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ボナパルト家を取り巻く女性たち - オルタンス編《9》放浪の旅


はじめに

今回、オルタンスがフランス政府に迫害されて2年ほど各地を転々とする描写が続きます。

時間が無い 或いは地理が苦手だ、という方は

  • 次男がイタリアにいる元夫の所に連れて行かれた

  • スイスに家を買った

  • やがてオルタンスと三男もイタリアで暮らすようになった

これだけ覚えて頂いて、目次から ◆七月革命 まで飛んでも大丈夫です。


◆これまでのお話

フランス皇帝・ナポレオンの義理の娘(妻ジョゼフィーヌの連れ子)であったオルタンス。



オルタンスは ナポレオンが皇帝の座を奪われたあと、かつての敵対勢力であったロシア皇帝やフランス国王ルイ18世の援助を受けてフランスで暮らしていました。

退位したナポレオン



しかしナポレオンがまさかの流刑先を脱出してフランスに帰還。

するとオルタンスはナポレオンを支援します。

帰ってきたナポレオン



ただナポレオン復活後の栄光は短く、皇帝への復位からおよそ3ヶ月後に再び戦争に敗北

退位からの島流しにあいます。

セントヘレナ島でのナポレオン



再び義父を失ったオルタンス。
反ナポレオン派が復活した国で、どのように生きていったのでしょうか──。 

第1話: 我慢の子と破れた靴
第2話: 不本意だった母の再婚
第3話: 初恋と結婚
第4話: 出産、そしてホラント王妃へ
第5話: 2組の離婚
第6話: ナポレオンの没落
第7話: 母の死とナポレオンの帰還
第8話: 百日天下

◆放浪の旅


ナポレオンが去った後のフランスは、再度王党派が盛り返します。

当時のパリの勢力イメージ


そして彼らの攻撃の矛先は、ナポレオンを支援していたオルタンスに向くのでした。

ナポレオンが退位した
1815年のオルタンス。



かつて彼女を支援したロシア皇帝アレクサンドル1世も フランス国王ルイ18世も、もはや救いの手を差し伸べてくれません。

(一度助けてやったのに、ナポレオン復活と共に彼に寝返った訳ですからね)


パリに残るオルタンスは、憎き帝政時代を思い起こさせるとして、彼女への批判は日に日に高まっていきました。

ナポレオン皇帝時代のオルタンス



そしてナポレオンが去って2週間あまりの1815年7月17日朝。

敵国プロイセンの将軍がオルタンスの元を訪れ、遅くともあと6時間以内にパリを去るようにと通告します。

当時のプロイセン軍元帥の服



オルタンスはこれを受けて粛々と支度を進め、息子2人と数人の召使いをつけ、オーストリア軍の護衛を伴って出発しました。

途中、王党派から度々攻撃を受けますが、ついにプレニー(スイス)に辿り着きます。

距離にしておよそ500kmほど


しかしフランスとの国境に近いこの地はすぐに出て行かねばならず、次にたどり着いたのがエクスでした。

© OpenStreetMap contributors

《補足》
レ=バンとは「浴場」の意味で、現在でも温泉保養地として知られています。

オルタンスが4人目の子を秘密裏に出産した後の空白の2年半(詳しくは第6話)の間に、友人とここを訪れたそう。

この事から、土地勘のある所を目指したのかなと推測しています。


ところが、このエクスでも悲しい運命が待ち受けていました。

1年前の1814年、裁判で次男を父親のルイに引き渡すようにという判決が出ており、ルイの使者がこれを実行する為にやって来たのです。

オルタンスの元夫、ルイ・ボナパルト

この裁判の事はよく分からないのですが、かつてナポレオンは、2人の息子たちはオルタンスの元で暮らすことを支持していました。

そのナポレオンがいなくなった事が次男との別離に影響を与えたのは間違いないでしょう。


ルイは当時フィレンツェに亡命していた為、次男はそちらへ渡ることになりました。


いつも一緒だった次男と三男、お互いに離れたくないとひどく泣いたそうです。

次男が当時10〜11歳、三男は7歳ですから、当然ですよね。

次男と三男




この後結局エクスからも追われる形となってしまいました。

《補足》
エクスは現在フランスの一部ですが、当時はサルデーニャ王国という国の一部でした。

しかし反ナポレオン勢力が支配していたフランス政府が
「フランスの国境近くにナポレオンの親族がいるのは好ましくない」
と言ってエクスがあるサヴォワ県に圧力をかけた影響で追い出されてしまいました。

