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死について考察する6/n(後世&後生) : わんだろうより、親愛なるセネカ師匠へ

〈死について考察する〉シリーズ、今回でいったん、締めたいと思います。中締めってことで、また気になる本などあれば復活するかも。

さて、古代ローマ人の死生観とは?

にわかローマ・ファンに過ぎない人間が、ちょっと本を読んだりした程度では、満足な答えはみつかりませんでした…が、確からしいのは以下の事柄です。

①一部の哲学者は、死んだら無になる(原子にもどる)と考えていた。(エピクロスなど)

②一般大衆は、ギリシア神話からの推測で、なんとなーく死後の世界があると思っていた。(冥界の王・ハデス、地獄の番犬・ケルベロス、などなど。)
※埋葬されなかった死者の霊魂は、死体のまわりにとどまり、生者に害をなすと考えられていた。

③葬儀、追善供養などはきちんとやっていた。(貧乏な人や、疫病でいちどに沢山の人が亡くなったときなどは、まとめて埋められたこともあり。)

④死後、そのままずっと墓のなかで暮らすと思っていたので(=来世?)、副葬品を入れ、墓参をし、供物は絶やさないようにしていた。

⑤輪廻転生は信じられていなかったようだ。(紀元前5〜6世紀ギリシアでは、輪廻転生を信じる宗教があったが、秘密結社のようなものだったため、教義ははっきり伝わっていない。)

お墓について言えば、古代ローマの趣向を凝らした墓碑は、いろんな本に写真が豊富に載っており、見ていてなかなか楽しいものです。生前の職業にちなんだレリーフ(靴職人だったら、ブーツの絵とかね)があったり、こんな人でした、みたいなことが刻んであったり。

…すごく今の日本人ぽいかも

死んだらお墓に入って、お彼岸とかお盆には墓参して供養して、蔑ろにしたら祟られるかもしれなくて、
悪いことしたら地獄に落ちるかもしれなくて、
死者の霊があるかのように、お墓とか仏壇に話しかけたりして、、、
という、今の日本人の感覚にすごく近いのではと感じました。

死んだら生まれ変わら、ない、と思う

わたしとしては「生まれ変わり」みたいなのは、お話としてはとても素敵だと思うのだけど、あまり信じる気がしない。もしあったとしても、前前前世のことを覚えてないのなら無いのといっしょな気がするし。でも、大切な人がいなくなってしまったときに、残された人のなぐさめにはなるかもしれない。

大好きな曲『グッバイ来世でまた会おう』byインナージャーニーをご紹介。

泣けるー。立ち去る側が、残される側を思いやる感じがとても好きです。

そういえば、過去の朝日歌壇には逆バージョンのこんな歌が掲載されていたな。亡くなった相手を思いやる内容。「ここからは一人ですよ、頑張ってね」と、未亡人になった老女が棺の夫に語りかける、みたいな歌でした。これも、ぐっとくる。


ともあれ、生きていこうね

われわれは、この世に出てきてしまった以上、いまのこの人生をなんとかかんとか生きていかなくては。

それでは、哲人皇帝、マルクス・アウレリウスくんの言葉で締めたいと思います。

たとえお前の生き永らうべき歳月が三千年、三万年であったとしても、いぜん心に銘記すべきは次のこと。
―なんぴともいま生きている生以外の生を失うわけではなく、いま失いつつある生以外の生を生きるものではないことを。

マルクス・アウレリウス『自省録』

では、お元気で。生きていきましょうね。


参考
『ローマ帝国大図鑑』ナイジェル・ロジャーズ
『古代ローマ ごくふつうの50人の歴史』河島思朗
『古代史マップ』ナショナルジオグラフィック


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