夢原案小説「よくあるパンデミックその7」

※ゾンビもの、スプラッタホラーです

※新型コ▢ナとは無関係な話題です

※これまでのあらすじ ゾンビ化ウイルスで荒廃した世界。「私」は、同じく超人的な力を得た少女を始めとする生存者集団と出会い、共に生活していた。少女いわく、ウイルスを作り広めた「黒幕」は彼女の父親だという……


 少女の父親は、うつ病治療の研究をしていたという。脳の働きに作用する薬を使った治療を扱っていた。そのころはまだ彼も、医療の未来を開拓する一研究者に過ぎなかった。少女も父のことを尊敬していた。

 きっかけは、彼のもう一人の娘、つまり少女の姉だった。少女より七つ年上の姉は、就職した会社のパワハラが原因で、自殺を図った。姉は一命をとりとめたが、重度のうつ病と診断され、人が変わってしまった。

 少女は姉と仲が良かっただけに心の傷は深かった。しかし父はそれ以上に大きな傷を負った。娘たちが幼いころに母が他界し、父は必死で娘たちを育ててきたのだ。その痛みを表にこそ出さなかったが、一言だけ、同じようなパワハラ自殺のニュースを見ながらこうつぶやいたのを、少女は聞いた。

「優れた治療法があっても、社会構造に問題があったら意味がない。」

 父は研究に没頭するようになり、家を空ける期間が次第に長くなっていった。最新の治療を娘に受けさせたいと、半ば強引に姉を被験者として連れて行ってしまった時、少女は父がとても心配になった。

 そんなある日、父から少女に連絡が来た。研究所に、重要な書類を届けに来てほしいとのことだった。家に忘れ物をするなど珍しいなと思ったが、一週間家を空けている父の様子を見るいい機会だとも思い、彼女は研究所へ向かった。

 少女を出迎えたのは、ガスマスクをつけた職員だった。研究棟内で病原体の流出事故が起きているから、これを付けろと言われ、ガスマスクをつけた。その途端、彼女は急に意識を失った。

 目覚めたときには、拘束された状態で何が何だか分からなかった。そして何も知らされないまま、肉体に変異が起きた。少女の左腕の筋繊維が、花開く蕾のようにほどけた。

 ガスマスクをつけた父がいた。

「これでお前は助かる。ごめんな、こうするしかないんだ。」

 少女は研究所内に監禁され、来る日も来る日も父に薬物投与された。そして一週間後、父は素顔で現れた。顔の半分が腐り始めていた。絶句する少女に、父は言った。

「偶然とはいえ、私はこのウイルスの生みの親といえるだろう。」

 おぞましい話だった。外部から混入したウイルスが薬剤耐性を得て、さらに突然変異を起こしたという。既にほぼ全員の研究員が感染し、ゾンビ化していた。ウイルスを外に出さないため、政府から研究棟に閉じこもることを命令されたという。

「私も感染しているが、発症は遅れている。そして読み通り、お前は適応できたようだ。」

 ゾンビ化ウイルスが外に漏れれば、社会は崩壊する。そうなった時のため、あらかじめ彼女を感染させ適応出来るようにしておきたかった、という理由だった。

 少女は聞いた。なぜウイルスが外に出る前提で話をしているのかと。父は狂気に満ちた笑顔を浮かべて答えた。

「私はウイルスを外に出すつもりだ。」

 少女の監禁生活が始まった。肉体や精神に現れる症状を記録し、薬物でそれを制御した。同じ研究棟内にいるであろう姉には、何故か合わせてもらえなかった。きっと同じようにウイルス適応の実験台にされてしまったのだと思った。

 数日後、研究棟の窓から、外の景色を眺めることを許された。彼女が建物最上階の窓から覗くと街のいたるところから立ち上る煙が見えた。

「ゾンビウイルスが全世界同時に放たれた。人類は滅ぶだろう。日本が今梅雨でよかったな。ああして火事が起きても、自然に鎮火する。」

 父はかつてのような優しい時もあれば、別人のように狂った言動をするときもあった。その顔の皮膚のように、彼の魂は半分腐り果ててしまったのだ。少女は自分の苦しみ以上にそれが悲しかった。

