよっぽど鬼然としているということだ。わがままで、乱暴で、時に咆哮をあげる。そのたびになだめ、落ち着かせ、時には上司に許可を得たうえで叱咤することすらある。介護職は激務だとは知っていたがまさかここまでとは思わなかった。遅くまで残業を課せられ、自宅と勤務先の往復の毎日で武雄の精神は疲弊していた。
「赤鬼君に会いたいなあ」
施設の屋上で武雄はひとりごちた。
就職してからは赤鬼にはほとんど会っておらず、時々ハガキで近況を報告し合う程度だ。季節は夏。赤鬼に初めて会ってから気づけばもう2年経過していた。介護職のお陰でますます武雄に筋肉のつきが良くなり、疲労の為か目玉だけががぎょろぎょろとし、武雄の風貌はいっそう鬼らしく見えるのだった。それでもどんなに勤め先で理不尽な目にあっても、人として守らなければならないことはきちんと遵守し、働いている。
「赤鬼君、俺まっとうな人間になれたのかなあ」
武雄の声はむなしく空に消えた。
その夜、武雄の家の郵便受けに封筒が入っていた。差出人を確認すると赤鬼からの手紙だった。玄関のドアを開けると武雄はもどかしく、乱暴に手紙の封を切った。
「拝啓
梅雨も明け、本格的な夏を迎えましたが、武雄君はお元気にお過ごしでしょうか。
武雄君、いつか何百という鬼でよさこいをしたらどうかと言った話を覚えていますか?
僕はあの話を聞いたとき、本当に驚いたし、嬉しかった。だって鬼は鬼らしくしてほしいなんて今まで誰からも言われたことがなかったから。僕は人間の世界に生まれてきちゃったから、人間の世界に馴染むことしか考えてなかったんだ。
鬼のよさこいについてジャンボパークの支配人に提案して何度もプレゼンした結果、なんとその案が通りました。
やっと案が通ったのはよかったんだけど、その後に鬼を何百と集めたり、よさこいの練習に意外と時間がかかって大変でした。なんたって全国の鬼という鬼を呼び出して練習するんだからさ。
そしてついに来月第1土曜日にトゥインクルスターパレードの代わりに鬼のよさこいを開催する運びとなりました。
チケットを同封しますので武雄君にはぜひ観に来てほしいです。
きっと来てください。
僕の本当の鬼の姿を武雄君に見て欲しいのです。
いつまでも君の友達
赤鬼」
最後まで手紙を読んで、また最初から読み直した。
武雄は目を拭った。そして部屋の窓を開け、赤鬼が住んでいる方角に向かって
「うおおーーーーーーーーーーーーーーーーー」
と力の限りに吼えた。
すぐに隣の部屋から
「うるせぇぞおっさん!」
と怒鳴り声と壁を蹴とばす音が聞こえたが無視した。
ジャンボパークは武雄の自宅から車で30分くらいの場所にある。よさこいの時間は夜7時からなので、6時過ぎに到着した武雄である。
「なんか、混んでる…?」
ジャンボパークでアルバイトをしていた武雄だけに今日の混み具合が異常であることはすぐにわかる。近くにいるカップルがパンフレットを見ながら会話している声が聞こえてきた。
「ねー、このよさこい、ホンモノの鬼が見られるってスゴくないー?」
「ばっかだなホンモノなわけねーじゃん。」
「でも、ネットでもホンモノだってあったよー。パンフレットにも正真正銘の鬼が出るってあるよ。」
「やっぱり最後は成敗されるんかな。」
