ひとと比べてしまうあなたに。
ひとと比べて自分は劣っているような気持ちになる。
世の中には自分より素晴らしいひとがたくさんいて、自分に価値がないような気がしてしまう。
ふとした時に、そんな感覚になってしまうことがある。
そういう時は、ずーんと気持ちが下がっていく。
前向きだった気持ちはどこへやら。
やろうという決意や、がんばろうという意欲もどこかにとんでいってしまう。
ひとと比べないようにしよう。
自分は自分でいい。
気にしないで大丈夫。
そう思っても、ふとした時に比べてしまうのは自分が弱いから?
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最近になって、はっと気がついたことがある。
あるエピソードを紹介しよう。
夫が企業対抗マラソンに出場した。
義父と息子とわたしで応援に駆けつけた。
たくさんの方が出場し、みんな一生懸命に走っている。
夫もこの日に向けて、毎朝ランニングを続け、コンディションを整えてきた。
精一杯の力で走り抜ける夫の姿。
マラソンを見ていて、はっと気がついたのだ。
スポーツには勝敗がある。
マラソンであれば一番速ければ勝者。一番遅ければ敗者なのかもしれない。
その基準でいうならば勝者が優れていて、敗者は劣っているともいえる。
けれども、どうだろう。
勝敗の基準を取っ払ってみたら、何が優れていて何が劣っているかなんて決められなくなる。
もし、ビリの人が最後まで諦めずに必死に走り抜ける姿を見て、周りの人に感動と希望を与えたのだとしたら、それは価値のあることだ。
一番は一番の役割。
ビリはビリの役割。
それぞれ大切な役割であり、それぞれに価値がある。
そこには優劣はない。
わたしの大好きな先生。東井義雄先生の詩を思い出す。
それぞれの個性。
それぞれの役割。
それぞれの立場。
ひとそれぞれさまざまで、さまざまだからいい。
ひとと比べて自分が劣っているような気持ちになる。
それは、何を基準にした価値なのだろう。
稼いだ金額?持っている所有物?フォロワー数?学歴?
まず、自分がもつ個性を輝かせよう。
まず、自分の役割を全うしよう。
まず、自分の立場から見えるものを大切にしよう。
それは、誰かが判断した基準で見れば劣って見えるかもしれない。
でも、自分だけのもので、自分だけが放つものこそに「価値」がある。
自分が劣っているように見えたからといって、他人の個性・役割・立場をもとうとしなくていい。
それは「やんちゃ者がおとなしい子」になろうとするくらい、無理なことなのだから。せっかくの自分の光を消してしまうことになりかねない。
ひとと比べてしまいそうになったら、
自分がもっている、自分だけの光を輝かせることだけを考えよう。
自分が自分であること以上の「価値」はないはずだから。
サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。