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「アデル、ブルーは熱い色」がたまらなく好きという話


春になると、なぜか「アデル、ブルーは熱い色」という映画が観たくなる。
春特有の、自分の体温と気温の境目が曖昧でぼんやりする感覚とか、何かが終わって何かが始まることに対する寂しさや焦りがそう思わせるのかもしれないし、単純に初めて観たのが春だったからというだけかもしれない。
とにかく私はこの映画が人生のマイフェイバリットムービーTOP5に入るくらい好きだ。
2015年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した後、主演の二人が監督の撮影手法が「あまりにも酷かった」と批判の声を挙げたというニュースを目にした時はとても複雑な気持ちになったけれど、それでもどうしたって私はこの映画を嫌いにはなれずにいる。

(※以下、ネタバレを含みます)

主人公のアデルは、高校の同級生達が盛り上がる彼氏がどうこうといった話題にいまいち乗り切れない。
ある日、上級生に誘われデートすることになったアデルは、待ち合わせ場所に向かう途中ですれ違った青い髪のエマに一目惚れする。
一時は上級生と付き合いかけるも結局本気になれず、やがてアデルはエマと恋人関係になる。
だけどクラクラするような多幸感は長くは続かず、二人の関係には少しずつ翳りが見え始め…といった話。

アデルとエマはどちらも女性なので、この映画はしばしば「LGBTQ映画」「レズビアン映画」と紹介されることが多い。
たしかに劇中にはアデルが同級生からレズビアン(あるいはバイセクシャル)であることを非難されるシーンやアデル自身がそのことに傷つくシーンがあるけど、正直私はこの映画をLGBTQ映画という括りで観ていない。
何故ならアデルとエマの関係性の変化やアデルが感じる喜びや喪失は、どのような性的指向であれ多くの人にとって普遍的なものだと思うから。
あと、劇中にはかなり直接的な性描写もあってそればかり取り上げる紹介記事もあったりするけど、この映画の素晴らしい部分はそこではないと個人的に思っている。

「アデル、ブルーは熱い色(英題は”Blue Is the Warmest Colour”)」というタイトルの通り、初めて観た時はエマの鮮やかなブルーヘアに釘付けになった。
あまりの格好良さ、美しさに衝撃を受け、エマになりたい一心で髪を2回ほど真っ青に染めたくらい。
当然髪を染めたところでエマになれるはずもなく、見慣れた顔に青い頭が乗っかっただけだったけど。

だけど何度も何度も観返すうちに、私がこの映画を好きな一番の理由はアデルの存在だと気付いた。
バスで居眠りするシーンや髪を束ねるシーンといった細かい部分に至るまで魅力的で、本当にアデルが存在しているように思えてくる。
後で知ったことだがアデル役の俳優さんの本名もアデルというらしく、原作の漫画だとクレメンタインという名前だったところアデルに変更されたらしい。
だから実際に「役としてのアデル」と「俳優のアデル」は極限まで同一化していたのかな。
それがご本人にとって良いことだったのかは分からないし、考え始めるとまた複雑な気持ちになってしまうけど。

私が好きなシーンに、「上級生に別れを告げたアデルが、その後自分の部屋で泣きながらお菓子を食べる」というものがある。
おそらく彼を傷つけてしまったこと、自分が同級生たちのようになれないことに対する苦しさから、アデルは電気も点けずベットに身体を投げ出し肩を震わせて泣く。
そうして暫く泣いた後、アデルはベッドの下のお菓子ケースからチョコバーを取り出し、しゃくりあげながら口に放り込む。

このシーンを観ると、私は物凄く「生」を感じてたまらない気持ちになる。
これまた大好きなドラマの「カルテット」に出てくる、「泣きながらご飯を食べたことのある人は生きていけます」という台詞を思い出す。
胸を引き裂くような苦しみ、悲しみに咽び泣きながら食べ物を食べるって一見滑稽かもしれないけど、「今生きていること」と「これからも生きていくこと」を強く感じる瞬間だと思う。

ていうか映画全体通してアデルの食べっぷりが良い。
人によって咀嚼音とか豪快さとか気になるかもしれないし、私も基本的には結構気になるタイプなのだけど、アデルの食べ方はなぜか好き。

エマと晴れて恋人同士になってからも、牡蠣を片手に芸術的なトークを繰り広げるエマの家庭と、ボロネーゼパスタを啜りながら堅実な職業に就くことの重要さを語るアデルの家庭との違いとか、幸せの後ろに垣間見える不穏さに胸がキリキリする。
二人の住む世界の違いがどんどん浮き彫りになって、とうとう決定的な出来事によって別離した後のアデルの姿がまた痛々しくて、同じ喪失を味わったような気持ちになる。
外では努めて明るく過ごし、家に帰ったら一人で泣く毎日を繰り返すシーンなんて、事情は違えど身に覚えがあり過ぎる。

結局映画はほろ苦い結末を迎えるけど、決してバッドエンドだとは思わないし、観た後は不思議とすっきりした気分になる。
「人生は望むような展開には進まないし、都合の良い救世主も現れやしないけど、とりあえず明日からも何とか生きるか」という、半ば諦めのような決意が胸に生じる。
何度人生に対して腹をくくったところで数日後にはまた挫けているかもしれないけど、その時はまた同じように腹をくくるのだろう。
そうやって繰り返しているうちに、いつか「この人生もそこまで悪くないかもな」と思える日が来るのかもしれない。

どうして急に好きな映画について語りたくなったのか分からない。
春特有の、自分の体温と気温の境目が曖昧でぼんやりする感覚とか、何かが終わって何かが始まることに対する寂しさや焦りがそう思わせるのかもしれないし、単純に初めて観たのが春だったからというだけかもしれない。
とりあえず今はっきりと分かるのは、書きながら無性にボロネーゼが食べたくなったことだけ。

(劇中で流れる曲。曲調もMVも絶妙に怖くて良い)

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