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「頑張った自分へのご褒美」ってなんだよ(直球)

「頑張るのはいいことだ」!
「ポジティブシンキング」!
という話ではないので注意…。



先日ネットのチャレンジ系ブログを読んだ際に

状況の悪化に対して
「辛い状況だったんだからしょうがない。」
との意の言葉で自分を慰めていたのを見て
悲しくなった。

モチベーションを保つための言葉ではあるだろう。
だが、悔しがるタームが抜け落ちている。

その「しょうがない」という言葉を
他者から言われることを待てず、
期待できずにすぐに自分から語ってしまうのは

自分に甘い、弱い、とかではなく その構造から
「このチャレンジはかなり厳しい状況だ」と感じた。


以下で説明する。


「頑張った自分へのご褒美」
という表現がある。


一見とても聞こえがよく、正当にも思えるが

これは実は
「頑張って○○をやり遂げたご褒美」の
「○○をやり遂げたかどうか判定」の部分が
取り去られているので

成果と報酬の関係を正しく表していない。


「辛いけれど、○○をやり遂げたら
 ご褒美があるからそこまでは何とか頑張ろう」

という達成目標、評価基準があってこその「ご褒美」であり、
「頑張ったかどうか」だけでは
あまりに評価が主観的で
本人の気分に左右されすぎる
だろう。




犬に芸を教えることを考えてみよう。

  • 「お手」をしたらエサを一つ与える。

  • 「お手」をしないうちは与えない。

このルールを徹底することで
犬は「お手」ができるようになる。

犬が「お手」をしなかったのに
『頑張ったから』という
飼い主の感情でエサを与えたら
犬はいつまでも
「お手」ができるようにはならない
だろう。


報酬とは
明確に設定された目標の達成時に用いるのが望ましい




そもそも当人が
その「頑張ったご褒美」との
釈明に似た言葉を使うに至っている状況は

  • 社会的(会社や学校など)

  • ルール的(法律や地域ルールなど)

  • 人間関係的(友人、先輩後輩、パートナー、親類など)

  • リソース的(お金や時間、など)

問題など、他にもたくさんあるが

「外界から頑張りを強制されている」可能性が高い。


「他者から頑張らされているのに
 報酬はもらえない」

という
かなりかわいそう
状況になっているかもしれない。
(そもそも目標が設定されていなくては
 報酬がもらえないのは当たり前だが…。)

つまり、自分へのご褒美というのは

他者から努力を強制されつつ
 努力そのものに対しては報酬が与えられない状況に対して
自腹で自分に報酬を与えてごまかしつつ 必死に耐え続ける

という状況を示している可能性がある。




これはゲーミフィケーション(タスクのゲーム化)以前の問題で

ゲーミフィケーションが
過程を楽しむための工夫
だとすると

上の話はそもそも

「誰がそれをやりたがっているのか?」


というレベル

プロジェクト自体の土台があやふやになっている。

例えば
「自分はダイエットしたくないけれど
世間の目は自分にダイエットをしなくてはいけないと
言っている気がする…。」

と感じている人間がいた場合、
これは
ダイエットに対してのモチベーションが
どこにも存在していない状況
だ。

仮に世間の目があったとしても
太っているあなたに
侮蔑のまなざしを向けることはあるかもしれないが
あなたを痩せさせたいとは思っていない。

ダイエットの遂行をだれも望んでいない。
成功させたがっている人間は存在しない。

……これ、無理プロジェクトじゃないか?


プロジェクトはいつだって
人間の「これを実現したい!」という強い意志によって
スタートする。
その情熱が他者を巻き込んで
達成率を高めるための努力に変わっていく。

つまり俗な言葉で言えば「夢」「欲」あってこそなのだ。

それが自身の中に生まれていないなら
率先して頑張る必要はない。




自分の場合は自己改革よりも
30日同じことを繰り返したら
 どんな変化があるのか実験をしたい」

という「欲」があった。

自分は9月に多動性ADHDだと診断された。

多動性とはあちこちに注意力が散漫して
それまでやっていたことを投げ出し忘れて
すぐに目の前の新しいことに
夢中になってしまう性質のことだ。

その時に

自分が人生の中で30日間
何かを続けたことがなかったことに
初めて気づいた。

自分の感情的な言葉で言うと

「愚直にやり続ける」

ことへの憧れが生まれた。

愚直というのは間違いだ。
 だが、診断されるまでの自分は同じことを続けることを
 愚直だと認識して投げ捨てていた
のだ)

自分にできないから
 認識がゆがんでいた
のだろう)

自分にとって
その達成が「欲」になった。

30日続けた後に
何が残るのかに純粋な興味がある。

それでも物理的、精神的問題は発生する。

それらをどう棚上げして
自身の欲の達成を最優先だと認識させるか

プロジェクト遂行の鍵になると考える。






以上、まとめると


誰からも期待されていない、自分でも楽しめないものに
無理に取り組む必要はないし

頑張りそのものは他者からの評価の対象にはなりづらい。



「頑張った自分へのご褒美」を自分に与えている場合、

構造的にかなり辛い状況に置かれている可能性があるので
一度立ち止まって構造を見直すことを提案する。



自己改革などは「やったほうが良い、正しい、偉い」なんてものではなく
それをやりたいという「欲」がある人間だけがやればいい。





どこかで見ている人は必ずいて
実際、自分はそのチャレンジャーを応援している

どこかで言葉が届くなら、
内発的にチャレンジを楽しんでほしいと思う。



コメントでご縁があって
心理士りく様に
自分の記事への考察記事を書いていただきました!
ありがとうございます。

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