 そして三か月近くたったある日、彼女はいつもと違う実験に呼び出された。

「今からくる相手と戦ってみてほしい。」

 少女の前に現れたのは、変わり果てた姿の姉だった。四肢がすべて触手として分離し巨大な蜘蛛のようで、胴体にはところどころ、目や耳が生えていた。本来の目は白濁し奇妙なほど無表情で、意識は完全に失っているようだった。

「暴れてしまって鎮静剤を投与できない。取り押さえるのを手伝ってくれ。」

 少女は自分の身体能力が上がって居るのは実感していたが、それを武力として行使することなど考えてもいなかった。しかし暴れ狂う姉を取り押さえようと試みるうちに、その超人的な力に目覚めていった。

 数十分に及ぶ死闘の末、姉の触手をほぼ切断し、無力化することに成功した。しかし少女の破壊衝動がおさまらず、姉にとどめを刺そうとする自分が怖くなり、彼女は逃げ出した。棟内にはガスマスクの職員もゾンビもほとんどおらず、出口まで一気に駆け抜けた。

 三か月ぶりの外の世界は、荒廃しきっていた。アスファルトや建物も雑草に覆われ初め、人骨が至る所に散らばっていた。研究所敷地内は異形のゾンビであふれており、勢いに任せて蹴散らしながら、彼女は体力の続く限り走り続けた。行先のあてはなかったが、とにかく、研究所から離れたかった。

 ついに彼女は走れなくなり、廃墟の中をふらふらとさまよっていているところを、巡査服の男に見つかった。

 これが、少女が私たちにした話だった。


「それでは、黒幕討伐の作戦会議を始めたいと思います。」

 会議の場には、私を含め六人の男女がそろっていた。指揮を執るのは、神経質そうな男だ。彼は今や生存者集団の新リーダーになっていた。相変わらず細かいことを気にしすぎるきらいはあるが、おかげで集団生活における細かい不便はかなり解消され、彼は生存者たち全般の支持を得ている。

「ここから例の研究所まで行く乗用車四台、人数分の自動小銃、超人ゾンビの血液を使った対ゾンビ弾、食料の十分な備蓄、この二か月間で我々の準備は十分なものとなりました。」

「おうよ、野郎どもの士気も今までで一番だ。冬になっちまう前に、黒幕野郎をぶっつぶしちまおうぜ。」

 ガラの悪い男はこの二か月間、私と組んでゾンビ討伐訓練の現場指揮を取った。血の気は多いが仲間思いの性格で、ゾンビとの実践訓練でも死者を出さなかったのは彼の功績といえるだろう。

「僕もそう思ってましたが、気になるのは昨日戻った偵察隊からの報告です。」

 神経質そうな男に促され、偵察隊代表の、ひっつめ髪の女が立ち上がった。

「私たちが研究所に向かう間、何体か大型のゾンビと遭遇しました。しかし奇妙なことに、このゾンビたちはいずれも、私たちに見向きもせず、研究所の方角へ走り去っていきました。さらに施設内では、彼女の報告を明らかに上回る数のゾンビが密集しており、それら全員共食いもせず建物の周りを徘徊しているのです。」

「……何だよそれ。」

 ガラの悪い男にも事態の異常さが呑み込めたようだった。私もこれまでの生活で、ゾンビが集団行動を取っているところなど見たことがない。

ひっつめ女が続けた。

「これはあくまで私の憶測ですが、例の黒幕は、娘の脱走を受けて、何らかの対策を講じたのではないかと。集められたゾンビたちは、もう一人の娘が逃げ出さないための警備の役割をしているか、これから組織を編成し、逃げた彼女の捜索に向かうか。」

「おいちょっとまてよ、それじゃまるで、そこのゾンビたちは黒幕の言いなりになってるみたいじゃねえか。」

「ゾンビ達が二人のように理性を持っているか、黒幕がゾンビを制御する方法を持っているくらいは、想定した方がいいかと。」

 ひっつめ女がガラの悪い男を完全に黙らせた。

「偵察隊からの報告は以上です。」

 彼女が席に着き、室内の空気が重くなったのがわかった。

「僕は彼女同様、この報告を深刻に受け止めています。」

 神経質そうな男は、いつにもまして神経質そうに見えた。

「討伐隊から、ゾンビの数が減っていると聞いて、共食いの結果だと思っていましたが、実際は違った。現状の私たちの人数と装備では、ゾンビの大群を突破するのは困難でしょう。」