エクスからも追放されたオルタンス、今度は従姉妹が嫁いだバーデン大公国(現在のドイツ)に助けを求めます。

大まかなバーデン大公国の位置(赤色)
背景の地図: © OpenStreetMap contributors
地図(赤): Milenioscuro CC BY-3.0


しかしバーデンでもオルタンスを迫害したいフランス政府の意向が強く働き、結局条件付きでコンスタンツ(ドイツ南部の都市)に住むこととなりました。 

《補足》
バーデン大公国の最奥部に追いやられた形です。

© OpenStreetMap contributors


ここでオルタンスは、残された三男にナポレオンの英雄伝を語り聞かせるのでした。



1817年1月。
オルタンスはまたもコンスタンツを追われることになるのですが、今度は運良くスイスが彼女の受け入れを申し出ました。

オルタンスはスイスのアレネンベルクにある湖のほとりの邸宅を購入します。

© OpenStreetMap contributors
アレネンベルクにあるオルタンスの邸宅
(現在はナポレオン博物館となっている)


そして冬はバイエルン王国(現在はドイツの一部)のアウクスブルクで過ごしました。

《補足》
アウクスブルクは、オルタンスの兄であるウジェーヌの妻の実家の領地でありました。

(ここまでの放浪資金も、ウジェーヌが援助していたそうです)

© OpenStreetMap contributors
兄ウジェーヌ


ウジェーヌの妻・アウグステ
(バイエルン国王の長女)


パリを追われて2年。
スイスに家を購入して、ようやく安住の地を見つけたオルタンス。

ここから10年ほど、彼女がどうしていたのかはよく分かりません。
(ある意味、オルタンスに訪れた束の間の平和と言えるかもしれません)

そこで、次の事件が起こるまでの 彼女の周りの人達の動きをざっとまとめました。

1820年
夫ルイに三男の教育不足を指摘され、共和派のル・バスを家庭教師に

1821年
三男、アウクスブルクでギムナジウムに入学

1821年
ナポレオンが死去

ナポレオンの死


1823年以降
オルタンスと三男、夏はアレネンベルク、それ以外はボナパルト家の別荘があるローマに滞在するように

1824年
兄のウジェーヌ死亡

1827年
次男、いとこのシャルロットと結婚
(ナポレオン達の兄・ジョセフの娘)

シャルロット・ボナパルト


義父ナポレオン、兄ウジェーヌと これまで彼女を精神的・金銭的に支えた人物が相次いで亡くなっています。

想像ですが、息子たちも独立し、オルタンスは1人で生きて行く覚悟を決めていたのではないでしょうか。


◆七月革命

ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』は、
七月革命をイメージした絵


1830年7月、パリで革命が起こります。

時の国王・シャルル10世は退位してブルボン王朝は崩壊。(七月革命)

しかしボナパルト家の栄光が戻ってくる事はなく、新しく王位についたルイ=フィリップは引き続きナポレオン一族を迫害します。

新国王 ルイ=フィリップ


ブルボン王朝が発令していたボナパルト家への追放令をそのまま維持した為、一家は変わらずフランスに入国できない状態でした。

七月革命とボナパルト家




更にオルタンスの次男、三男が 当時住んでいたイタリアから追放処分を受けます。

左: 次男ナポレオン・ルイ / 
  右: 三男ルイ・ナポレオン


いったいどういう事なのでしょうか?

この頃、次男と三男は フランス革命の思想を源流とするイタリアの秘密結社カルボナリでの活動に従事していました。

カルボナリの旗


カルボナリは、当時のイタリアにおけるローマ教皇オーストリア皇帝の権力に反対する活動を行っていました。

当時北イタリアの一部(濃い緑)は
皇帝を擁するオーストリアの領土でした。

元の地図: Alphathon /'æɫfə.θɒn/ (talk) • CC BY-SA 3.0


この活動がイタリア当局に目をつけられた訳です。
(ナポレオンの親族というだけで目立ちそうですものね)

しかもオーストリア軍がカルボナリを鎮圧する為 進軍を始めたというのです。


オルタンスは元々息子たちの活動に反対していた為「ほら言わんこっちゃない」と思った事でしょう。

1830年頃の服を着たオルタンス



しかし彼女は息子達を救う為に逃亡を決意します。

続きます。


参考

・Wikipedia

・NAPOLEON.ORG
《 BEAUHARNAIS, HORTENSE DE 》

・meinfrankreich.com
《 So viel Frankreich steckt in … Augsburg 》

・wissener.com
《 Napoleon iii 》
《 Gymnasium bei St. Anna 》

Queen Hortense: A Life Picture of the Napoleonic Era 


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