「誰に?桃太郎とかー。」
ギャハハと笑ってカップルは人の波に飲まれていった。武雄は見えなくなったカップルの方をじろりと睨みつけた。
赤鬼から送られたチケットにはよさこいの特等席券も同封されていた。近くにいた係員に特等席券を見せると最前列の席を案内された。特等席といっても椅子ではなく地面に座布団が敷いてあるだけである。座布団に着席すると目の前にはロープが引いてあり、それ以上前に立ち入りできないようになっていた。空を見上げると西の空が薄暗い。雨が降らないことを祈った。
「よぉ!武雄君ー久しぶりー」
振り返ると青鬼がいた。青鬼は2年経っても全然外見が変わらない。鬼はアンチエイジングなど不要なのかもしれない。
「青鬼君はよさこい踊らないの?」
「よさこいー?俺はなーちょっとなー。太鼓なら仕事で叩いてるしなー。仕事とプライベートは分けたいよねー」
といって武雄の横の座布団にどかっと座った。
「間も無くー鬼のよさこいをー開始いたしますー。ホンモノのー鬼がーよさこいをー踊りますー。小さなお子様はー鬼に食べられないようー大人がーしっかりー守ってあげてくださいー。おへそもかくしてくださーい」
会場のアナウンスが始まり、観客はそのアナウンスを聞いておへそを取るのは雷様だろー、雷様って鬼の一種じゃないのー?と各々にツッコミを入れてあははと声を上げて笑った。皆、かつて見たことがない鬼のよさこいを想像して各々に興奮しているようだった。
やがて、どおおん、どぉおん、と向こうの方から和太鼓の音が聞こえ始めた。特大の和太鼓が積まれた山車が見える。
鬼のよさこいが始まる合図だ。
武雄は心臓が高まるのを感じた。
激しく和太鼓を打ち鳴らすのはもちろん鬼。青鬼と赤鬼のペアだ。隆々とした筋肉を携えた鬼は力強くバチを太鼓に打ち付けている。その後から、爆音の民謡に合わせて演舞をする鬼、巨大な旗を振る鬼、太鼓を持ちながら打ち鳴らす鬼が次々姿を現した。赤鬼と青鬼がごうごう鳴る音に合わせて踊りまくると会場はいっきにざわつき始めた。あれ特殊メイク?すごいよくできてんじゃん!筋肉どうなってるの?!観客は一斉にカメラを取り出して鬼たちのよさこいにレンズを向ける。演舞の中で鬼が子供の方に向かって腕を差し出すと子供は真顔になって親の後ろに隠れた。鬼が曲合わせて、回る、跳ねる、ポーズを決める。グッと睨みを効かせると、観客からうおおと歓声が上がった。
「ほら、よさこい盛り上がってるじゃん!」
武雄が青鬼の腕をつつくと
「盛り上がっているけど、やっぱりがたいのいい赤いやつと青いやつが踊ってるだけじゃん。」
青鬼が負けずに言い返す。
雲行きがますます怪しくなってきている。遠くの空で雷鳴が聞こえる。
それは6曲目の民謡が終わろうとしたときのことだった。よさこいはクライマックスを迎えようとしていた。
空が暗く染まり、ごろごろと静電気を含んだ雲が武雄たちの頭上に広がった。ぽつぽつと雨が会場を濡らし始める。閃光があってから雷鳴が起こるまでの秒数が次第に狭まっていることに武雄も青鬼も会場の観客も気づいていた。
「やばいな」
「やばいね、これ、雷、近いぞ」
その時、頭上に稲光が光ったその刹那、
ドーーーーーーーーーーーーーーーーン!