「んなことねえよ!」

「いいや、困難だ。」

 ガラの悪い男が、急に発言した私を驚いた表情で見た。

「すまないリーダー、発言いいか?」

「どうぞ。ちょうど話を聞こうと思ってました。」

「わかった。俺はまず、偵察隊のいうとおり、ゾンビの大群は、今までのゾンビとは質が違うものと考えて良いと思う。討伐隊は優秀だが、想定していない相手が、しかも多数となれば明らかに不利だ。」

 ガラの悪い男は再度沈黙した。この男はこの二か月で、私に戦略でも腕力でも差を見せつけられている。反抗的なようで反抗はしない。

「だが、研究所の制圧作戦を先延ばしにするのも、得策とは思えない。」

 今度はその場の全員が、私を驚きの眼差しで見た。

「ここからは俺も憶測での発言になるが、ゾンビが研究所に今も集まり続けているなら、やつらに時間を与えるのはまずい。もっとゾンビが集まって来るかもしれないし、俺や彼女がそうであったように、ゾンビは時間とともに成長できる。大群ゾンビが理性のあるタイプなら、確実に。」

 件の少女も、静かにうなずいている。基本的にこの子は会議では喋らない。話したい内容はすべてひっつめ女に代弁してもらっているらしい。

「対する俺たちは、今より時間をかけても、体力や射撃のスキルが向上する程度。この二か月間、人員の増加もない。作戦の先送りしても、リスクが上がるだけなんだ。」

 神経質そうな男も、ひっつめの女も、すぐには反論できないようだった。悩ましいといった表情だ。

「私からもいいかしら?」

 未亡人の女が手を上げている。彼女は炊事や看護をする、集団の生活員の代表としてここにいる。

 神経質そうな男が促した。

「さっき彼も少し触れたけど、」

 彼女はガラの悪い男を見やった。

「これから私たちは冬を迎えるわ。お年寄りや子供、持病のある人には厳しい季節になるの。暖を取らなきゃいけないし、食料の確保も難しくなる。」

 食料確保は、討伐隊が動物の狩猟を、偵察隊が果実や野菜の採集を担当していた。

「備蓄があると言っても、先延ばしした作戦が冬になるようなら、生活員の負担も大きくなる。春を迎える前に、向こうからゾンビが襲ってくるかもしれない。私は作戦の決行は、今の時期がいいと思うの。」

 彼女の意見に、神経質そうな男はより難しい顔になった。

「しかし……今動いたとして、作戦成功の見通しがなければ……」

「方法がないわけじゃない。大群ゾンビを突破するアイデアなら、一つ思いついている。」

 神経質そうな男が、半ば食いつくように私を見た。

「それは本当ですか?」

「ああ。だが……安全な策じゃない。」

 会議の後、未亡人の女に呼び止められ、私は医療スペースに来ていた。ちなみに生存者集団は今、かつて私のいたビルに移り住んでいる。医療スペースはビルの七階に設けられていて、そこには看護師と薬剤師の女性が常駐している。

「これだけは言わせて……私はあなたに賛成した。でも、あなたが死ぬことには私も、他の誰も、賛成しないわ。」

「わかってる。俺も死ぬつもりはないから。」

 未亡人の女の目は、まだ疑っていた。心配しているが故だろう。

 若いころからよく、私の言動は冷徹すぎると言われたが、私自身はそんなつもりはないのだ。ただ、最善を提案したに過ぎない。

「お巡りさんは、今日もぐっすりね。」

 医療スペースには、私の血を体内に取り込み昏睡状態になった巡査服の男、さらに少女が血を与えたことで昏睡状態になった男性が二名、女性が一名、合計四人が、それぞれのベッドで寝ている。ショッピングセンターでリーダーが暴れたとき、巻き添えを食らって死にかけた何人かに、あの少女が自分の血を分け与えたのだ。未亡人の女から私のやり方を聞き真似したという。四人はゾンビ化することなく外傷が治癒したが、その代わり深い眠りに着いた。一切食事をとらないが生きている。

「四人とも、少しずつ痩せていってるみたい。」

 集団には黒幕討伐より生活の安定化を優先させるべきという意見もある中、彼女が制圧作戦決行に賛成しているのは、黒幕であればこの四人の治療法も分かるのではないかという考えからだ。

