小説「自殺相談所レスト」8-2

自殺相談所レスト 8-2

登場人物
五月女(ソウトメ)チヨ
嶺井(ミネイ)リュウ
森元(モリモト)カズキ
依藤(ヨトウ)シンショウ



 その日、チヨは午前十時過ぎに起きた。

 いけない……もう夏休み終わるのに……こんな生活……

 レストに最後に行ってから一週間が経っていた。あの日以降、チヨは家に引きこもっていた。最後の行き場所を失ったと思ったチヨは人生のすべてに対するモチベーションを失っていた。朝起きるのも、顔を洗うのも、歯を磨くのも、朝食をとるのもおっくうだった。

 そうだ……死んじゃえば、こんな生活も終わるな……

 しかし自死を思うと、レストのことを思い出した。そして、言いようのない感情がこみあげてくる。悔しいような、寂しいような、恥ずかしいような気持ちだ。

 私、何にもわかってなかった……嶺井さんのこと。

 嶺井の事を、どんな人間のことも癒してしまう魔法使いのように思っていた。でも違う、彼は人間なのだ。自殺する人間を救えない時もあり、見送ることができない時もある。そしてそれは、チヨにはとても悲しいことに思えた。

 嶺井さんは、あんな生活をずっと続けてるんだ……

 依頼人たちの絶望に寄り添う生活、チヨにはできるはずもなかった。自分の人生の絶望からも逃げて、死のうとしたというのに。

 私は、レストにいる資格がないんだ……

 関モモコのことを思い出した。まだ同い年の彼女は、一体どうしてあの場所に居られるんだろうか。嶺井に認められるだけの何かが、チヨには想像もつかない何かが、あるに違いない。

 スマホに、メールが来ていた。嶺井からだった。

 また来てる……

 あの日以降、嶺井から心配するメールが何通か来たが、一件も返信していない。というより、返信できなかった。なんと返せばいいのかわからなかったからだ。

「終わりにしよう……」

 要件はわかっている。チヨは、嶺井からのメールを確認することなく、スマホをポケットにしまった。

 最後に一度、直接会って、お別れを言おう……

 チヨは出かける支度を始めた。



 あとほんの数分で正午になろうかという時、嶺井は事務所の応接室でソファにかけていた。

 確証はない……でも、やるしかない……

 昨晩は遅くまで調べ物をしていたが、嶺井のコンディションはよかった。不測の事態が起きても『力』で対処できる。事務室には依藤も待機している。

 ドアをノックする音がした。

 来たか……

「どうぞ、開いてますよ。」

 本日『お見送り』の予約が入っている、森元カズキが入ってきた。ポロシャツにチノパンというカジュアルな服装で、通勤に使っていそうなカバンを持っている。森元は初回の相談の時以上に、緊張した面持ちだ。挨拶をかわし、森元はソファに座った。

「嶺井さん、とうとう、この日が来ましたね……」

「ええ、お気持ちは変わりませんか?」

「かなり迷いましたが……よろしくお願いします。」

 森元カズキは、心身ともに健康な、珍しいタイプの依頼人だ。身の不幸によって自殺を考えたのではなく、人生に対する失望から死を選んだ。

「瀬戸内さんはこんなこと望まないだろうと言っても、ダメですか?」

「彼はもう死にましたから。それに私は、私のためにやっているのです。」

「僕としては、まだ話せばわかると思っているんですよ。」

 言葉通りの意味だったが、嶺井としては、もう一つの意味も籠っていた。

 森元は微笑んだ。

「お優しいですね。でも結構です。私、遺書まで書いたんですから。ほら、ここに持ってきて、」

 森元がカバンの中に手を入れた。

 このタイミングだ!

 嶺井はすかさず右手を森元に向けた。森元は手が動かなくなり、怪訝そうな顔をした。

「あれ、手が……嶺井さん、もしかして、あなたの力ですか?」

「ええ。ちょっとわけがあって……そのまま動かないで下さい。いくつか質問があります。」

 森元は、訳が分からないという表情だ。

「森元さん、あなたは私に話してない事がありますね?」

「話してないこと?」

「あなたの上司の、例のパワハラの部長は、もう亡くなっていますね?」

「え……?」

 森元は相変わらず、訳が分からないという表情をしている。嶺井は自信が揺らいだが、ここはあえて強気に出る必要があることはわかっていた。

「レストは本来、個人情報を明かさなくても利用できますが、瀬戸内さんはそれを嫌がり、勤務先も教えてもらっているんです。つまり、僕はあなたの勤務先も、『ファイブリー家電企画部』だと知っている。」