と大きな雷鳴が轟いた。
まるで巨大な岩が神によって地面に叩きつけられたような轟音。
会場内に落雷したのだ。ビリビリと空気が震える。
大きな振動を皆が受けたその時、一匹の鬼が、
「うぉおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
と全身を使って猛々しく咆哮を上げた。雷を跳ね返すかのような雄叫びだった。
それは、あの赤鬼君の叫びだった。
それに続いて会場中の鬼たちが一斉に
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
と咆哮した。
落雷の轟よりももっと強く、激しく、地面の底から揺さぶられるような鬼たちの咆哮。武雄は鬼たちの叫びに初めて恐怖を覚えた。
雨はとうとう本降りになって、鬼にも人間にも平等に降り注いでいる。
観客はさっきの盛り上がりとは打って変わってしんと静まり返った。鬼たちの咆哮を聞いてからは鬼を恐れの対象として慄いている顔付きに変わった。もしかするとこれは本物の鬼で、その鬼たちが自分たち人間に危害を加え始めるのではないかとその顔が物語っている。恐怖で顔が歪んでいるものもいた。出口に逃げ出そうとしてパニックを起こしているものもいた。
「ヒッ!鬼が増えてる!!」
周りを見渡した観客が声を上げ尻もちをついた。さっきまでいた数とは比べものにならないほど赤い鬼が増えているのである。
落雷によって、鬼が生まれるというのは本当だったんだ…。と武雄は思った。
一方鬼たちはテンションが上がったまま冷静さを忘れ、各々に奇声を上げ続けている。爆音でかかっていた民謡も先ほどの落雷による停電で電源を失ったため、赤鬼たちは和太鼓と小太鼓で独特のリズムを刻み、荒々しい演舞をやめることなく続けた。それはまるで鬼の宴のようであった。新たに出生した鬼もよくわからないままその場の空気に合わせて奇声を上げながらコンテンポラリーなダンスを続けた。その姿は不気味で見ようによっては神々しくすらあったが、あまりの猛々しさと奇抜さに周りの観客は完全に引いていた。子供という子供は全員が恐怖のあまり泣き叫んでいた。
大混乱の会場のなか、子供たちが泣き叫ぶ姿を見て、赤鬼はハッと我に返り、茫然と立ち尽くした。
赤鬼が狼狽していると、向こうで武雄が
「赤鬼君、赤鬼君—!」
と大声で叫んでいる姿が見えた。
一斉に赤鬼たちが武雄の方に振り向く。武雄は違う違う君たちじゃないと手を振っている。
赤鬼は武雄に大急ぎで近づいた。赤鬼は今にも泣きそうだ。
「武雄君、僕、どうしたら、こんなこんな風にしたかったわけじゃないんだ」
とうとう赤鬼は泣き始めてしまった。すると武雄は観客と鬼たちを分けるロープを大股で乗り越え、和太鼓の山車の方に赤鬼の腕を引っ張って走り出した。和太鼓の前で鬼からバチを受け取った。
「大丈夫。きっと大丈夫だから!泣くな、鬼だろ?!」
そういって赤鬼の背中をバンバン叩いた。
武雄は大きく息を吸い込んで和太鼓を盛大に鳴らした。
どんどんどどどん どどんどどん!
「いいかあ!全員注目ーー!
皆、俺の話を聞いてくれーーーーー!」
どどど
「ちょっと待て!」
武雄の和太鼓を制したのは後から来た青鬼だった。
「なに。」
「お前ドラムへたくそ。変わる。」
といって武雄のばちを奪い取った。
武雄は改めて会場中に響き渡るような大声で叫んだ。
「これから!
鬼の鬼による人間のための歌を歌う!!
鬼たちは人間との共存を求めている!
鬼との共存を求める人間はどうか一緒に歌ってほしい!」
ドドドドン!!
青鬼の一振り。
「曲は、鬼界の国歌、『鬼のパンツ』!」
ドドドドドン!
会場の鬼たちはウォー!と歓喜の声を上げた。
「いくぞーー!」
ウオオオオオォォォ!
今度の歓声は鬼たちのものなのか人間たちのものなのかそれとも双方からなのか武雄には判別することができなかった。
地鳴りのような歓声に武雄は背筋がゾクゾクするのを感じた。
ドンドドン!!