「誰かを死なせない代わりに自分が死ぬなんてダメ。大義は、命あっての物よ。」

 私は、初めてゾンビ化した時からずっと、わが身の安全を無視した戦い方ばかりしてきた。他人から見れば異常なのだ。

「分かったよ、奥さん。」

 きっと私がそれをやめることはないだろう。ただ、全ては生き抜くためという根幹だけは揺らいではならない。

「話は終わりました?」

 振り返ると、ひっつめの女がいた。

「ええ。お呼びかしら?」

「奥さんじゃなくて、そっちの超人さんに話があるんです。」

「あら。それじゃあ、私は先に失礼するわね。」

 未亡人の女が出ていき、入れ替わるようにひっつめ女が近づいてきた。

「どうした?」

「あんたの作戦、実は私も似たようなこと考えてたんだ。」

「意外だな。君はもっと堅実な性格だと。」

「そういう振る舞いをしてるだけさ。本当はみんなより、あんたに近い。」

 引っかかりのある言い方だ。

「あの子が来るまではね……当時のリーダーの部隊に女もいた。あたしもその一人で、リーダーの『お気に入り』だった。この意味、わかる?」

 普通の人間が想像するだろう意味とは違う、もう一つの意味も、私にはわかった。

「俺と『同類』だったら、どうだっていうんだ?」

「私にも血を分けてよ。あんたの血。」

 彼女は迷いなく言ってのけた。

「断る。」

 私も迷いなく返した。

「なんで?今度の作戦、超人ゾンビは多いほど成功の見込みが出てくるでしょ?」

「誰でも超人になれるとは限らない、昏睡状態に陥るかもしれない。」

「でも私がそうなる確率が低いのは、あんたもわかるはず。」

 ひっつめ女とゾンビ討伐訓練で一緒になったとき、彼女はどの男よりも無慈悲にゾンビを撃てた。優秀だからこそ偵察部隊に行ったのだ。

「だれもゾンビになるべきじゃない。他人にウイルスを移すリスクがあるんだ。この集団の中には、未だに俺やあの子に近寄りたがらない人間もいる。」

「私はすでに避けられてる!前のリーダーとは四六時中一緒にいたからね、穢れた人間扱いされてる!」

「自暴自棄はよせ!」

「違う!私は作戦の成功を、」

「どうしたの?」

 少女がドアを開けこちらを覗いている。

「喧嘩?」

 ひっつめ女はすぐに切り替えた。

「作戦のことでちょっとね。びっくりさせてごめん、大したことじゃないんだ。」

「そう……私は、あの作戦でも平気だからね?」

「お前はいつもそうやって気を遣うんだから……無茶はするなよ。」

 ひっつめ女は少女には優しい。少女も彼女には口を開く。

「俺は下で、食事係と話してくる。干し肉の用意を頼まなきゃならない。」

「あ、おじさん……」

「どうした。」

「がんばろうね。」

 まっすぐなまなざしだ。一番つらい立場なはずなのに。

「ああ。」

 廊下に出て、私は歩き出す。作戦の準備にそう時間はかからないだろう。一週間以内に、研究所へ向けて出発だ。



 制圧作戦の実行部隊は、討伐部隊から九人、偵察部隊からは五人、男性十一人と女性三人の合計十四人からなる。四台の車に分かれて乗り、一列になって研究所へ向かうわけだが、私と少女だけは、ゾンビ警戒のため、先頭の小型トラックの荷台に乗っていた。

 隠れ家を出て六時間が経つ。

 誰も言葉を発しない。

 当然だ。これから向かうのは死地なのだ。神経質そうな男などは、何度も銃の点検をしている音が聞こえるし、トラックのすぐ後ろを走る車の運転席には、ガラの悪い男が三時間以上同じガムを噛み続けているのが見える。

 当初、私は一人で研究所に潜入するつもりだった。敷地内にゾンビがいることはわかっていたし、男たちは足手まといにしかならないのだ。だが以外にも、神経質そうな男とガラの悪い男は反対した。

