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在日コリアン、「福田村事件」を観る

2023.8.16
渋谷ユーロスペースで「福田村事件」を観た。
1923年9月、関東大震災発生後の日本では、当時「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が婦女を暴行した」などと根拠ない流言蜚語が流れた。
この映画はそんな混乱の中、同年9月6日に千葉県のとある村で起きた「朝鮮人と間違えられた結果、日本人の行商団が村民に虐殺された実話」を基にしている。
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※以後ネタバレあり
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在日コリアン三世の自分はこの映画を観ることが怖くてずっと躊躇っていたのだけれど、意を決して鑑賞。
事前に見た情報の通り、確かに性愛描写多すぎるな、、、(特に胸を出すシーンは必要だったのか)と感じたけれど、これは監督自身のアイデアではないとのこと。
ただ、この点だけを論って「観ない!」と言ってしまうにはあまりにも勿体無い作品だと思った。

行商団を殺せ!殺せ!と息巻く村民にはもちろん、「この人は日本人だ!!」と庇う一見「良心と理性がある側」にも違和感を覚えていたら、瑛太演じる行商団長が呟いた「朝鮮人だったら殺してええんか」という言葉がまさにその違和感の根源を突き、抉り取っていた。
と同時に、在日韓国人でありながら「この人たちは日本人なのだから殺さないで」と無意識下で思っていた自分に驚いた。

私は生まれながらにどちらかといえば「差別される側」に立つことが多かったから、こうして差別について考えたり、この映画を観に足を運んだりしている。
けれど立場が変わればどうだろうか?別の国の人が迫害されていた場合は?私は行商団長のように、物事の一番根源的な部分を見極め、そこを突く言葉を発せるだろうか?

私は絶対にいかなる差別はあってはならないと思うけれど、同時に少しも差別心が無い人なんて自分含め存在しないと思っている。
だからこそ、自分の中にある無意識の偏見や差別に日々向き合い、問い続ける必要があると改めて思った。それがどんなにバツの悪い作業だとしても。

役者の方はみんな素晴らしかったけど、特に最後の行商団の少年の独白が印象的だった。
そして、メガネの青年が殺される前にポツリとこぼした「俺は何のために生まれてきたんや」という言葉がずっと胸に刺さっている。
ひとつだけ言えることは、「〇〇人は殺して良い」「△△人は殺してはダメ」なんて無いよ絶対。

この映画をたくさんの人に観て欲しいけれど、本当に観て欲しい人はきっとこの映画を自主的に観に来ないような人だろうな。
それでも20:40〜と遅い回だったにも関わらず沢山の若い人が観に来ていて、そこに私は希望を感じた。

日々無力感と虚無感を感じるけれど、それでも差別に反対すること、できる限りのアクションをすることをやめてはいけない。そう改めて思った。

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