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聖母マリアになった伊東

ゆいが無事に出産を終えた。
無痛分娩(とは言い難いので和痛分娩と言おう)により生んだそうだが、出産時はいきなり子宮口が3cmから10cmに広がり「いたぁーい、いたぁーい」しか言葉が出ないほどの痛みだったそうだ。問題は出産という儀式ではなく、「産んだ後」でゆいは、猛烈な膣の痛みに悩まされていたのだった。
「痛くて全然動けない。」と言うゆい。

そんなゆいが心配になりながらも伊東は27歳の夏を思い出していた。

27歳の伊東は股が痒かった。
理由はわからない。ただ痒かった。馬鹿らしいと思うが、なんかやばい病気だったらどうしようという強迫心がはたらき、心配だったので初めて産婦人科にかかることにしたのだった。

かかったのは、地元で超有名な産婦人科で初めにアンケートを書かされた。
いちばん驚いたのは、処女かどうかという項目であったが、伊東は恥ずかしげもなく、堂々と高齢処女を晒しておいた。

内診は恐ろしかった。天井からかかる謎のカーテンが、上半身と下半身の境目に引かれて、カーテンの向こう側では何が行われているのかもわからないし、もちろん医師の顔も見えない。

感じ方は人それぞれだと思うが、私は逆に不安だった。
下半身だけが、自分の支配下から逸脱して、医師に主導権がうつされている。
恐ろしい、恐ろしすぎる。

そして事態はもっと恐ろしい方向へ向かった。
股を開けという指示のあとに、
力を抜けと言われ間髪を入れずに、冷たい器具で膣を広げられる。
「もっと力を抜いてください」
ばか!こんなときにリラックスできるわけがあるまい。リラックスしてる奴がいたら、それはもはや超人である。宇宙人のワシのほうが人間的だ。

「うーん、特になんともありませんねえ」
ひどい、傷つけられた!来るんじゃなかった。伊東は心と体に深い傷を負った。
というのも、膣内に変なものを入れられたせいで、痛くて歩けないレベルになったのである。私は器具によって陵辱された!と思った。
訴えてやる!!と頭の中でキレながら、仕方なくトイレに向かったが、パンツの中が血だらけのホラー状態であった。

自転車で来たのだが、股をサドルにつけることができず、ひたすら立ち漕ぎして帰った。
出血は丸二日続いた。

その股の痛みが、ゆいと重なった。
そんな馬鹿馬鹿しい痛みと、出産を比べるなんて神への冒涜甚だしいが、私はその経験もあって慈しみの目でゆいを見られているのだ。

ゆいの娘、れもんは母乳とミルクの混合だそうだ。
ゆいの母乳はほとんど出ないようでなかなか苦戦しているようだった。
「私の母乳を分けてあげたかった」意味不明の言葉をゆいにかける伊東。

私は、処女で経産婦ではないが、実は29歳の時母乳を出したことがある。普通の人は「は?どういうこと?」と思うだろうが本当だ。
昔、うつ病と神経痛になったときに処方されたドグマチールという薬で高プロラクチン血症になったのだ。
簡単に言うとプロラクチンという物質が過剰に増え、経産婦でなくとも乳汁が出る。稀に男性であってもこの副作用になることがあるそうで、経産婦にわざとこの薬を処方し母乳を出すのを促すこともあるようだ。

母乳が出る副作用に見舞われた私は、はじめ恥ずかしくて主治医に言えなかった。だって主治医はオジサンだし、「あ、こいつも女だったんだ」と思われたくなかったのである。

しかし、事態は悪くなるばかりで、Tシャツにミルク染みを作るまでに溢れんばかりの乳汁に悩まされるレベルにまでなっていた。

母乳がまるで噴水のように止まらないのだが、止める術を知らなかったので、ノーブラにTシャツ、ステテコで街を徘徊していた。Tシャツはビショビショになっていたが、もはや無視。たぶん街ゆく人にはヤベー奴だと思われていたが、どうしようもないので無駄に堂々としていた。

後から聞くところによると、母乳が出過ぎる人はパット的なものがあるらしく、それをあてておくと乳汁を吸ってくれるらしいが、そんなことは思いつきもしなかったので、当時の私に誰か教えてほしかった。

母乳以外にも、伊東の体に異変が出始めた。
赤ちゃん(いないのに)が母乳を吸いやすいように乳首が大きくなってきたのだ。そうそれはまるで梅干のように。
困る、私は経産婦どころか処女なんだぞ。まるでこれでは、
処女のままイエスキリストを産んだ聖母マリアじゃないか。

母乳ビショビショ地獄の最中、それでも伊東は考えた。
母乳が勿体無い。なんとか再利用できないだろうか。伊東は搾乳することを思いつき、自らの母乳を搾り出して飲んでみた。

薄い…。そして思ったよりも飲みやすい。母乳というものは、人によって味が違うようで、濃厚な人もいれば私のように薄めの人もいるようだ。
しかしながら、母乳は血液からできているので、他人に気安く飲み比べさせろとも言えないため伊東は自分のしか飲んだことはない。

テレビに母乳画家という人が出ていて、母乳で絵を描いたり、冷凍保存しているのを見て、私も冷凍しようかと思ったが、そこまでするのはアレだと思ったのでやめておいた。

あとから思ったが、昔祖母に母乳が出過ぎて困ったという話を聞かされたことがあるので、
母乳の出というのは遺伝もあるのかしらと思ったのだった。

ゆいのお母さんやご先祖のことはよく知らないが、母乳があまり出なくても、れもんはミルクが好きで満足しているようだ。

もし、29歳の母乳ビショビショ状態の伊東がここに存在したら、助太刀するぜとばかりに、れもんへ母乳を提供したほうがいいのだろうかと過去に思いを馳せる私であった。

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