「敵の戦力が未知数です。我々も同行します。」
「俺たちもよ、黒幕に一言いいてえんだわ。」

 最低でも少女の姉は、超人ゾンビとして待ち構えている。彼女との戦闘は十分あり得るため超人戦力は温存し、数だけのゾンビは討伐部隊が引き受けるというのが作戦の基本方針になった。

 この二か月間、私や少女が討伐部隊の訓練相手となったことで部隊の戦闘能力は格段に上がった。それだけでなく、目標と、そこに向かう意思がある、一つのチームになった。熱量だけの狂気とは違う、信頼がそこにあった。私自身もその信頼の中にいた。だからこそ、彼らを死地へと送りたくはなかったのだが……それは彼らも同じということなのかもしれない。

「そろそろつくよ。」

 少女が教えてくれた。

 彼女は一度、偵察部隊に研究所を案内している。今回の作戦ではその偵察部隊が案内を行い、少女には留守を任せる予定だったが、本人の志願があったのだ。

「怖いけど、蚊帳の外は嫌。」

 未成年の彼女を連れていくのは私たちも抵抗があり、とくにひっつめ女は反対した。しかし彼女は無口で大人しい性格の割に、意志は強かった。いや、強くなったというべきだろう。彼女もまた、チームの一人なのだから。結局、超人戦力は多いほどいいという結論に至り、彼女の同行を許可した。

 研究所が見えてきた。少女が監禁生活を送ったという研究棟は、一際高い建物で、数キロ離れていても分かった。ガラの悪い男が気合を入れているのが聞こえる。時刻は昼過ぎ、空は薄く雲に覆われ、風は湿り気もなく、涼しかった。

「じゃあ俺は、突入と同時に後ろの車に移動する。前は頼んだよ。」

「うん。まかせて。死なないでね。」

「誰も死なないさ。」

 そのために準備してきた。

 イヤホンから神経質そうな男の指令が聞こえてきた。

「では、五分以内に研究所敷地内への突入作戦を開始します。」

 少女が大きなバッグを開け、手製の爆薬を取り出した。そして羽織っていたパーカーを脱ぎ、右腕でそれを掴んだ。

 四台の速度が徐々に上がる。私は視力を上げると、敷地入り口の門が見えてきた。襟に付けたマイクを口元に近づけた。

「門の向こうにゾンビがうじゃうじゃいる。報告の通り、歩き回っているな。」

 共食いをせず歩き回っているだけというのはやはりおかしい。さらに視力を上げ観察すると、どのゾンビも不規則に動いているが、互いに数メートルの距離を取っている。

 どういうことだ?敷地内のどこも、同様にゾンビが散らばっているのか?不気味だが、私の立案した作戦をしかけるには好都合だ。

「変異体のゾンビも見当たらない。攻撃に支障なし。」

 イヤホンに声が返ってきた。

「みなさん、いよいよ時が来ました……」

 荷台にいてもわかるほど、空気が張り詰めた。

「共に生き残るために……突入開始!」

 少女が爆弾を投げた。既に彼女の右腕は巨大化し、人間技とは思えない剛速球で爆弾が放たれた。訓練通り大きな弧を描き、爆弾は門の所に落ちて……爆発した。

 大きな土煙と激しい地鳴り、そして百メートル程離れた此処まで届く爆風。私はその風に乗り、トラックの荷台から、最後尾のワゴン車の上まで移動した。そしてマイクに向かって叫んだ。

「門は吹き飛んだ!今だ!」

 四台が可能な限り加速し、土煙の薄れた入り口に突っ込んだ。私は聴力を上げゾンビの音を探した。

「……うう……」
「……いだい……」
「……だずげで……」

 ゾンビのうめき声がする。私の乗っているワゴン車が、爆発に巻き込まれたであろう死体に乗り上げて、車体が揺れた。

「こちらに近づく物音はない!!」
「了解です!作戦続行!」

「……あれは……」
「……だれ……」
「……くるま……」

 未だにこちらに迫る足音はない。

「ふんっ!」

 少女が筋触手を展開した音がする。彼女が前、私が後ろで触手を使い、進行の妨げになるゾンビを排除する作戦だ。私も右腕を触手化した。今の私は、出血なしに右腕を五本の触手に解くことができる。

