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ボナパルト家を取り巻く女性たち - オルタンス編《7》母の死とナポレオンの帰還


◆これまでのお話

母ジョゼフィーヌがナポレオンと結婚し、自身はナポレオンの弟と結婚したオルタンス。
しかし母娘揃って同じ年に夫と離婚します。

オルタンスは2人の息子を抱えながらも、離婚で傷ついた母に寄り添います。

その一方、ナポレオンの命令で彼の後妻の世話役を任されたりもしていました。

あれこれ忙しいオルタンス



ところが、これまでヨーロッパ中を支配下に収めてきた皇帝ナポレオン、徐々に敗戦を喫するようになります。

1814年には対仏大同盟軍によってパリに攻め込まれて退位

退位が決まったナポレオン
public domain / Wikimedia Commons


もうフランスにはいられないと悟ったオルタンスは亡命を考えますが、そこに救いの手を差し伸べる人物が現れます。

第1話: 我慢の子と破れた靴
第2話: 不本意だった母の再婚
第3話: 初恋と結婚
第4話: 出産、そしてホラント王妃へ
第5話: 2組の離婚
第6話: ナポレオンの没落





その人物とは、ロシア皇帝アレクサンドル1世

彼は「ナポレオンとは政治上対立せざるを得なかったが、彼をこよなく尊敬している。せめて彼の家族の助けになれれば」という名目で、援助を申し出ます。

ロシア皇帝・アレクサンドル1世。
背が高い美男子だったそうです

実はオルタンスに好意を持っていた、あるいはオルタンスがアレクサンドル1世に擦り寄った説も。
面倒なので、あまり深入りせず先に進みます。


アレクサンドル1世は ジョゼフィーヌとオルタンスに様々な支援をするため、マルメゾン城に移り住んだ彼女たちの元を頻繁に訪れます。

後列左から: アレクサンドル1世、兄ウジェーヌ、オルタンス、中央が母ジョゼフィーヌ、
オルタンス次男(長男は4歳で死去)、
オルタンス三男(のちのナポレオン3世)



フランス皇帝の義理の娘と言う肩書きを失ったオルタンスには、「サン・ルー公爵夫人」という称号を与えるよう、新しいフランスの指導者ルイ18世に働きかけました。
(サン・ルーとは、オルタンスと夫ルイが城を所有していた場所の名前)

サン・ルー城



またオルタンスは亡命を考えていたと先に述べたのですが、アレクサンドル1世はこれを思いとどまるよう説得します。

彼女の息子2人がフランスに請求できるかもしれない財産を手放すことになるから…というのが口説き文句だったそう。

オルタンスと次男、三男


ちなみにアレクサンドル1世はオルタンスの息子2人の事も「モンセニュール(Monseigneur=殿下)と呼んで可愛がったとか。

当時のロシア社交界ではフランス語が必須だった為、アレクサンドル1世もフランス語が堪能でした。

6歳になったばかりの三男が、「ママによくしてくれるから」と言って、アレクサンドル1世に指輪をあげた…というほっこりエピソードもあります。

こうして、ジョゼフィーヌ、オルタンス母娘とアレクサンドル1世は交流を深めるのでした。

アレクサンドル1世がジョゼフィーヌに贈った
ダイヤから作られたティアラ




これでナポレオンが没落しても2人の身分は安泰──と思われたのですが、思わぬ不幸に見舞われます。

1814年5月、マルメゾンの庭をアレクサンドル1世と歩いていたジョゼフィーヌが体調を崩して倒れ、2日後に帰らぬ人となりました。

遺体は住まいのあったマルメゾンに埋葬されました。

ジョゼフィーヌの墓

主を失ったマルメゾン城は、オルタンスの兄ウジェーヌが引き継ぎました。

アレクサンドル1世は、マルメゾン城から数々の美術品を買い取り、オルタンスに金銭的な援助をしました。

美術品の一部をご紹介します。
(現在もロシアのエルミタージュ美術館にあります)

クロード・ロラン
『トビアスと天使がいる風景』


アントニオ・カノーヴァ 『パリ』
CC BY-2.5 Wikimedia Commons


その後アレクサンドル1世はイングランドに渡り、オルタンスは頼れる人もなくルイ18世が治めるフランスで息子たちと暮らしていました。



それから1年も経たない1815年3月初め、ヨーロッパ中を震撼させる事件が起こります。


ナポレオンがエルバ島を脱出し、フランスに上陸。
パリに向かっているというのです。

エルバ島からの帰還




これまでひっそりと息を潜めていたナポレオン支持者は大喜び。

彼らはこぞってオルタンスの邸宅を訪れ、
「皇帝陛下の復活を支援しましょうぞ!」
などと主張します。


しかしオルタンスは気が進みません。
ナポレオンが復位する事によって、新たな波乱が起こることをこう懸念していたのでした。

私はこの事態を嘆き、彼のフランスへの帰国を阻止するためなら、あらゆるものを犠牲にしても構わないと思っています。多くの人が彼に賛成し、多くの人が反対して、内戦が起こり、皇帝自身が犠牲者になるかもしれない

-オルタンスの侍女による回想
Queen Hortense より




しかし、王立警察はそんなオルタンスの思いなど知りません。
オルタンスを首謀者として、彼女の家でクーデターが企てられている―そんな疑いを持ち、邸宅を監視下に置くようになります。

結局オルタンスは、侍従たちの助けを借りて 子供たちと別々の場所に身を隠しました。
警察が気づいた時には、すでに逃亡した後でした。

イメージ



1815年3月20日。

ナポレオンが拍手喝采を受けながら、パリの城門を開かせて帰還します。
ルイ18世が彼を討とうと軍隊を差し向けたのですが、なんと軍がナポレオン側に寝返ってしまったのでした。

国王の軍と対峙したとき、ナポレオンはこう叫んだと言います。

第5歩兵連隊の兵士たちよ!
諸君の皇帝はここだ!
私を殺したい者がいるならば、さあ撃て!

Soldats du 5e !
Reconnaissez votre empereur !
S'il en est qui veut me tuer, me voilà !

エルバ島から帰還したナポレオン


続きます。

ジョゼフィーヌ亡き後、オルタンスはまさかの復活を果たしたナポレオンとどう付き合っていくのでしょうか──。

↓↓↓

参考:

NAPOLEON.ORG
EXHIBITION: ‘ALEXANDER, NAPOLEON AND JOSEPHINE: A STORY OF WAR, ART AND FRIENDSHIP’

Hermitage Museum
The Acquisition of Empress Josephine’s Collection

Queen Hortense: A Life Picture of the Napoleonic Era

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