鬼のパンツは いいパンツ
つよいぞ つよいぞ
トラの毛皮で できている
つよいぞ つよいぞ
5年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ
10年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ
はこう はこう 鬼のパンツ
はこう はこう 鬼のパンツあなたも
あなたも あなたも あなたも
みんなではこう 鬼のパンツ
鬼たちと人間たちの大合唱が会場中に響き、空気はビリビリと震える。しかし、童謡「鬼のパンツ」に合わせて何百、何千の鬼がてんでに踊るものだから、こんな滑稽な姿はない。ざぁざぁ降る雨にも負けず、再び観客は笑顔を取り戻し、鬼と共に合唱を続けた。あれだけ泣き叫んでいた子供たちもげらげら笑って、びしょぬれになりながら、はこうはこう鬼のパンツーと歌って踊っている。中には勝手にロープを乗り越えて鬼と手を取りダンスをしている子供もいた。
赤鬼は踊りながらも泣き笑いをするから、またそれを子供たちに指差されて笑われていた。
この日のジャンボパークの様子はSNSからマスコミに情報が伝わり、その後あまりの反響の多さに定期的に鬼のよさこいが開催されることが決定された。
武雄の職場に赤鬼が就職したのはそれから少ししてからの話になる。武雄があまりに職場の愚痴を言うものだから、自分もその世界を見てみたいといって同じ資格を取得したのだ。どこまでも不思議な鬼である。しかし、職場にとって赤鬼は救世主だった。体力なら誰よりもあるし、心根は優しいのでお年寄りからすぐに信頼された。
それだけではない。どんなわがままな老人も、
「あんまりわがまま言ってると、頭からぼりぼり食べちゃうぞ!この芋ケンピみたいにね!」
と赤鬼が冗談めかして言うと黙るのだ。おかげで職場のストレスが軽減されたと皆が言うようになった。そこから赤鬼がさらに仲間を連れてきて、施設の職員は鬼だらけになった。それでもなぜか鬼であることを指摘されることも非難されることもなかった。
その夜、赤鬼と武雄は武雄の部屋でだらだらとおしゃべりをしていて、鬼だと指摘を受けない点について話し合った。
「やっぱり人間って自分以外興味がないのかなあ。誰も職員に鬼がいるなんて言ってこないじゃない」
そう赤鬼に訊ねると
「そういう武雄君だって君自身にも興味がないみたいだね」
「それってどういう意味?」
「鏡見てみなよ、武雄君、雷に打たれてから髪はもじゃもじゃだし、日に日に筋肉隆々になっていってるし、たんこぶって言っているの、それ立派な角だよ。つまり、武雄君自身が赤鬼なんだよ。」
武雄が頭頂部を触ると確かに三角のたんこぶのようなものがまだ存在した。
「え…?え?!なにそれ、いつから?よくわかんないんだけど。俺が赤鬼になったって意味?ジャンボパークのときの雷?」
「違う違う。僕と一番最初に会ったとき。あの時武雄君の車に落雷したタイミングで鬼になったんだよ。」
「落雷があると生まれるって、自然発生するだけじゃないの?」
「あの時は言わなかったけど、自然発生タイプと突然変異型があるんだよ。あと、鬼になることで初めてその他に存在する鬼の識別ができるんだよ。僕を鬼だってわかったのは、武雄君が鬼だからなんだ」
にわかに信じがたいが改めて部屋にある鏡を見ると、まごうことなき赤鬼だ。ああ、赤鬼の仲間になれてなんだかうれしいような、悲しいような。涙が流れてきた。
「あ、鬼なのに泣いてる〜」
「ちゃかすなよ、つうか鬼になってるって言えよ水くせぇな」
「鬼になったって知ったらショックかな、って」
「隠されてるほうがショックだよ」
そういうと武雄は芋ケンピを鷲掴みにしてぼりぼりと食べた。最近甘党になってきた気がする。
「今度のジャンボパークのよさこい、晴れて鬼として参加できるな」
武雄はニッと笑った。大きな牙がのぞく。
芋ケンピを指揮棒代わりにしてリズムを取る武雄。
「おにーのパンツはいーパンツー」
「つよいぞーつよいぞー」
どちらからともなく歌い始めた。歌声はやがて大きくなり、鬼の宴会が始まった。
「いい国歌だよな。俺のパンツ、ユニクロだけど」
「僕、アルマーニの特注」
お互いを見つめて会うと、ガハハハ!と大きな口を上げて笑った。
ふたりの口からは大きな八重歯がにっと覗く。
それはとても鬼らしい姿でありました。
そうして、この2匹の鬼はいつまでもいつまでも、ともだちであったということです。
©️2018ヤスタニアリサ
頂いたサポートはやすたにの血となり肉となるでしょう🍖( ‘༥’ )ŧ‹”ŧ‹”