「……あれは……」
「……なに……」
「……ぞんび……」

 土煙を抜け、視界が開けた。既に少女が触手を振るい、車の前に立ちふさがるゾンビを薙ぎ払っている。そしてここで初めて、奇妙な状況に気づいた。

「ゾンビが、止まってる……」
「それはこちらにも見えています。接近する敵は居ますか?」
「いや、まったく……おかしい、さっきまでゾンビは、『動いてはいた』はずだ……」
「止まっているなら好都合です。超人二人のセーブのため、突入作戦第二フェイズへ移行します!」

 四台の車の窓が一斉に開き出し、先頭トラックの助手席、中の二台と最後尾のワゴン車は左右の後部座席から、銃口が出てきた。車の列の両側を狙い撃つ形だ。私と少女の守備範囲と合わせれば、四方からのゾンビの接近すべてをカバーできる。

「発砲開始!」

 七か所、合計八つの銃口が火を噴いた。車列の脇に棒立ちになっているゾンビが次々吹き飛んでいく。車は時速八十キロは出しているため、ゾンビを狙って撃つことはできないが自動小銃の連射と組み合わせれば、ゾンビが弾を潜り抜けて近づくことはできなくなる。

「……いだい……」
「……うたれた……」
「……あれはなに……」
「……あれはひと……」

 爆破した門から研究棟までは一直線だ。このペースなら一分ほどで到着する。車を追いかけてくる敵もいないため、余裕をもって音の探知に専念できる。

「……あれはひと……」
「……ひとだね……」
「……ひとだよ……」

 さっきからこのゾンビ達は何を言ってるんだ?

「……ひとだ……」
「……ひとってことは……」
「……うつさなきゃ……」

 何?今なんて?

「……うつさなきゃ……」
「……うつさなきゃ……」
「……うつさなきゃ……」

 ゾンビたちの様子がおかしい。

「リーダー!ゾンビが攻撃態勢に入るかもしれない!」
「了解です!総員!接近するゾンビに警戒してください!」

「ひとだぁぁぁぁ!!!!」

 車列の背後からゾンビが一体、叫びながら追いかけてきた。速度は車より出ており、どんどん距離を詰めてくる。私は右腕の触手を構えた。射程範囲に入れば仕留められる。

「後ろから一体、まずは俺が対応してみる!」

「ひぃぃぃとぉぉぉぉ!!!!!!」

 ゾンビの叫び声は、あたかも体の力全てを振り絞ろうとするかのような熱量だった。

「だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 そしてゾンビは、叫びきると同時に、破裂した。

「うわっ!」

 文字通り破裂したのだ。肉片と血しぶきがそこら中に飛び散り、私にもかかった。目に少し入ったため、目がひりひりしてきた。

「どうしました?」
「走ってきたゾンビが自爆した。」
「自爆?」
「車に追いつくほどのスピードだったから、エネルギーの暴発だろう。」

 知ったような口をきいたが、エネルギーの暴発なんて私も、ショッピングセンターで一度経験したっきりだ。こうもあっさりとできるものなのか?

「……ひぃぃぃぃ……」
「……とぉぉぉぉぉ……」

 遠くから声がした。視力を上げると、また後ろから何人か走ってきているのが見えた。同時に、さっき血のかかった右目がうずいた。

……ひとに、うつせ……

 今度は車に十分近づかないまま破裂するのが見えた。私は一つの可能性に思い至った。

 ここのゾンビたちの特徴、それは『自爆できること』なんじゃないか?

……ひとに、うつせ……

 目がひりひりする。もしやここのゾンビは感染力も強かったりするのか?

「ひぃぃぃぃぃとぉぉぉぉぉ!!!!」

 私は近くのゾンビを触手でとらえると、新たに走ってきているゾンビの集団に向かって投げつけた。ぶつかった衝撃で、ゾンビは破裂し、集団が血だまりへと変わった。

「気を付けろ!叫ぶゾンビは自爆するぞ!血を浴びたら感染する!」

 今しがた破裂したゾンビの血を浴びた、ほかのゾンビたちが、叫びながら走り出した。全員こっちに向かっている。

「ひぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
「とぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

……ひとに、うつせ……

 目がさっきからうずきっぱなしだ。体がうっすら汗ばんできている。このウイルス、ゾンビ化だけじゃない、思考を操ろうとしてくる。今や叫ぶゾンビはどんどん自爆し、他のゾンビに血しぶきをかけ、攻撃命令を拡散している。至る所で叫び声が聞こえて鼓膜が破れそうだ。

「背後から多数!作戦第三フェイズをやるぞ!」
「了解しました!」

 私は触手の先端を自ら切り落とし、散水ホースのように自分の血を振りまいた。血には血だ。私の血を浴びたゾンビは、私の中で変異したウイルスに適応できず死ぬか機能不全に陥る。一滴でも体内に入れば効果はあるが、血を流しすぎるこの作戦はゾンビの私でも危険だ、これで止まってくれ!