「はあ……」

「二か月前、そこの部長が職場で首つり自殺をした。小さなニュースでしたが、知っている企業名だったので僕は覚えていたんです。昨日調べたところ、亡くなった部長は瀬戸内さんから聞いたパワハラ上司と同じ名前でした。あなたはここに三回も相談に来ているのに、どうしてこれを黙っていたんですか?」

 森元は黙っていた。表情からは何も読み取れない。

「あなたは部長の死を話さなかった理由、もしかして、僕に怪しまれたくなかったからなんじゃないですか?部長の死に、自分が関わっていることを。」

 証拠があるわけではなかった。これは賭けだった。森元が、いや、Xが、慎重な性格であれば、『自分が疑われることすら良しとしない』ほどに慎重な性格であれば、『逃げ』ではなく『攻め』を選ぶはずだった。

 森元が目を閉じ、ため息をついた。

「嘘は見破られるかもと黙っていたんだが……失敗だったよ、逆に怪しまれてしまうとは。」

 嶺井の『カマかけ』は成功した。Xは下手な言い逃れではなく開き直ることを選んだのだ。

「森元さん、あなたが富山を雇ったんですね?」

 森元は降参だとでもいうように、軽やかに笑った。これから死にに行く人間には、もう見えなかった。

「ああそうだ、よく自分の依頼人を疑う気になったな。」

「富山が捕まることは読まれていた。だから、僕が警戒して事務所を引き払う事に決めたとき、この判断も読まれているかもしれないと思ったんです。もし僕が雲隠れしても、安楽死の依頼人であれば、必ず僕と会う機会が訪れる。頭の切れる人物だ、依頼人の中に潜んでいるかもしれない。」

「なるほど、裏の裏をかかれたわけだ。」

 森元は余裕そのものといった様子だ。既に体の動きを封じられているのに、なぜそんなに自信ありげでいられるのか、嶺井は気になった。森元にはまだ、嶺井の『力』への対策があるはずだ。それがあるからこそ、今日ここへ来たし、あっさり自供もした。

「森元さん、あなたの目的はなんです?依頼人のふりをするなら、盗聴器も尾行も必要なかったはず。」

 森元は邪悪な笑みを浮かべた。

「そうだな。富山も部長も、別に巻き込む必要はなかった……だが俺は……お前に痛みを味わってほしいんだ、嶺井リュウ。」

「痛み?」

「ところでお前は、穂村アカネの父親の苗字を知っているか?」

 穂村アカネ、だと……?

「アカネの両親は離婚している。穂村は母方の姓だ。そしてあかねの兄を引き取った父親の苗字は、森元。」

「まさか、アカネの……?」

 アカネに兄がいるとは聞いていた。ということは森元の目的は……

「背中が無防備だぜ、リュウ。」

 嶺井が振り返ると、依藤が立っていた。銃を向けている。

「依藤、なんで出てきて、」

 言い終わらないうちに、依藤が発砲した。嶺井は右肩に鋭い痛みを感じた。

「うあっ、」

 この瞬間嶺井は、ショックで森元にかけた『力』を解いてしまった。慌てて体勢を立て直そうとしたときには、森元はすでに、鞄からスタンガンを取り出していた。

 しまった!

 体に衝撃が走り、意識が遠のいていくのがわかった。



 チヨはいつものように、雑居ビルの階段を上っていった。これから言わなきゃいけないことを考えると、気が重かった。

 二階の踊り場まで来た時、レストの方から、大きな破裂音が聞こえた。続いて何かが倒れる音。チヨは気になり、階段を駆け上がった。嶺井ではない、男の声がする。

「完璧なタイミングだったろ、森元さんよ。」

「まさか。遅すぎる。」

 半開きのドアから中を覗くと、見たことのない男が二人、話をしている。そして床に目をやると、

「リュウさん!」

 嶺井が倒れていた。チヨの叫び声に気づいた二人がこちらを見る。

「やべ、見られたな。」

「五月女チヨか。ちょうどいい、そいつも使おう。」

 私を知ってるの?

 チヨの名を呼んだ男が、こちらに歩いてきた。その冷たい目に射すくめられ、チヨは身動きができなかった。

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