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王家の宝石 | 6月の誕生石 - グレース・ケリーのパール

概要

モナコ公妃グレース・ケリーがウェディングギフトとして贈られたパールのセット。

名称

PRINCESS GRACE’S WEDDING GIFT PEARLS

起源

グレース・ケリーがモナコ公レーニエ3世と結婚する際贈られた

宝飾メーカー

Van Cleef & Arpels

歴史

世界有数のお金持ちな国に嫁いだグレース・ケリー。

結婚の際、カルティエのダイヤとルビーでできたティアラと58カラットのダイヤモンドネックレス、2つの婚約指輪のほかに⚫︎ ⚫︎ ⚫︎、今回ご紹介するヴァンクリーフ&アーペルのパールパリュール(セット)を贈られます。

実はこれ、ヴァンクリの方から売り込んで実現したものなんです。

パリ、ヴァンドーム広場にある
ヴァンクリーフ&アーペルのブティック。
Lionel Allorge • CC BY-SA 3.0



1956年、フィラデルフィアのグレース・ケリー自宅でレーニエ公との婚約が発表されます。

この発表を受けて動いたのが、ヴァンクリーフ&アーペルの創始者兄弟の末っ子にして宝石商でもあったルイ・アーペル。

彼はレーニエ公に"殿下のフィアンセへの記念品"として自社の女性用バニティケースを贈り、その技術力を売り込みます。



《補足》
現在ではバニティケースというと上に取っ手が付いていてガバッと開く大きめのポーチを指す場合が多いですが、

当時ハイブランドが出していたバニティケースは、このような四角く薄くて硬いコンパクトのようなものだったようです。
(これはレーニエ公が贈られたものとは別)↓




ルイ・アーペルの売り込みは見事成功し、レーニエ公は翌年、結婚式に先立ち ウェディングギフトとしてヴァンクリーフ&アーペルのジュエリーを購入したのでした。

それがこのパール一式↓


それぞれの大きい画像をご覧になりたい方は、ブランド公式HP をどうぞ↓


グレース・ケリーは女優時代から
パールを好んで着けていました


【余談】グレース・ケリーが妃に選ばれた理由

(グレース・ケリーのシンデレラストーリーに水をさされたくない、という方は飛ばして下さい)

さてレーニエ公は なぜ結婚相手に血統の良い貴族ではなくハリウッド女優を選んだのでしょうか?

アメリカのジャーナリストが書いた『Once Upon a Time: Behind the Fairy Tale of Princess Grace and Prince Rainier(原題)』によると、レーニエ公は「妻をめとり、子孫を残すことが自分の最重要義務である」と教えられて育ちました。

そこに「モナコの国際的知名度を上げたい」という思惑も加わり、お妃リストには当時の有名女優の名前がずらりと並んでいたそうです。

ジゼル・パスカルとはいい所まで行ったのですが、自分の息子を大公にしたかったレーニエ3世の姉により不妊の噂を流され 別れてしまいました。



では何故、国際的な知名度に拘ったのか?

意外に思うかもしれませんが、当時のモナコはラスベガスにカジノ客を取られ閑古鳥が鳴いていました

またウィンタースポーツの流行により温暖な気候のメリットを活かせず、寂れたリゾート地でありました。


イギリスの作家サマセット・モームをして「日陰者にとっての日向(a sunny place for shady people)」と表現された当時のモナコ。

それはつまり、税制優遇制度に惹かれてやって来たいかがわしい金持ち達が集まるリゾート地─ そんな場所だったのです。

そのため、レーニエ公は何としても国のイメージアップをはかり、観光客を呼び戻したかった。
そこで目をつけたのがハリウッドだったという訳ですね。


-----余談終わり-----

2人の結婚に話を戻しましょう。
1956年、モナコで挙式。
その模様は、世界中の注目を集めました。

ドレスにもパールがふんだんに使われていました
↓↓↓



グレース・ケリーは、公妃としてモナコ赤十字社の総裁を務めたり、モンテカルロ国際フラワーショーの開催、グレースバレエ学校の設立などを通して 芸術面でもモナコを盛り上げました。

先にご紹介した通り、かつては日陰者の場所と呼ばれたこの国を、フランスの作家コレットから「国境が花で囲まれた国」と表される場所にしたのです。



私生活では 女優業復帰をめぐって夫と揉める事もあったようですが、ウェディングギフトのパールは生涯着用していました。
(モノに罪は無い)

↓1961年の晩餐会にて↓


↓1981年。悲劇の死を迎える前年↓


1982年運転中に脳梗塞を起こし、その生涯を閉じました。52歳でした。



グレース亡き後、こちらのジュエリーはモナコ公国コレクションの一部に。
展示会に出されたり、長女カロリーヌによって着用されたりしています。



これからも、グレース・ケリーの名前と共に長くモナコ公室に受け継がれていく事でしょう。

【おまけ】モナコにある、グレースケリー由来のものを3つご紹介します。

プリンセス・ド・モナコ
プリンセスグレースアベニュー。
V&ADudush• CCBY 3.0
プリンセスグレースシアター。
Benoît Prieur • CC BY-SA 4.0


本日もご覧下さり、ありがとうございました。


参考

・トップ画像: unsplash

・The Court Jeweller
《 PRINCESS GRACE’S CHRISTMAS PARTY PEARLS 》

・The Beau Monde
《 Grace Kelly’s Van Cleef and Arpels Pearl Parure 》

・ellegirl
《 美しきロイヤルたちにも秘密があった! モナコ公室の知られざる事実9 》

・THE RAKE Japan edition
《 グレースという贈り物 》
《 モナコ大公の手腕 》

・婦人画報
《 グレース・ケリー、モナコ公妃時代の知られざる一面に迫る 》


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