 すぐに何体か倒れて動かなくなったが、叫ぶゾンビの鼠算式増加はすでに、私の血がゾンビを無力化するペースを上回っていた。叫び声が車列後方だけでなく、左右からも聞こえてきた。

「第三フェイズ失敗!叫ぶゾンビが両脇からも来てる!」
「了解!」

 後方は既に大群で押し寄せてきている。私はリュックから素早く爆弾を取り出し、爪で着火して投げた。

「くたばれ!」

 ゾンビの大群がまとめて吹き飛んだ。次は両脇だ。

 振り返ると、上がったままの視力で、おぞましいものが見えた。百メートルほど先、研究棟の入り口だ。ガラス張りのドアの向こうに、何かがいる。巨大な、肉塊にも見える何かが、広いガラスの内側に詰まっている。無数の目と、一つの大きな口がついている。

「研究棟入り口、見えるか?バカでかいゾンビがいる。」
「何ですか?叫び声がうるさくて、」

 神経質そうな男の声も聞こえなくなった。あの大きな口が、人一人丸のみにできるほど大きな口が叫び出したのだ。

「ひいいいいいいとおおおおおおお!!!!!!!」

 耳をふさぎたくなるほどの騒音。さらに周りを見ると、この声に呼応するように大群ゾンビも叫びしていた。まずい、一度に全員で自爆する気だ!

「全員車内に入れ!!!窓を閉めろ!!!」

「だああああああああああ!!!!!!!!!」

 私たちの使った爆弾以上の轟音がし、ガラスのドアごと、ゾンビが砕け散った。同時にあちこちでゾンビの自爆が続いた。血と肉片が、突風のように吹き荒れ、豪雨のように降り注いだ。

「くそっ……みんな、血はかかってないか?」

 イヤホンから各車の報告が聞こえる。

「一号車無事です!」
「二号車、二人かかった!くそっ!」
「三号車、一人浴びてます!」
「四号車、運転席以外全員、うわ、よせっ!」

 足元のワゴン車が揺れだした。急いで開けっ放しの窓から中を覗くと、後部座席の三人に血がかかっており、呻いたり暴れたりしていた。そのうちの一人が、運転席の男の肩に噛みついている。

「四号車、感染が起きてる!」

 私は腰のホルダーから拳銃を取り出した。私の血を塗った、対ゾンビ弾が入った拳銃だ。

「すまない!」

 暴れてる三人のそれぞれ、脚や肩を撃った。さらに触手で三人の腕を縛り上げ、動きを止めた。

「四号車、対ゾンビ弾で感染者三名を鎮静化!」

「ひとだぁぁぁ!!!」

 速度の落ちたワゴン車に、新たなゾンビが突進してきた。ぶつかると同時にはじけ飛び、また窓から再び血しぶきが入ってきた。私は運転手の男に叫んだ、

「ゾンビは何とかするから、追いつかれるな!」

「わかった!」

 動かなくなった三人の拘束を解き、私は車体の上に戻った。

「失せろ!」

 叫びながらワゴン車に並走するゾンビ四体を、触手の一振りで吹き飛ばした。

「三号車、対ゾンビ弾で感染者鎮静化!」
「二号車、二人とも鎮静化!」
「こちら一号車、じきに研究所入り口に着きます!各車減速してください!」
「今減速したらゾンビに追いつかれるぞ!」

 神経質そうな男とガラの悪い男が無線で言い合いをしている。既に車列は四方をゾンビに囲まれ、私と少女が何とか道を作って進んでいる状態だった。私は声帯を強化し言い争ってる二人よりも大きな声で無線マイクに叫んだ。

