見出し画像

ひとと比べてしまうあなたに。

ひとと比べて自分は劣っているような気持ちになる。
世の中には自分より素晴らしいひとがたくさんいて、自分に価値がないような気がしてしまう。

ふとした時に、そんな感覚になってしまうことがある。

そういう時は、ずーんと気持ちが下がっていく。
前向きだった気持ちはどこへやら。
やろうという決意や、がんばろうという意欲もどこかにとんでいってしまう。

ひとと比べないようにしよう。
自分は自分でいい。
気にしないで大丈夫。

そう思っても、ふとした時に比べてしまうのは自分が弱いから?


✳︎


最近になって、はっと気がついたことがある。
あるエピソードを紹介しよう。

夫が企業対抗マラソンに出場した。
義父と息子とわたしで応援に駆けつけた。
たくさんの方が出場し、みんな一生懸命に走っている。
夫もこの日に向けて、毎朝ランニングを続け、コンディションを整えてきた。
精一杯の力で走り抜ける夫の姿。

マラソンを見ていて、はっと気がついたのだ。

スポーツには勝敗がある。
マラソンであれば一番速ければ勝者。一番遅ければ敗者なのかもしれない。
その基準でいうならば勝者が優れていて、敗者は劣っているともいえる。

けれども、どうだろう。
勝敗の基準を取っ払ってみたら、何が優れていて何が劣っているかなんて決められなくなる。

もし、ビリの人が最後まで諦めずに必死に走り抜ける姿を見て、周りの人に感動と希望を与えたのだとしたら、それは価値のあることだ。

一番は一番の役割。
ビリはビリの役割。
それぞれ大切な役割であり、それぞれに価値がある。
そこには優劣はない。

やんちゃ者からはやんちゃ者の光
おとなしい子からはおとなしい子の光
気のはやい子からは気のはやい子の光
ゆっくりやさんからはゆっくりやさんの光
男の子からは男の子の光
女の子からは女の子の光
天いっぱいに
子どもの星を
かがやかせよう

東井義雄「どの子も子どもは星」の一部より抜粋

わたしの大好きな先生。東井義雄先生の詩を思い出す。

それぞれの個性。
それぞれの役割。
それぞれの立場。

ひとそれぞれさまざまで、さまざまだからいい。

ひとと比べて自分が劣っているような気持ちになる。
それは、何を基準にした価値なのだろう。
稼いだ金額?持っている所有物?フォロワー数?学歴?

まず、自分がもつ個性を輝かせよう。
まず、自分の役割を全うしよう。
まず、自分の立場から見えるものを大切にしよう。

それは、誰かが判断した基準で見れば劣って見えるかもしれない。
でも、自分だけのもので、自分だけが放つものこそに「価値」がある。

自分が劣っているように見えたからといって、他人の個性・役割・立場をもとうとしなくていい。

それは「やんちゃ者がおとなしい子」になろうとするくらい、無理なことなのだから。せっかくの自分の光を消してしまうことになりかねない。

ひとと比べてしまいそうになったら、
自分がもっている、自分だけの光を輝かせることだけを考えよう。

自分が自分であること以上の「価値」はないはずだから。


サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。