小説「自殺相談所レスト」5

自殺相談所レスト 5


登場人物
嶺井リュウ……超能力者。依頼人のことは一人ひとり覚えている。
五月女チヨ……JK。校則で禁止なのでバイトしたことはない。
関モモコ……嶺井の助手。普段はあんなだが、仕事はできる。
森元(モリモト)カズキ……依頼人。見かけによらず臆病。


 関はチヨがもうレストに来ないことを期待していたが、彼女はすぐに戻ってきた。喧嘩の翌日には、もう面会の予約が入っていたのだ。

 そのチヨが来る日、八月も折り返した、一際暑い日だった。

「嶺井ちゃーん、私気が重いよ……」

 関はいつものように、事務所の応接室で嶺井に絡んでいた。

「関、別に君はチヨちゃんと何か話す必要はないんだよ。」

「でも、同じ空間にいるだけで気まずいー。」

 関がソファの後ろから、座っている嶺井に寄りかかってきた。嶺井は、ここ最近関のスキンシップが激しくなったなと思っていたが、口には出さなかった。

「仕事に集中すれば、気にならなくなるさ。」

 関が突然、なにかに反応した。

「あ、あの子の足音だ!私、事務室に戻るね!」

 関が慌てて走り去った、それと同時に、ドアの外に誰かの足音がする。

「どうぞ、開いてるよ、チヨちゃん。」

 嶺井が声をかけると、チヨがドアを開けて入ってきた。

「おはようございます……」

 ちょうど午前十時。面会開始だ。

「おはようチヨちゃん、この間はごめんね、来てくれたのに会えなくて。」

「いえ、私こそ、予約もしないでごめんなさい……」

「気にしてないよ。それより、メールで話したように、今日は、」

「はい、職場見学、ですよね。」

 嶺井は、チヨが働きたがっていることを関から聞き、頭を悩ませた。そして、彼女に仕事をしているところを見せることに決めたのだった。

「うん、でもその前に、渡したいものがある。」

 嶺井は懐から、一枚の名刺を取り出した。

「この人を君に紹介したい。学生のいじめ相談に乗ってくれる、椿先生という人だ。」

 チヨは少しショックを受けたような顔をしたのを嶺井は見逃さなかった。半ば強引に、チヨに名刺を渡す。

「親も教師も当てにならないとき、この人が力になってくれるはず。ただ、この人は僕の本名を知らない。紹介は晴峰(ハルミネ)トラオからだと言ってくれ。」

「はい……」

「僕は君に安楽死以外の選択肢を与えたいんだ。分かってほしい。」

「リュウさんは、いつもそうなんですか?」

「え?」

「依頼してきた人達にも、こうやって誰か助けてくれそうな人を紹介するんですか?」

 チヨの言葉は暗に、『たらい回しにしないで』と言っているようにも聞こえた。

「うん、いろんな可能性を模索するのも僕の仕事だ。今日これから、それを詳しく学んでほしい。」

 嶺井の返答はある種の逃げでもあった。

「はい、わかりました……」

「よし、じゃあこっちへ。」

 嶺井は、チヨを事務室へと案内した。事務室にはモニターがあり、応接室での会話を視聴できる。関とともにモニターの使い方をチヨに教え、嶺井は応接室に戻った。これから、見学されながら仕事をするのだ。