「リーダー!そのまま研究所内に突っ込め!」

 研究所入り口は先ほどのゾンビの自爆で半壊し、トラックやワゴン車が入れそうなくらいの穴になっていた。叫ぶゾンビの大群は建物内からは出てきていない。

「提案を承認!総員!入り口に突入し、建物内で停車します!」

 神経質そうな男が私の意図を察してくれたようだ。

「一号車突入します!衝撃に備えてください!」

 少女が二台の上で身を伏せるのが見え、先頭のトラックはガラスの割れた入り口に突っ込んだ。

「二号車も行くぜ!」
「三号車入ります!」

 後続の二台も順に飛び込んだ。中で車同士衝突してないか心配だったが、確認する余裕はなかった。大群のゾンビ達の手がが今にも四号車に届きそうだ。

「追ってきてるゾンビを食い止める!その間に降車して上の階へ向かえ!」

 私は筋触手でゾンビたちを薙ぎ払い、車体を蹴ってゾンビ側に飛び降りた。

 ひと暴れするぞ。

 背後でワゴン車が急ブレーキをかけるのを聞きながら、右腕の触手に集中した。

 薄く。軽く。そして速く。

 右肩の筋肉が膨れ上がった。右腕の触手五本がまとまり細長く伸びた。一本の剣のように平たくなり、表面は爪のように硬質化している。

 全員まとめて、切断する!

 私は横へ伸ばした右腕を、思いっきり左へ振りぬいた。十メートルはある刃が、扇型を描く軌道で、ゾンビたちの首を次々はねていった。さらに切断されたことでゾンビたちの体が自爆を始め、巻き込まれる形で、刃を逃れたゾンビたちも誘爆していった。

「よし!」

 上手くいった。私は右腕を元の形に戻しながら、研究棟の入り口をくぐった。

「おじさん!」

 出迎えたのは少女だった。私の援護をするつもりだったのだろう。

「こっちだよ、みんな先に行ってる。」

 四台の車がエントランスに乗り捨てられている。ワゴン車は横転しているが……

「みんな無事か?」

 少女の顔が曇った。

「みんなじゃない。」

 エレベーターは素通りし、階段を上ると、二階の廊下に討伐部隊が待っていた。

 五人しかいなかった。一号車を運転していた顎髭の男、神経質そうな男、二号車を運転していたガラの悪い男、三号車運転席のひっつめ女と、同じ三号車にいたバンダナの女。

「これだけ……?」

 思わず言葉が漏れた私に、ひっつめ女が冷徹に返した。

「これだけです。感染した七人には、対ゾンビ弾を撃ちましたが、全員意識不明で、連れてくることはできませんでした。」

 ワゴン車を運転していた男も見当たらない。そういえば、彼は感染した隊員に噛みつかれていた。意識を奪われそうになりながら、運転していてくれたのか……

「てめえのせいだぞ、てめえがこんな作戦立てるから!」

 ガラの悪い男が私に掴みかかってきた。神経質そうな男がそれをたしなめる。

「やめましょう。彼の作戦に乗ったからこそ、ただの人間が五人も、あの大群を突破できたんです。」

「けどよ……あんまりだろ……」

「おにいさん、」

 少女がガラの悪い男に話しかけた。

「ビルで寝てる人たちと同じで、パパが治し方を知ってるかもしれない。」

 ガラの悪い男は、普段全くしゃべらない彼女に話しかけられ、面食らっているようだった。

「信じよう、助かるって。」

「……ああ、そうだな。」

「では、作戦を続行しましょう。ここからは、訓練通りに行きます。」

 建物内に入ってしまえば、私と少女の聴力で、屋内の生き物の位置をほぼ正確に探れる。

「二人とも、お願いします。」

 私と少女は目を閉じた。一階、二階、三階、四階、と順に物音を調べていく。

「二階から四階まで誰もいない、でも五階に、動いてはいないが多数の呼吸音がする。寝ているゾンビかもしれない。」

「八階にもいるよ、こっちは、大きいのが一体、動き回ってる。多分お姉ちゃんだ。」

「そして、最上階……十四階に、人間が一人いる。」

「きっとパパだ。」

 ついに、黒幕を見つけた。七人の中に、かすかな高揚が広がった。

「二人とも、ありがとうございます……では、作戦の指示を出します。」


その8に続く

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