「こんなやり方、チヨちゃんは、自分が必要とされていると勘違いしてしまうのでは?」

 嶺井の座っている向かいに、久遠が現れた。

「率直に邪魔だと言って追い出した方がいいかも……いや、それだと彼女は以前のような自殺志願者に戻るんですかね?」

 事務室に音声が聞こえてしまうため、嶺井は久遠に反論できなかった。それをわかっているのだろう、久遠はニヤニヤしながら独り言を、聞こえよがしに続けた。

「彼女の自殺させないためには、嶺井さんが相手をするしかない、でもレストは生きがいを求めて来る場所ではない。難問ですねえ……」

 嶺井は久遠を無視するしかなかった。

「そうだ、もうチヨちゃんを殺しちゃいましょう。それで全部解決じゃあありませんか。」

 嶺井は久遠を睨んだ。

「なんです?死を与えて問題を解決するのがあなたのやり方でしょう?」

 久遠は笑いながら立ち上がり、ドアを開けて外へ出ていった。

 入れ替わりに、今日の依頼人が入ってきた。約束の十時半だった。

「おはようございます……」

 その男、森元カズキは不安そうにあいさつした。短髪で背の高い、がっしりした体型の男だ。

「おはようございます、森元さん。どうぞ、こちらへおかけください。」

 嶺井は、先ほどまで久遠が座っていたソファに森元を座らせた。

「緊張しますよね。」

 嶺井は優しく話しかけた。

「ええ、自殺の相談なんて初めてですから。」

「みんなそうです、というか、二度目の人なんていませんよ。」

 森元は少し笑った。嶺井が緊張を和らげるのによく使う手だ。

「差し支えなければ、『お見送り』サービスご利用の経緯について、伺ってもよろしいですか?」

 『お見送り』とは、安楽死のことだ。

「経緯、ですか……私はある家電メーカーに勤めているんですが、今の部署の部長が、その……」

「パワハラ、ですか?」

「そうです。それはもうひどくて、新人の叱責を、わざと全員の見ている前で行ったり、飲み会ではしごきと称して暴力を奮ったり。」

「残酷ですね。あなたもその被害に?」

 森元は首を横に振った。

「私はむしろ、気に入られている側です。立場をうまく使って他の社員をかばったりしたことはありますが、部長に逆らったことは一度も……臆病者ですよ。」

「まさか、あなたが行動できなかったのは上司への恐怖故です。それは間接的に被害に遭っているということですよ。」

 森元は目を丸くした。

「まさか、慰めてもらえるとは……もっと早くに相談すればよかった。」

「遅すぎるなんてことは決して、」

「いえ、そうではないんです。」

 森元は慌てて嶺井の言葉を遮った。

「説明不足でした。実は、去年の五月に、職場で一人、自殺者が出たんです。私の同僚で、名を瀬戸内ソウタと言います。」

「瀬戸内ソウタ……」

 嶺井はこの名前に聞き覚えがあった。

「やはりご存知でしたか。彼もあなたの依頼人だったのでしょう?」

 嶺井は目を伏せた。

「ええ、あの件は僕にも責任があります。」

 瀬戸内は嶺井が安楽死に失敗した相談者だった。

「責任があるのは僕の方です。あの晩、瀬戸内は私の家にいました。自殺相談所に行くって言っていた彼を止めたのは私なんですよ。」

 ブラックな職場環境とパワハラが原因で心を病み、瀬戸内はレストに来た。嶺井は職場を変えることを勧めたが彼は『お見送り』を希望した。それでも彼が死を思いとどまる可能性を残すため、嶺井は『お見送り』遂行の日を、連休最終日の一日手前だった五月五日に設定したのだった。

「五月四日の晩、私は瀬戸内と居酒屋で飲んでいました。彼が自殺相談所に通っているとそこで明かしたので、私は彼を止めようとしたんです、病院へ行こう、転職しよう、でもとりあえず今日は飲め、明日は休日なんだから、そんな言葉をかけたのを覚えています。」

 五月五日、瀬戸内はレストに現れなかった。心配した嶺井はあの手この手で彼に連絡を取ろうと試みたが、結局メール一つ帰ってこなかった。

「五月六日、私は音信不通になった瀬戸内が心配になって彼の住むアパートに行きました。そして、そこで……」

 首を吊り自殺していた瀬戸内が発見された。嶺井は後日、瀬戸内の住所を調べ、彼の部屋を訪れたときにそれを知った。

「瀬戸内は遺書を残していました。そこにはこうありました……親切にしてくれたみんな、ありがとう。けど自分には、趣味も、夢も、家族もない、だからどんなに生きることを勧められても、何も感じなかった。自分は人生に向いていないんだと思う、さようなら……」

 嶺井は遺書の内容は、初耳だった。そこまでは調べきれなかったのだ。『生きることを勧められても、何も感じなかった』という一文が、嶺井の胸には重く響いた。

 森元が悔しそうに言葉を続ける。

「頭ではわかってます、瀬戸内の自殺を真に悔いるべきは部長だって。」

「社員の自殺は問題にならなかったのですか?」

「まったく。朝礼で黙とうをささげただけです。その週末、部長は飲みの席で泣きました……『瀬戸内はいいやつだったのに』、『どうして相談してくれなかったんだ』って。そして部長のお気に入りたちに慰められて、最後は、『瀬戸内の分も頑張ろう』って綺麗ごと言って終わりです。」

 嶺井は眉をひそめた。一番嫌いなシチュエーションだ。

「泣いて忘れてしまった、というわけですね。」

「ええ。怒りはもちろんありますが、今では虚無感の方が大きいです。人生って、自分や他人の痛みに鈍感な方が有利なんだって気づいてから、何もかもバカバカしくなっちゃって。思えば私だって瀬戸内と同じように、守りたいものが特にない人間です。生にしがみつくのも、もういいかなって。これが、私の死にたい理由です。」

 森元は力なく笑って見せた。

「背景はよくわかりました。少し、休憩にしましょうか。」

 その後、嶺井と森元は、『お見送り』希望日時や代金振り込みの手順を話し合った。正午には一段落つき、森元は礼を言って帰っていった。

 森元が去った後、事務室にいた関とチヨが出てきた。

「リュウさん、いつもこんな話をきいてるんですか?」

 チヨはさすがに元気がなくなっているように見えた。

「そうだね、事情を話してくれない依頼人もいるけど、痛々しい話自体は珍しくないよ。」

「じゃあ、リュウさんがその……失敗することもですか?」

 嶺井は微笑んだ。

「僕は神様じゃないからね……瀬戸内さんのように、『お見送り』前に自殺した依頼人は今までに彼を含めて三人。安楽死を思いとどまったけど、後になって自殺した事がわかった人は七人。これらは情報がつかめたケースに過ぎなくて、相談途中で行方不明になった人は四十三人いるね。」

 チヨはまた、ショックを受けたような顔になっていた。

「辛く、ならないんですか?」

「辛いよ。だからこそ、君にはここで働くことには慎重になってもらいたいんだ。」

「私、リュウさんと出会ってから、自分の居場所はここなんだって思ってました。でも、今は……分からなくなりました。わたし、なんだか怖いです。」

 リュウはチヨの肩に手を置いた。

「不安にさせてごめんね。今日はとりあえず帰ろう。車で送っていくよ。関、後は頼む。」

 嶺井が関の方を向いたことで、チヨも、関の存在を思い出したように彼女の方を見た。

「ねえ、モモコちゃんは怖くならないの?ここにいて。」

 関は無表情のまま、どこか突き放すような、冷たい声色で答えた。

「ならないよ。」

「そっか……」

 嶺井はチヨが急に悲しげな顔になったのが気になった。

「チヨちゃん?」

「ごめんなさい、リュウさん、私やっぱり一人で帰ります。」

「え、ちょっと、」

「さよなら。」

 チヨはリュウの手をすり抜けると、早足で出ていった。


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